戦後文学の思想と方法・戦後の状況・Ⅰ・《6》
井上清は、日本の敗北について次のように規定している。
〈その第一は日本帝国主義は中国およびそのほかのアジアの反帝国民族独立勢力に敗北したということである。そしてそれはたんに日本帝国主義の敗北だけではなく、東アジアにおけるすべての帝国主義の敗北のはじまりとなった。(略)
太平洋戦争の第二の結果は、戦争の第二の性質、日本と米英等との双方の帝国主義戦争であったということから生じた。すなわち敗れた日本は米英等の帝国主義連合の覇者であったアメリカの属国にさせられた。
さらに、太平洋戦争が世界的なファシズムと反ファシズムの戦争であったということから、第三の結果が生じた。すなわち、日本軍は無条件降伏させられたけれども、日本国は反ファッショ連合の統一意思としてのポツダム宣言の諸条件をうけいれて降伏したので、事実上は日本を単独占領したのも同然であったアメリカ帝国主義も、その対日占領政策において、頭からポツダム宣言を無視するわけにはいかず、あるていど、あるしかたで日本非軍国主義化と民主化を推進せざるをえなかった。〉(「戦後日本の歴史」・前出・67頁)
日本の敗北が意味するものを明らかにするためには、その降伏のしかたに注意しなければならない。
〈「国体護持の建前より最も憂ふるべきは敗戦よりも敗戦に伴って起こることあるべき共産革命に御座候。」(近衛文麿・45.2.14)
国民を戦禍から守るために戦争をやめようというのではなく、国体つまり天皇制を守るために・・・すなわち現在の支配関係を維持していくために・・・戦争をやめようというのである。〉(『日本現代史』・上・前出・45頁)
〈とまれ、ソ同盟軍がそれ以上進出し中国で中共及び人民ゲリラ軍と統一戦線を行い、対日本土作戦に参加することを防ぐためあらゆる努力が払われ、またソ同盟軍によって大陸の拠点を粉砕せられ、「抗戦」の希望を失った日本支配層が「共産革命」の恐怖におののき、「国体護持」(=「資本制護持」)のスローガンの下にアメリカ帝国主義との取引の方向をとり、その結果戦争は突然(アメリカ支配層にとって)予期しない終結をみた。大量の抗戦力・・・軍隊の主力と軍需生産力を保有し、天皇とその政府の支配体制はまだ崩壊しないうちに戦争は終結した。このような戦争の終結の仕方こそ、まさにその後の単独占領体制と日本の軍事能力の保存、対ソ軍事基地化・・・「アジアの憲兵」化政策の序曲となるものに他ならなかった。〉(『日本資本主義講座』・Ⅰ・前出・98頁)
私は、この降伏のしかたの中に、戦後の状況を把握する重要な鍵が秘められているような気がしてならない。だがそのまえに、一応のしめくくりとして、第二次世界大戦の終結、すなわち1945年8月15日を境として、世界および日本はどのような歴史的転換を行ったかということについてみていかなければならない。
日本は中国およびアジアの反帝民族独立勢力に敗北し、反ファッショ勢力に敗北した。そのことは同時に、輸出市場、原料資源としての植民地の喪失による日本独占資本主義の打撃、それを切り抜けようとするための相互依存的なアメリカへの従属化、そしてカッコつきの「民主化」を意味する。また他面からみれば、それは中国革命、占領体制、民主主義という問題をかかえて日本の戦後は出発した、ということができる。そして日本が抱えた戦後的問題は同時に世界的な戦後過程のそれの一部であったことはいうまでもない。今それを経済的な視点から簡単にみていきたい。
(1967年3月)
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