梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

東日本巨大地震は「自然の摂理」

 3月11日に起こった「東日本巨大地震」は、文字通り「自然の摂理」という他はない。まるで「自然」にも「意思」があるかのように、「人間の存在」がいかに無力なものであるかを、それらの造営物を完膚無きまでに叩きのめすことによって、思い知らせたのであった。これまで「平和」「豊かさ」「便利さ」では世界一を誇っていた日本の社会(の一部分)は、一瞬のうちに(大津波の)濁流に呑み込まれ、たちまち「地獄絵」の世界へと変貌する。私たちは「自然の摂理」の前にどれだけ謙虚であったかを反省しなければならない。すべてが人間にとって「想定外」、もし「自然」が言葉を話すなら、「人間よ、思い上がるな!お前たちの浅はかな文明など、私たちの力をもってすれば、ひとたまりもない代物に過ぎぬのだ」ということになるのだろう。なかでも、「自然」は、私たちが希求する「平和」という概念に鉄槌を加えたことに注目しなければならない。「平和」とは、「豊か」なことであり、「便利」なことであり、家族みんなでそれを享受しあうことに他ならない、といった独善的な価値観が、もののみごとに崩れ去ったのである。たとえば重油、たとえばガソリン、そして原子力、そのような「平和」「豊かさ」「便利さ」の象徴的人工物が、「自然」の側からの武器として逆用されている。大津波は、それら文明の利器を使って、日本の「豊か」で「便利」な「平和社会」を破壊し尽くそうとしているのではないか。日本全土が「電力不足」のため窮乏することは間違いない。放射能汚染プラス「風評被害」によって、パニック状態に陥ることも時間の問題であろう。さて、どうするか。どうしなければならないか。今、そのことが私たち一人一人に問われているのである。
(2011.3.15)