梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

昔に比べ、今のバラエティーはひどいのか

   東京新聞朝刊・芸能ワイド版(15面)に「昔に比べ、今のバラエティーはひどいのか?」という見出しの記事が載っている。内容は以下の通りである。〈「視聴者の相当数が不快感を持っている」として昨年、放送倫理・番組向上機構(BPO))が問題点を指摘する意見書を公表したテレビのバラエティー番組。11日には、BPOの提案を受け、在京局の制作担当者らが一堂に会し「バラエティー向上委員会と題したシンポジウムも開かれるが、最近のバラエティーに“先人”は何を思うのか。テレビの黎明期からバラエティー制作に携わってきたメディアプロデューサー、澤田隆治さんが寄稿してくれた〉。寄稿の要点を(私の気になる点を独断で)抜粋すると以下の通りである。①(旧知の方々、仕事でよくお会いする方々が「てなもんやは面白かった」と褒めてくれるのはうれしかったが)必ずといっていいくらい、今のバラエティー番組やお笑い番組のつまらなさ、ひどさに言及し、私に同意を求めてこられたのには困った。こちらはまだテレビの制作現場にかかわっているのだ。②常に、どうすれば視聴者が面白がってくれるかを考え、視聴者を驚かすためにかなり過激なことを出演者に要求した。③かつて私も「人間の尊厳を損なわない限り何をやってもいいと思っていた。死に物狂いで番組を当てようとする感覚は常識人のそれではない。④遠慮がちな物言いの続くBPOの意見書には「作り手」のモチベーションを下げてはいけないとの配慮が見て取れる。心配は無用だ。みんな率直な批判で心が折れるほどヤワではない。⑤55年になる私の体験によれば、景気の悪いときは安上がりのバラエティーにチャンスが回ってくる。まさに今がその時だ。
 その言辞を見ると、「今のバラエティー番組やお笑い番組のつまらなさ、ひどさ」に対する反省は微塵も感じられない。今も「こちらはまだテレビの制作現場にかかわっている」のだから、当然と言えば当然の話だが、はたしてこのような人物を“先人”と呼んでいいのだろうか。まあ「ひどさの先人」には違いないが・・・。要するに、“先人”の物言いは、「およそバラエティーやお笑いは、昔も今も《過激》で《ひどく》なければ生き残れない。制作者は「死に物狂いで」「非常識人」にならなければならない。常識人に何がわかる」といった居直り以外のなにものでもない。「人間の尊厳を損なわない限り何をやってもいい」と思っていた自分は、今、どう思っているのか。昔の戯れ唄に「土手の向こうをチンバが通る 頭出したり隠したり」(デカンショ節)という代物があった。デカルト、カント、ショーペンハウエルに学ぶ大学生が、肢体不自由の弱者を「嘲笑」している。今のバラエティー、お笑い番組に、この種の「嘲笑」は皆無だと断言できるか。「ともに喜びを連帯する笑い」「愛情を共有・共感する微笑」は僅少、そのほとんどが相手を見下した、あざけり、さげすみの「哄笑」(馬鹿笑い)ではないか、と私は思う。例えば肥満、例えばチビ、例えばハゲ、例えばブス、そうした芸人(タレント)が「自分を笑いものにして」稼ぐことは自由である。ただし、その「笑い」が「さげすみ」「見下し」のままで終わることなく、「みんな違っていい」「人間の価値に優劣はない」といった「人間の尊厳」(人権尊重)に繋がるかぎり・・・。といっても、「死に物狂い」の「非常識人」には通じないか。
(2010.3.11)