梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「ラジオ深夜便」(NHK)・《経済人・品川正治氏の卓見》

 午前1時から、〈「ラジオ深夜便」(NHK)・インタビュー・アンコール「日本のあす、私の提言~人間中心の経済運営とは」経済同友会終身幹事・品川正治〉を聴いたが、たいそう興味深い内容であった。品川氏の話を(私の独断と偏見によって)要約すると以下の通りである。①自分は今、86歳、その人生を大別すると「生まれてから22年間」「戦後の64年間」に二分される。②前半の22年間は、「大日本帝国憲法」下における「臣民」としての人生であり、「戦時下」の人生であった。③後半の64年間は、「日本国憲法」下における「国民」としての人生であり、「平和主義」(憲法第九条)を標榜する「主権者」としての人生であった。④前半の「戦時下」社会を、体験・研究してわかったことは、「戦争は人間が引き起こす」ものであり、「戦争を終結させるのも人間である」ということである。自分が生まれたとき、すでに日本は「戦時下」にあり、戦争は「国家」が行うものとばかり思っていたが、結果はそうではなかった。⑤憲法第九条は「戦争をしない」ことを謳ったものではなく、(日本国民は)「もう二度と戦争はできない」ということを世界に向けて宣言した文言だと、自分は理解している。⑥経営者として、「会社のために社員を犠牲にすること」は、あり得ない。⑦今は、「金融資本」の目で経済を運営している。せめて「国家」の目、理想的には「人間」の目で経済を運営しなければならないと思う。⑧GNP第二位の日本が「国際競争力」の大切さを強調しているが、その「力」とは何だろうか。第一位の米国を追い抜くことだろうか。第三位の中国に追い抜かれないことだろうか。そんなことに力を注ぐぐらいなら、それほどの力があるのなら、まず自国の「弱者」を救済することの方が先決ではないか。⑨年末に行われた日比谷公園での「年越し派遣村」の取り組みに、注目している。「日比谷」と言えば、日本の中心・東京の中心、そこで「格差社会」の矛盾が露呈された現実は象徴的である。人間の目で「経済」を見たとき、「派遣村」の取り組みは大きな「可能性」を秘めている、と思う。
 経済人といえば、「利潤追求市場優先主義」、まず「金融資本」の目で経済を見ることが大前提とばかり思っていたが、それは私の偏見、日本の経済をここまで発展させた人々(原動力)の根底には、「もう戦争で経済発展を企図することができなくなってしまった」(人間の良心に目覚めてしまった)戦争体験者の「悲しみ」と「悔恨」が、深い傷跡のように刻まれていたことを思い知らされた次第である。 
 品川氏はすでに86歳、この卓見を理解・継承・具現化できる「後輩」たちは、いかほど育っているのだろうか。
(2009.8.5)