梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「大衆演劇」雑考・2・大衆演劇の「大衆」(1)

 大衆演劇の観客は、ただ単に「芝居」や「踊り」を観に行くのではない。「役者に会う」ために通っているのである。特に私の場合は、「観客(大衆)を観る」ことを楽しみにしている。「観客」もまた客席で、様々な芝居を演じてしまうのだ。その第一が「席の取り合い」である。東京、大阪など大都市の劇場では、少しでも見やすい席を確保しようと、右往左往する客が多い。


 ある老舗の「常打ち小屋」、その日、客席は開演一時間前から「大入り」が予想された。花形役者の誕生日とあって入場者全員に粗品(役者の芸名を染め抜いた手拭い)がプレゼントされるからだ。座席は予約で満員、当日席はすべて補助席という状態であった。しかし、小屋の若い衆(従業員)は手慣れたもので、次から次に入場してくる客を、手際よく補助席に案内していく。そんな時、客はもう「見やすい席」をあきらめなければならないのだが、黙って応じるとは限らない。私は上手の壁際にある三人掛けの長椅子に案内された。その隣に七十歳代とおぼしき(しかし元気のいい、血気盛んな)女性客二人もまた案内されてきた。客「にいちゃん、ここ疲れるわ、他に席ないのんけ?」若い衆「あっちは、予約席ですねん、ここで我慢してもらえませんか」客は「しゃーないな」と不満たらたらという表情で舌打ちした。入場者はさらに増え続け、通路に丸椅子が並べられた。件の
女性客はそれをめざとく目にすると、「なんや、あっちの方がええやないか。あっちに移ろ、移ろ・・・」と言って、そそくさと席を立ち、移動してしまった。そこへ若い衆がやってきた。「ちょっとお客さん、待ってくれまへんか。そこは、外で並んでいやはるお客さんの席ですねん」「ええやないか、わてらが先に来てるんやから・・・。金(追加料金)はらえば文句ないやろ」「ですから、ちょっと待っててくれまへんか。席が空いたら(確保できる見通しがついたら)案内しますよってに・・・」女性客は渋々、私の隣の席に戻ってきた。「なんや、えらそうに・・・。客をなんだと思っているんや」しかし、若い衆は冷静である。自分のもくろみ通りに続々と入場して来る客を丸椅子に案内していく。一段落ついたあと、若い衆が女性客の所へやってきた。「お客さん、お待たせしました。席つくりましたので移ってもらえますか」こわばっていた女性客の表情が多少ほころんだ。「なんや、移ってもええんか」「はいどうぞ、お二人さんで二百円いただきます」若い衆の采配に対する女性客の不満が吹っ飛び、「今日はよかった」という感動で帰路につけるかどうか、それはひとえに、「劇団」(「花吹雪」)の実力にかかっていることを、私は思い知った。(そのとおりの結果になったことはいうまでもない)
 もう一人、並べられた補助席の丸椅子に座って、なにやらぶつぶつ、しきりに周りの客に話しかけている中年の男性客がいた。たえず体を動かし落ち着きがない。しばらく周りを見回していたが、ついに我慢ができなくなったのか、立ち上がると木戸口の方へ行き、若い衆に談判し始めた。しばらくすると、こわばった表情で戻ってきた。目が据わっている。よく見ると、粗品の手拭いを持っている。(そうか、入場の時に配られた粗品をもらいそこなったんだ)私が納得していると、その男性客は、いきなり手拭いを周囲の椅子の背に叩きつけた。(よほど腹に据えかねたのだろう)一瞬、周囲の客が驚いて視線が集中した時、すかさず若い衆が飛んできた。「お客さん、暴れるんだったら、出て行ってもらいます」男性客は、少し抵抗しただけで小屋の外に「つまみ出されて」しまった。木戸口の外では男性客の怒鳴り声が聞こえていたが、客席はすぐに落ち着きを取り戻した。「なんや、酔っぱらいか。他の客に迷惑かけたらあかんわ」という声があちこちから聞こえた。開演までの一時間、私は退屈することなく「観客の芝居」を十分に堪能できたのである。


同じく小規模な「常打ち小屋」、客の入りはまばら(二十人程度)であった。開演一時間前、私は例によって客席最後列の座席に座った。その左端では七十歳代とおぼしき女性客Aが、客席に流れる演歌に合わせ、団扇で拍子を取っている。そこへ六十歳代の女性客Bがやってきた。Bはその前列に座ろうとしてつぶやいた。明らかに血相が変わっている。「あれ?なんや・・・。最前から早よ来て、席とっといた(荷物を置いておいた)のに、ずらしてあるわ。誰やろ?やあ?これ女物のハンカチや、わての荷物、こっちにずらして、ちゃっかり自分のハンカチ置いとんねん」Aが応じた。「そうか・・・。わては気がつかなかったけど、そら言うてやらにゃあかんわ」B「言うたる、言うたる。ほんま、図々しいやっちゃ」Bはそれだけでは気が済まないようで、顔見知りの客をつかまえては、そのことを言いふらす。言われた客も「そら言うてやらにゃあかんわ、言うたり、言うたり!」とけしかける。誰がそのハンカチを置いたのか、周囲の客は固唾をのんで待ちかまえている風情であった。開演十分前、とうとうハンカチを置いた女性客Cがやってきた。BはCを見るなり、「なんや、あんたか?」と叫んで絶句した。開いた口がふさがらない。Cは平然と応える。「なんや?どうしたん?」B(気を取りなおしながら)「・・・どうしたも、こうしたもあらへん。あんたのために席とっといたろ思うて、荷物置いといたんや。誰かがハンカチ置いて、その荷物ずらしてあったさかい、文句言うたろ、と思うていたんや」Cは笑いもせず「わてや、わてや。バタバタしなはんな・・・。わてのハンカチぐらいようおぼえとき!」Bは、拍子抜けして座席に座り込んでしまった。Cは、再び平然と(Bとは席を一つ空けて)座る。その様子を見ていた、Aの笑いが止まらない。二人を取りなしながら、「せっかく取っておいた席や、隣同士、仲良く座ったらええやないの」その後、すぐに開演となったが、BとCは隣の席を一つ空けたまま、一言も言葉を交わすことなく舞台に見入ることになった。その昔(昭和二十年代)、東京に隆の家栄龍・万龍(母・娘)という女性漫才師がいたが、BもCもその万龍(男勝り)の風貌を彷彿とさせる様子で、時ならぬ「観客の漫才」(BとCが姉妹であったか、従姉妹であったか、いずれにせよ親族に間違いないと私は勝手に断定する)を私は十分に楽しむことができたのであった。


 「観客」の芝居は「席の取り合い」にかかわるとは限らない。役者以上の「変化」(へんげ)をとげる場合もあるのである。


 同じ「常打ち」小屋、ネコの額ほどのロビーでは、常連客がたばこを吸いながら、御贔屓劇団の動静を話し合っていた。中に一人、気の弱そうな青年が言葉を挿もうとする。「あの、あの、あのな・・・。そ、そ、そ、それでね・・・」なかなか、次の言葉が出てこない。しかし、常連客は、その青年の話し方を全く気にせず、団らんの輪の中に迎え入れていた。以後、芝居が始まり、終わって幕間となった。再び、私がロビーでたばこを吸っていると、件の青年が満面に笑みを浮かべて飛び込んできた。「すげえよなあ。この座長は、うまい。いい芝居するよ。はじめて見たけど、すげえ、すげえ・・・。今度、○○座だって。オレ追っかけるかもよ!」私は驚嘆した。さきほどの「連発型吃症状」は、見事に消失していたのである。常連客は、ここでも「何事もなかったように」青年の言葉を迎え入れる。「追っかける劇団がぎょうさんあって、忙しくなるわな、ええこっちゃ・・・」ちなみに、青年が「すげえ」と絶賛した座長とは「南條光貴劇団」・南條光貴であった。二十一世紀の大衆演劇は「功利を求めて汚れてしまった私たちの『心』を浄化し、助け合って生きる「元気」と『喜び』をもらうために見る」典型的な一例であった、と私は思う。


 東京近郊の「健康センター」併設の劇場、開演一時間前に、七十歳とおぼしき男性客が一人で入ってきた。桟敷に座布団、客はまばらである。「ええと・・・。どこに座ってもいいのかな?おねえさん(劇場従業員)、芝居見たいんだけど、どこに座ってもいの?」従業員が応じる。「座布団の上に荷物がなければ、どこでもいいですよ」「ああ、そう。じゃあ、どこがいいかな・・・」と言いながら、あちこちと見やすそうな席を物色している。見かねた常連客(女性・七十歳代)がアドバイスした。「そこが見やすいわよ、そこにしたら?」「ああ、そう・・・。ここが見やすいの。じゃあ、ここにしよう」と言って男性客は荷物を置き、常連客に話しかける。「ありがと、おかあさん(常連客)。よく見やすい席、知ってるねえ。いつも来てんの?そうか、わかった、おかあさん、ひょっとすると『おっかけ』だろ。そうだ、そうだ、『おっかけ』にちがいねえや」常連客は、「はばかりさま、大きなお世話!」という風体でそれには応じなかった。しかし、男性客の言動は止まらない。あたりをキョロキョロ見回すと、再び従業員の所に行って、なにやら尋ねている。「初めてなんで・・・」という言葉の後は不明であったが、従業員の応答でその内容が私にはわかった。「お芝居の時はだめです。舞踊ショーになったら、役者さんが近くに来ますので、その時にあげてください」役者に御祝儀をプレゼントするタイミングを尋ねたのである。席に戻った後も、男性客は続々と詰めかける観客を相手に大きな声で話しかける。「オレは芝居が好きなんだよ。一度、こういうところで見てみたくてね。楽しみにしてきたんだ」客席は「大入り」となったが、開演直前まで男性客の声は聞こえていた。(うるさい客が雰囲気を壊さなければよいのだが・・・)と、誰もが感じていたに違いない。だがしかし、である。開幕と同時に、男性客の(耳障りな)声はピタリと止まった。「オレは芝居が好きなんだよ」という言葉は真実だったのである。大勢の観客の中に同化し、誰もが男性客の存在を忘れて、芝居は終わった。さて、いよいよ舞踊ショーの始まりである。(はたして件の男性客は御祝儀をプレゼントできるだろうか)「大入り」の客席は、熱気に包まれ、身動きできない状態の中、番組は次々と進行し、とうとう総座長(「劇団美鳳・紫鳳友也)の登場となった。(この雰囲気の中で初めての客が「花を付ける」ことは無理だろう)と私は思っていた。だがしかし、である。総座長が客席に降り、男性客の席に近づいたとき、周囲の客に「押し出されるように」して、彼自身は(スポットライトを浴びながら)役者の前に進み出ていたのである。ふるえがちな手で、しわくちゃの一万円札を総座長の懐に押し込むと、求められた握手も振り払い、顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに席に戻る。周囲の拍手喝采が一段と高まった。
 私は、この男性客の積極的な「コミュニケーション能力」、「行動力」に敬服する。初めての場所で、初めての人たちを相手に、「初志貫徹」した、彼の「実践力」こそ「大衆演劇」を支える「大衆のエネルギー(源泉)」そのものではないだろうか。


以下もまた、東京近郊の健康ランドに併設する劇場での二コマ、観客たちの「役者は揃っている」。


 海坊主のような風采の男性客(七0歳代)が、血相を変えて、桟敷席の従業員に問いかけて来た。「財布、落ちていなかったか!?」、従業員、あわてて「どこに、お座りでしたか?」男性客「そこだよ、そこ、そこ!」従業員、辺りの座布団をはねのけ、必死に探したが見つからない。「ありませんねえ・・・。他の者に聞いてみますから、少しお待ち下さい」男性客、しばらくその場に立ちつくしていたが、顔面蒼白、身体が小刻みに震わせて、どこかへ行ってしまった。見かねた周囲の客が、別の従業員に助言する。「早く、フロントに連絡した方がいいよ」「はい、今、行ったと思います」「バカ、あんたが行くんだよ!客の財布が無くなったんだ。責任があるとは思わんのか?」重苦しい雰囲気の中、「ここで無くなったんだから、みんなの持ち物を調べればいい」などという声も聞かれる。私も一瞬、不安になりロッカー室まで自分の持ち物を調べに行った。なるほど、「現金・貴金属等の貴重品は必ずフロントにお預け下さい」という張紙がしてある。フロントに預けない限り、泣き寝入りする他はないということか。妙に納得した私は、自分の財布をたしかめ、再び桟敷席に戻ろうとすると、入り口で件の男性(海坊主)が、しきりに自分の外套(皮ジャン)を調べている。それを手に持って二、三度降ったとき、ポトリと黒い物が落ちた。「あった!あった!あった!・・・。やあ、皆さんすまねえ!あったよ、あった。あーあ、助かったあ・・・」その場の一同、「ああ、よかったねえ・・・。あったの?」これにて、一件落着。昼の部終演後、ほとんど客の居なくなった桟敷席で、件の男性(海坊主)、気持ちよさそうにカラオケ二曲披露して帰って行った。


 夜の部開演十分前、私はロビーの椅子に座ってテレビを観ていた。そこへ、一人の老女がやって来た。「あのね。タイショウは何年?」私「・・・?、タイショウ?」老女「そう、タイショウ。タイショウは何年までだっけ?」私「ああ大正ね。大正は十五年までです」老女「ふうん、あそうか十五年までね。あたしは八年生まれなんだけど、今年であたしはいくつになんの?」とまどう私「え?・・・ちょっと待ってくださいよ。今計算しますから。えーと、大正十五年が昭和元年だから、昭和元年は七歳・・・昭和は六十四年で七十歳、今年は平成二十年だから・・・ざっと九十歳かな?、たぶん、はっきりしないけど九十歳前後だと思いますよ」老女「え?何?」しどろもどろの私「だいたい九十くらいだと思います」老女「何?、九十・・・?」私「ええ、まあ、だいたい九十くらいじゃあないですか?」老女、一瞬びっくり、そして顔をほころばせながら「そーう、九十なの?、そうか、九十ね・・・」感心したようにつぶやく。「あたし、もう九十なんだ。はじめてわかったよ。ずいぶん永く生きたもんだ。この年になると数えることもできないや・・・。もうダメだね。じゃあ、もういつ逝ってもいいてことだ・・・」何かをやり終えたという満足げな表情、どこか浮き浮きとして、また何か話しかけようとした。そこへ、孫娘とおぼしき女性客「おばあちゃん、何話してるの?」老女、うるさいやつが来たという風情で、いたずらっぽく私に、めくばせする。孫娘「誰にでも話しかけるんだから、御迷惑よ・・・」そして、私に「どうも、すみません」と会釈した。恐縮する私「いえ、どういたしまして・・・」孫娘にコートを着せられ、もとの表情に戻った老女は、何事もなかったように帰路についていた。


私自身もまた「知らず知らずのうちに」相手役をつとめる結果となってしまった。


大衆演劇の「大衆」(観客)は、時として「鑑賞者」から「批評家」に変身する。
前述した東京近郊の「健康センター」、出演劇団は「新演美座」であった。劇団紹介のパンフには「プロフィル・東京大衆演劇協会所属。前身である「演美座」は東京を中心に絶大なる人気を誇った劇団。平成十五年一月に劇団名を「新演美座」と改め、座長・旗丈司と二代目座長・小林志津華を中心に活動。その斬新かつ派手な舞台は大衆演劇界に新たな波を巻き起こしている」「二代目座長 小林志津華・昭和五十八年五月二日生まれ。大阪府出身。血液型O型。十四歳で初舞台を踏み、その後「樋口劇団」より「新演美座」に移籍。二代目小林志津華として芝居・舞踊の演出を手掛ける。斬新かつ衝撃的なその舞台は「大衆演劇の革命児」とも呼ばれ、今や関東の大衆演劇には欠かせない役者である」とある。また「老舗の伝統を重んじながら、常に新たな実験・挑戦を試み続ける劇団。涼やかな面差しに、野心あふれるエネルギーを秘めた二代目小林志津華と、それを大いなる懐で受けとめる座長・旗丈司。先代の名優・深水志津夫(故人)の愛娘、深水つかさらの活躍も見逃せない」という説明もあった。
 芝居の外題は「ちゃんばら流し」。一家の代貸し(旗丈司)が親分(金井保夫)の姐さんと「間男」して、親分を追い出す。その時、一太刀浴びせたが、とどめを刺さずに逃げられた。親分は必ず復讐に来るだろう。代貸しは、そのことを思うと夜もおちおち眠れない。子分に親分の居所を探らせると、戻り橋の下に林立する非人小屋に潜んでいることが分かった。子分に「殺(や)ってこい」と命令するが、尻込みする。これまでの親分に手向かうことは良心がとがめるのだ。代貸しは「それもそうだな、じゃあ、おれが行こう」と出かけようとしたとき、一家にわらじを脱いでいる旅鴉(小林志津華)登場。「一宿一飯の恩義、あっしに任せてください」と言って、非人小屋に向かう。旅鴉は、手負いの親分を見つけ出し、一太刀浴びせた。とどめを刺そうとしたとき、どこからともなく聞こえる法華太鼓、良心がとがめて首を落とせない。そこへ親分腹心の子分(女優・春野すみれ?)がやってきた。あわてて隠れる旅鴉。子分は動転する。「親分!どうしなすった!?」「代貸しが雇った旅鴉にやられた」、「チクショー」、子分があたりを見回すと、あっさり見つかる旅鴉、「おまえか、親分を斬ったのは!?」、「そうだ。渡世の義理だ。文句があるか!」「ゆるせねえ!叩っ斬ってやる」たちまち始まる立ち回り。しかし、意外にも旅鴉は弱い、すぐに刀を墜としてしまった。(戦意喪失、初めから負ける気で立ち合ったのだろう)子分があっけにとられていると、「あの代貸しは悪党だ、あっしに助っ人させてください」と言う。かくて、めでたく「敵討ち」となる筋書きだが、この芝居に、なんと二時間あまり延々と「付き合わされた」観客の反応が面白かった。いつも来ている常連の客は、顔をしかめて「もう八時すぎてるよ、やんなっちゃう。いつまでやる気かしら」と怒り出す。もう一人が「惹きつけるものがまるでない」と吐き捨てる。芝居の中に「楽屋話」(役者の私情)「世情のニュース」をアドリブで取り入れることは、大衆演劇の常道である。いわゆる「型やぶり」の演出だが、その効果があるのは「型」八分、「やぶり」二分くらいの割合を守る時だろう。今日の舞台は、その反対で「型」二分、「やぶり」八分という状態であった。つまり、通常は一時間で終わる内容の芝居を、「型破り」の演出で、倍以上に「水増し」したことになる。常連客の反感を買うという、気の毒な結果になってしまった。「常に新たな実験・挑戦を試み続ける劇団。野心あふれるエネルギーを秘めた二代目小林志津華と、それを大いなる懐で受け止める座長・旗丈司」という説明は、まさにその通りだが、「実験」「挑戦」「野心」が「型やぶり」に集中しすぎると、舞台の景色は混乱してしまう。この芝居の眼目(主題)は、登場人物が「良心の呵責」を感じることであり、その心情表現が「惹きつけるもの」になるのだが、演出者は「型やぶり」イコール「惹きつけるもの」だと誤解してしまったのではないだろうか。
「新演美座」には、旗丈司、金井保夫という「実力者」が揃っている。かつての「新国劇」、辰巳柳太郎、島田正吾のような「二枚看板」をめざし、小林志津華を緒方拳のように育てられれば、大衆演劇界の「革命」も夢ではない。
 舞踊ショーのラストで演じた「役者音頭」は、「梅澤武生劇団」の十八番であり、懐かしかった。「踊り手」を「上手」に選抜した演出は見事であった。


 その感想を私は劇団に送り、裏を返す。その結果は以下の通りであった。
芝居「百両首」(旗丈司主演)の様子は一変していた。まず、旗丈司はワイヤレスマイクを使用していない。前半は、金井保夫、春野すみれ、芸名不詳の女優(男役)ら「実力者」で舞台を引き締めたので、客席は「水を打ったように」集中した。敵役の金井保夫が「おれとおまえは兄弟分、おまえが勝手に堅気になろうたって、そうはいかねえ。どこまでも、つきまとってやるからな・・・」と憎々しげに旗丈司(主役)に言うと、客席から「つきまとうな!」と、女性客の黄色い声がとんだ。それに対して「うるさい!静かにしろ」と、男性客がたしなめる。舞台と客席が一つになって芝居を盛り上げる。まさに大衆演劇の醍醐味を味わうことができたのである。「やればできるじゃないか」、旗と金井の「二枚看板」、それを「売り」にしていく他はないのだから・・・と、私は思っていた。二代目座長・小林志津華も「型どおり」の演技に終始し、舞台を混乱させることはなかった。舞踊ショーも「水準」を維持して「型どおり」に進行、旗丈司には三十万円、金井保夫には十万円の花(祝儀)が付いた。明日が千秋楽とあってラストショーの後、主な役者が舞台に勢揃い、一人ずつ「あいさつ」を述べた。その中でわかったこと、①旗丈司は今日、還暦をむかえたこと、②小林志津華は「劇団武る」(座長・三条すすむ)の指導・正次郎(?)実子であること、③司京太郎は豪華な衣装を持っていること、④澤村千代丸は先代(現・紀伊国屋章太郎)の実子であること、④各劇団は一時期「舞踊ショー」を重要視したが、徐々に「芝居重視」に変わりつつあること、⑤新演美座は三月、川崎大島劇場で公演するが、集客能力(常時五十人以上)には自信があること、⑥立川大衆劇場では自信がないこと、等々だが、例によって「間延び」した小林志津華の(型破りの)司会が災いし、なんと閉幕は九時五十分、すんでのところで最終送迎バスに乗り遅れるところであった。(過日、怒って中座した)いつもの常連客の姿が(今日もまた)なかったことに気づいているだろうか。


という具合で、「観客」の「批評」は、すぐさま「劇団」に影響する。まさに「お客様は神様」なのである。
(2008,12.10)