梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「大衆演劇」雑考・1・大衆演劇の見方

 私が初めて「大衆演劇」を観たのは、昭和46年(1972年)8月、今から36年前の夏であった。場所は東京・足立区千住の「寿劇場」、出演者は「若葉しげる劇団」だったと記憶している。入場料は100円程度、観客は土地の老人がほとんどで、人数も十数人、思い思いの場所に座布団を敷き、中には寝ながら観ている人もいた。芝居の最中に、役者が舞台から降りてきて、団扇をぱたぱたさせながら「暑いですねえ、お客さん」と話しかけてくる場面もあった。それまで、大劇場の歌舞伎、新国劇、新派、新劇などは観たことがあったが、こんなにひっそりと「わびしい」雰囲気の中で演じられる芝居を観たことは初めてであった。しかし、その「わびしさ」に何ともいえない魅力を感じ、以来、断続的ではあるが「大衆演劇」に親しんできた次第である。
当時の役者で思い出すのは、若葉しげる、若葉弘太郎、若葉みのる(現在・若葉愛)、深水志津夫、旗丈司、松川友司郎、五月直次郎、金井保、金井保夫、辻野光男、辻野耕輔、東千之介、板東多喜之助、長谷川正次郎、若水照代、梅澤武生、梅澤智也、梅澤修、梅澤冨美男、竹澤竜千代、竹澤隆子、長島雄次、市川吉丸、河野英治といった面々であった。梅澤冨美男は、テレビ出演(「淋しいのはお前だけじゃあない」共演・西田敏行、矢崎滋、木の実ナナ、萬田久子・TBS)をきっかけに「下町の玉三郎」として、一躍脚光を浴びるようになったが、私はそれ以前の「わびしい」舞台姿を知っている。「さぶと市捕物控」の演目で、兄・梅澤武生の「市」を相手に、「さぶ」役を懸命に演じていた姿が忘れられない。総じて「梅澤武生劇団」は、役者相互の「呼吸」、「間」がぴったり合っていて面白く、「笑わせる芝居」に長じていたと思う。富美男はまた、楽器演奏、歌唱に秀でていた。ギター、ドラムなどの「音色」は他の役者とはひと味もふた味も違っていて「聴かせる」技を身につけていた。後年、「夢芝居」「演歌みたいな別れでも」(作詞・作曲 小椋桂)で歌手デビューしたが、いわゆる「ナツメロ」を持ち歌歌手以上に「唄いこなす」歌唱力も見事であった。
以下は、当時、「大衆演劇の見方」について私がしたためた雑文である。


【大衆演劇の見方】
 通常の場合、大衆演劇のプログラムは4部で構成されている。第1部・時代人情劇「兄と妹」、第2部・花の歌謡ショー、第3部・時代任侠剣劇「大利根無情」、第4部・豪華絢爛舞踊ショーなどというように・・・。なぜ4部で構成されているか。それにはそれなりの理由があるのである。
 第1部は「前狂言」と呼ばれる。まず副座長クラスの役者が主役となり、1時間程度の芝居を見せる。このとき、劇団は今日の客の入り具合、客層、反応の様子などを注意深く観察するのである。前狂言は、若手役者の演技の修業の場でもある。演技の修業は衣装の着付け、化粧の仕方からはじまるが、ここでは身につけて舞台に出ることが修業なのである。セリフを言うことはほとんどない。先輩の役者の後について、どこに立てばいいか、どこを見ればいいか、どんな動作をすればいいかなど、文字通り「見よう見まね」で学ぶのである。
第2部は、劇団員が楽団員に早変わりし、役者が歌手に変身して1人1曲ずつ流行歌を歌うのである。この楽団の演奏は、多くの場合チンドン屋程度の内容であり、客席前列では耳が痛くなるほど騒がしい。歌の方もやたらとマイクのエコーを聞かせるので、歌詞が聞き取れないことが多い。しかし、それはそれでよいのである。歌謡ショーは、役者が芸域を広げようとして、「音楽」(?)の修業をしている場だからである。噺家が踊りや邦楽の稽古をするのに似ている。役者によっては、芝居よりも歌の方が上手な者もおり、贔屓筋からは御祝儀がもらえるので、絶好の活躍の場ともなっている。売れない演歌歌手がキャバレー回りの合間にアルバイトをしている場合もあるくらいである。俗に「歌は三分間のドラマである」と言われているが、ともかくも劇団員は自分一人のためにこの数分間をもらって、自分を売る出すことができるのである。ちなみに、劇団の座長になるためには、この歌謡ショーで実力を発揮できなければならない。楽器の演奏でもよい。歌でもよい。座長一人で観客を魅了することが不可欠になる。
 第3部は「キリ狂言」と呼ばれる。劇団の座長が主役となって行う本格的な芝居であり、その日の極め付きが演じられる。内容は、歌舞伎、新派、新国劇、現代劇ありというように多種多様である。要するに、大衆が安い料金で大劇場もどきの芝居が見られれば何でもよいのである。芝居に台本はないので、セリフはすべてアドリブである。劇団や役者によっては、独特の「決まり文句」をもっている。曰く「日にち毎日」、曰く「・・・をば・・・」、曰く「俺の話をよおーっくきけよーっ」、曰く「知らなんだ、知らなんだ、知らなんだ・・・」、時には「ソコントコ、ヨロシク」「シバズケ タベタイ」などという流行語が入ることもある。共通していることは「ない」という言葉を「ありゃあしない」というように長く伸ばして言うことである。いずれにせよ、役者にとってこのセリフ回しは重要であり、極端に言えば大衆演劇の芝居はこのセリフ回しによってのみ展開するといっても過言ではない。したがって、喋ることができない役者は一人前ではないのである。
第4部は舞踊ショーである。これは、寄席などで噺家が噺の後に演じる余興のように思われがちだが、そうではない。役者一人一人が流行歌にのせて踊ることにより、文字通り「三分間のドラマ」を、しかも「独り舞台」で演じることになる。大切なことは、舞踊ショーを単なる「舞踊」と間違えてはならないことである。劇団では「創作舞踊」と称しているが、ここでの踊りはナントカ流と名の付いた上品なものではない。まさに大衆演劇の真髄というべきものであり、役者の芸の見せ所なのである。踊りの曲にはほとんど泥臭い「演歌」が使われているが、聞くだけでは取るに足らないと思われている流行歌でも、実力のある役者の踊りに使われると、たちまち名曲に変身してしまうほどである。大衆演劇の愛好家はこの舞踊ショーを最も重要視しているが、それは役者の踊りを見ながら、この「演歌」の変身を期待しているためである。役者はこの「独り舞台」によって、時には入場料の何十倍の御祝儀をもらうことができる。しかもその機会は誰にも平等に保証されているのである。
 これまで、大衆演劇のプログラムについて述べてきたが、以上を踏まえてその「見方」を箇条書的に挙げてみたい・
1 大衆演劇は「もどき」(本物らしさ)を楽しむために見る。
大衆演劇は低料金で見られるところに特徴がある。したがって本物を求めてはならない。芝居にせよ、歌にせよ、踊りにせよ、すべて本物「らしく」見せるところに真髄がある。客は本物のようで実はそうではなく、かといって全くの偽物でもないような「もどき」の世界を楽しむのである。
2 大衆演劇は、日常の生活で生じた「疲れ」を取り去るために見る。
 プログラムは3時間以上に及ぶものであるから、集中して見ることは禁物である。むしろ桟敷に横になって、居眠りをしながら見る方がよい。コップ酒や缶ビールを飲みながら見るのもよい。いずれにせよ、あまり夢中になってみるものではないから、前の客の頭が邪魔だとか、贔屓筋の嬌声がうるさいとか、あまり気にかけないことである。
3 座席は、前列の方ではみない。
歌謡ショーの音量がかなり大きいので、耳を痛めるおそれがある。長時間舞台を見上げていると、首が痛くなるのは通常の劇場でも同じである。
4 芝居の筋書きにはこだわらないで見る。
芝居に台本はなく、ほとんどがアドリブで展開するので、時には何が何だかわからなくなってしまう場合がある。極端な場合には、登場人物の名前が変わってしまうこともあるので、あまり細かいことを詮索しないで見ることが大切である。
5 役者の名前を早く覚え、役者同士の人間関係を知る。
 劇団員は、役者になったり、照明係になったり、楽団員になったり、歌手になったり、踊り手になったり、一人で何役もこなすのでぼんやり見ていると別人のように錯覚することがある。一人の人間が様々に変身することが「もどき」であり、そこに大衆演劇の真髄があるのだから、何という役者が今何をしているかを正確に把握しておかなければならない。また、今登場している役者同士が、実際は夫婦であるのか、兄弟であるのか、親子であるのかといった人間関係を知ることも大切である。「いつまで遊び回っているんだい!この宿六!」といったセリフが実際の夫婦同士の役者間で交わされるからこそ、大衆演劇は面白いのである。役者同士がどのような人間関係かを知ることは簡単である。芝居を見ないで交わしている客同士の会話を盗み聞きすればよい。大衆演劇の愛好家は、役者の地縁、血縁はもとより、命日、病名まで知っているものである。


以後、里見要次郎、澤村千代丸、「ちび玉三兄弟」(若葉しげるの孫・若葉紫、若葉市之丞、若葉竜也)などの舞台に親しんだが、約20年間、私の関心は「大衆演劇」から遠のいていた。
 近年、「低俗化」「醜悪化」「荒廃化」の一途をたどる「テレビ文化」には見切りをつけ、再び「大衆演劇」を見はじめるようになった。その第一印象は、まさに「隔世の感がある」ということであろうか。
この20年間で、「大衆演劇」はずいぶんと様変わりした。まず第一に「劇場」の数が激増したことである。それまでの、いわゆる(常打ち)「芝居小屋」31箇所に加えて、温泉旅館・スーパー銭湯、レジャー施設などに併設される「劇場」は、北は青森、南は熊本まで全国各地に(不定期公演を含めると)126箇所も点在している。当然のことだが、「劇団」の数も130余りに増えたことになる。第二は、プログラムの変化である。「前狂言」「歌謡ショー」は姿を消し、ほとんどの劇団が「ミニショー」(顔見せ)、「芝居」「口上」「舞踊ショー」という構成にしている。その結果、役者の歌唱、楽器演奏は極端に縮小された。第三は、照明、煙幕など効果技術の向上である。それまでは客席後方からの「投光」、舞台天井からの「紙吹雪」程度であったものが、今ではハイテク機器を活用した背面画像、ミラーボール、点滅機器を活用した、色彩豊かな照明効果で舞台を盛り上げている。第四は、ワイヤレスマイクの活用である。どんなに小さな芝居小屋でも、役者のほとんどが自分用のワイヤレスマイクを装用している。その結果、「セリフが聞こえない」ということは無くなったが、どんな役者のどんなセリフも同じスピーカーから聞こえてくるので、「音の距離感」「方向性」が単調になり、テレビを観ているような錯覚に陥ることがある。第五は「客層」の変化である。圧倒的に女性が多い。幕間のトイレで男性用は閑散としているのに、女性用はつねに「行列」ができている。第六は「御祝儀」の提供方法である。贔屓の役者に「花を付ける」などと称して、万札を「飾り付ける」方法が流行している。従来は、いわゆる「おひねり」として客席から舞台に投げ込む方法が主流であったが・・・。
 とはいえ、かつての「大衆演劇」の真髄は健在であった。この半年間、私が観劇した劇場、劇団は以下のとおりである。
 東京篠原演芸場  都若丸劇団、市川千太郎劇団、姫京之助劇団、澤村章太郎劇団、           小泉たつみ劇団、津川竜劇団
東京浅草木馬館  劇団春陽座(澤村新吾)、近江飛龍劇団
東京浅草大勝館  小林劇団(小林真)
横浜三吉演芸場  恋川純弥劇団、橘劇団(橘菊太郎)
川崎大島劇場  龍千明劇団、劇団荒城 
立川大衆劇場 南條駒三郎劇団、劇団扇也(三河家扇弥) 
青森健康ランド 梅乃井秀男劇団
柏みのりの湯  劇団美鳳(林京助)、風見涼太郎劇団、春川ふじお劇団、鹿島順一劇
団、橘小竜丸劇団
 佐倉湯ぱらだいす 葵好太郎劇団、見海堂駿劇団、市川英儒劇団
川越湯遊ランド 劇団松(桂木祐司) 
大宮ゆの郷 若葉劇団(若葉しげる)
小岩湯宴ランド 中野弘次郎劇団、司京太郎劇団
名古屋鈴蘭南座 南條隆劇団(スーパー兄弟)
大阪浪速クラブ 劇団花吹雪
大阪鈴成座 南條光貴劇団
大阪梅南座 澤村謙之介劇団
奈良大和座 (小林劇団)
 私が観劇した劇場は17、劇団は32であり、全国的規模から見れば、劇場14%、劇団25%程度に過ぎない。正に「百花繚乱」、今や「大衆演劇の隆盛ここに極まれり」というところだが、現実はそれほど甘くないように感じる。大半の劇場が、観客数30人前後で推移しており、昭和47年(1972年)当時の「わびしさ」は健在であった。劇団の方々には失礼かも知れないが、「それでよいのだ」と私は思う。時には10人程度の観客であっても、決して「手を抜かず」懸命に、誠実に舞台を務め続けている劇団員に、私は心から拍手を送りたい。視聴率稼ぎのために「低俗化」「醜悪化」「荒廃化」したテレビ芸人、高価な入場料を取って未熟な芸を晒している大劇場の役者に比べれば、「雲泥の差」「天と地の違い」があるのである。各劇団、座長クラスの芸は「天下一品」であり、それらを結集すれば「演劇界」最高峰の芝居を創り出せると私は確信する。  
大衆演劇の真髄である「もどき」の伝統は確実に継承され、その至芸は質素な舞台のあちこちに、華麗な花を咲かせている。各劇団では、親から子、子から孫の世代に移り変わり、親は「太夫元」、子は「座長」、孫は「花形」として、芸道に励んでいる姿は、見る人の心を打たずにはいられない。舞台技術の進歩と同様に、各劇団の演技力、芸風も着実に向上していると、私には思われた。
 30年前、<大衆演劇は、日常生活の中で生じた「疲れ」を取り去るために見る>と書いたが、21世紀の大衆演劇は<功利を求めて汚れてしまった私たちの「心」を浄化し、助け合って生きる「元気」と「喜び」をもらうために見る>と言った方がよいかもしれない。
 この章の終わりに、大衆演劇をさらに充実・発展させるため、いくつかの提言をしたい。
1 音響効果に留意する。
ハイテク機器の活用により、照明効果の技術は格段に進歩したが、「音響効果」にはきめ細かな配慮が必要である。【大衆演劇の見方】では<歌謡ショーの音量がかなり大きいので、耳を痛めるおそれがある>と書いたが、その問題は今も解決されていない。特に、ワイヤレスマイクを装用して、セリフの「声を張り上げる」ことは禁物である。音の大きさには「快適レベル」というものがあり、それを超えると「不快」「痛覚レベル」になってしまう。スピーカーの位置との関係でハウリングが起き、せっかくの「芝居」を台無しにするおそれもある。そんな時、近江飛龍劇団は役者の肉声だけで芝居を展開していた(東京・十条篠原演芸場)が、その努力を賞賛したい。
 また、舞踊ショーにおける「音楽」も、総じて音量が大きすぎる。舞台の雰囲気を盛り上げるために、ある程度の音量(80~90デシベル程度)は必要だが、それ以上になると「音色」の美しさは喪失し、リズムだけが強調されてしまうことを銘記すべきである。
設置されているスピーカーの性能(音量の許容範囲)を考慮して、つねに「快適レベル」の大きさを追求する努力が必要である。そのためには、客席でのモニターが不可欠であり、後方から投光する照明係との連携を密にすることが大切である。
2 舞踊ショーは、同時に「歌謡ショー」でもある。
 「歌謡ショー」が消滅し、役者の歌唱、楽器演奏は極端に縮小した。(小林劇団の太鼓ショー、リーダー小林真弓の歌謡ショー、近江飛龍の笛、小泉たつみ劇団三味線ショー、恋川純の津軽三味線、鹿島順一の歌謡ショーなどは珠玉の舞台として、私の心に刻まれているとはいえ・・・。)【大衆演劇の見方】で述べたように、<踊りの曲にはほとんど泥臭い「演歌」が使われているが、聞くだけでは取るに足らないと思われている流行歌でも、実力のある役者の踊りに使われると、たちまち名曲に変身してしまうほどである。大衆演劇の愛好家はこの舞踊ショーを最も重要視しているが、それは役者の踊りを見ながら、この「演歌」の変身を期待しているためである>。つまり、各劇団は、「舞踊ショー」を演じながら、それを同時に「歌謡ショー」に変身させてしまえばよいのである。役者は歌わなくてよい。踊ることによって、流行歌手の「歌唱」を「自家薬籠中の物」にしてしまうしたたかさを期待する。現在、「組舞踊」として、歌謡浪曲、端唄、新内などを取り入れた演目がないわけではない。「美空ひばりショー」「五木ひろしショー」「三波春男ショー」のような演出もある。しかし、役者の個性・長所を生かすためには、「舞踊ショー」全体を、現代の「流行歌大全」という形として表現するような演出が試みられてもよいのではないか。言い換えれば、舞踊に適した曲よりも、現在ヒットしている「流行歌」(ポップス、ジャズ、フォーク、カントリー、クラシックなど、ありとあらゆるジャンルを含む)を中心に「舞踊ショー」を構成するのである。観客は「舞踊」を通して「音楽」を聞く、その流れの中には「現代」「庶民」「心」といったテーマが一貫している、そのような「舞踊ショー」を私は観てみたい。
3 観客に媚びない。
 テレビの「視聴率」が、その番組の「質」に比例しないのと同様に、その劇団の「集客能力」と「実力」は比例しない。連日の「大入り」は「人気」のバロメーターであるには違いない。しかし「大入り」を目指して、修業を怠ればすぐに飽きられてしまう。大切なことは、大勢の観客を喜ばせるよりも、「お寒い中、お足元の悪い中、そして数ある娯楽施設のある中、当劇場に御来場下さいましたお客様」を「感動」させることである。大衆演劇の観客は、ただ単に「芝居」や「踊り」を観に行くのではない。「役者に会う」ために通っているのである。言い換えれば、役者とのコミュニケーションを求めるために行くのである。役者が舞台から降りてきて「暑いですねえ、お客さん」と話しかけてくるところに、大衆演劇の真髄があるのだから、観客にとって役者は「他人とは思えない」のである。したがって、観客は、今日の「入り」の状況を役者以上に心配している。そんな時、「客の入り」など歯牙にもかけず、淡々と「いつものように」幕を開け、笑顔で演じとおせる劇団が、本当に「実力」のある劇団といえよう。たった8人の客を相手に、喜劇「もどき」の「権左と助中」を見事に演じた(佐倉・湯ぱらだいす)「見海堂駿劇団」を私は心から尊敬している。後日、同じ劇場、同じ劇団、観客は「大入り」であったが、舞台の「できばえ」は、その時に及ばなかった。「大衆演劇」の「できばえ」は「一期一会」であり、観客との(無言の)コミュニケーション(阿吽の呼吸)に因るということの、恰好な一例といえる。それゆえ、各劇団は、「客の入り」が少なければ少ないほど、舞台に全力を投入しなければならないと、私は思う。
 観客とのコミュニケーションを図る上で「口上」は重要である。通常は「座長」「太夫元」「後見」など劇団の幹部が登場し、来場に対する「感謝」の言葉を述べ、翌日の演目を披露したり、劇団の内幕、心情をを吐露したりする。観客は「口上」を通して、劇団とのコミュニケーションを深めることができるのである。「風見涼太郎劇団」の太夫元・風見翔蔵、「鹿島順一劇団」の座長・鹿島順一、見海堂駿劇団の座長・見海堂駿及び専務・コマト(子役)などの「口上」は絶品であった。                       4 「役者紹介」を確実に行い、劇団全員の「芸名」を観客に周知徹底する。【大衆演劇の見方】で述べたとおり、観客は<役者の名前を早く覚え、役者同士の人間関係を知る>ことを求めている。「雪乃丞変化」という演目があるように、役者の真髄は「変化(へんげ)」にあるとすれば、誰がどんな役を演じているか容易に見分けられないのが常であろう。したがって、「芸名」は役者の「命」に他ならない。芝居の開演前に「○○(役名)一役演じます、○○○○(芸名)」と紹介する劇団、芝居に登場する際に「座長○○○○(芸名)」というように紹介する劇団もあるが、全く紹介しない劇団も多い。私自身、「あの役者は誰だったのか?」という疑問をかかえたまま終演になることも、しばしばであった。「舞踊ショー」の登場前に紹介のアナウンスがあっても、騒音に近い曲のイントロに重なって聞き取りにくいことが「実に多い」のである。劇場の表看板には、芸名が列記されているとはいえ、「顔と名前が一致しない」。「明日も観に来ればわかる」「役者に直接聞いてください、喜びます」と言われれば「おっしゃるとおり」ではあるのだが・・・。 


 以上、大衆演劇の愛好者としてはまだ「駆け出し」の未熟者が、僭越な提言をさせていただいた。まだ私の知らない劇場、劇団が8割以上あるので、今後、一つでも多くの観劇を果たし、「大衆演劇」の世界に浸ることを楽しみにしている。(2008.12.9)