梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「劇団新喜楽座」(座長・松川小祐司)

【劇団新喜楽座】(座長・松川小祐司)〈平成26年12月公演・千代田ラドン温泉センター〉
座長・松川小祐司の父は松川祐司、母は松川さなえ、祖父は松川友司郞、かつては「劇団松」(座長・松川祐司)の子役として、弟の副座長・松川翔也として売り出したが、なぜか「劇団松」は座長・松川祐司とともに姿を消し、今は、祖父の義弟・旗丈司の「劇団喜楽」を(母と共に)継いで「劇団新喜楽座」を率いる身となったか。「劇団喜楽」の前身は「新演美座」、さらにその前身は「演美座」(座長・深水志津夫)、祖父の松川友司郞も(その義弟)旗丈司も、その名舞台で技を磨いてきたのだから、まさに「栄枯は移る世の姿」を目の辺りにして、感慨も一入であった。芝居の外題は、時代人情劇「波に咲く花」。幼い時に両親を亡くした兄妹の物語である。兄・仁蔵(松川さなえ)は妹・お志津(松若さやか)の面倒を見ながら親代わり、大店の伊勢屋に奉公していたが、大番頭からいじめられて相手を殺害、島送り5年の刑となった。お志津は途方にくれ、身投げをしようとしたが、綿職人・仁助(副座長・松川翔也)に助けられ、結ばれた。今では子どもも生まれ「幸せ」に暮らせるはずだったが、なぜか仁助は「飲む・打つ・買う」の三道楽、隣人のうどんや夫婦(夫・大和歩夢、妻・座長松川小祐司)から手内職の仕事をもらって、その日を凌いでいる。そんな折、兄の仁蔵が突然たずねてきた。島では模範囚、5年の刑期を3年終えたところで御赦免状を頂いた由、再会を喜ぶ兄妹の所にやってきたのがうどんやの女房おろく、兄は妹の亭主のことをそれとなく尋ねるが、おろく、「ええ、そりゃあもう、大変な大酒飲み」と言った後で(お志津に制され)「・・・それは、わたしのおっかさんです」、「博打なんかしませんか」「ええ、そりゃあもう、競馬競輪、パチンコ、麻雀、おいちょかぶ・・・」と言った後で(お志津に制され)「・・・それはわたしのおっかさんです」。仁蔵役の松川さなえ(笑いをこらえ)おっかさんに返って、「それで、おとっつあんは?」「ハイ、行方不明です。帰ってくるでしょうか」「そのうち、帰ってくるでしょう」といった「やりとり」(楽屋ネタ・親子の会話)が、何とも可笑しかった。大詰めは、仁蔵と仁助の対決、仁助の放蕩の原因は仁蔵の島送りが原因と思われるが、今日の舞台はそのことに触れず、愁嘆場へ。仁助を組み伏した仁蔵、刃を振りかざしたが、お志津が差し出す赤児の姿を見て思いとどまった。仁助の前にひれ伏して、妹の「幸せ」を懇願する。一息あって、無言のまま両者の手をとり重ね合わせたとき、聞こえてきたのは小林旭の名曲「巷の子守歌」(詞・サトウ進一、曲・鳥井実)、詠っていわく「雨にぽつんと叩かれて 思い出したよ ふるさとを 明日は流れてどこへやら 昭和さすらい子守唄 たたみ三枚ある部屋で はだかランプがさみしいね 負けちゃだめだよ貧しさに 昭和無情の子守唄 一人ぼっちが淋しいと 若い命をなぜ捨てる 熱い涙をながそうよ 昭和この世の子守唄 同じさだめで流されて みんな生きてる迷いつつ 肩をよせあい聞くもよし 昭和巷の子守うた」。その言葉のはしはしに、「改心」した仁助の心根が窺われる天下一品の「節劇」で、この舞台は終演となった。「劇団新喜楽座」の表看板には、旗丈司、春野すみれ、金井保夫ら大ベテランの名前も見えたが、彼らの「後見」抜きで、珠玉の景色を描出した若手の面々に拍手を贈りたい。感謝。
(2014.12.15)