梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「劇団春駒」(座長・美波大吉)

【劇団春駒】(座長・美波大吉)〈平成26年5月公演・なか健康センター〉
この劇団の舞台は初見聞である。インターネットのサイト「0481jp」では以下のように紹介されている。〈演友会所属。昭和57年(1982年)、現太夫元である美波昇太郎が座長として劇団を旗揚げ。15年ほど前に、先代の後見である花柳清が、おもちゃの「春駒」のように、皆さんに楽しんでいただきたいと、「劇団春駒」と名づける。世話物や人情物の芝居を得意とし、一生懸命をモットーに、各地を回っている。(演劇グラフより引用)〉。劇団員は、「座長・美波大吉、花形・美波斗輝、美波勝也、美波天、美波翔太、美波恵太、名花・美波風雅、美波希理、美波志穂、美波優輝、宇佐美千春、頭・花柳きよし、太夫元・美波昇太郎」と紹介されているが、今日の舞台では「多少の出入り」があったかも知れない。第一部、芝居の外題は「房吉懺悔」。幕が開くとそこは峠の茶屋、老婆(美波風雅?・好演)と孫娘・りつ(美波志穂?)で切り盛りしている様子、りつ、は今日もまた店先の縁台で縫い仕事を始めた。そこにやって来たのが、古屋一家の親分・孝次郎(美波斗輝)と用心棒・佐藤弥十郎(座長・美波大吉)たち、旅の途中で一休みとなったが、親分、りつの姿をひと目見るなり「固まった」。どうしても嫁にしたい、仲人を用心棒に依頼するが、「わしは無骨者、そのような仕事は房吉が向いている」。そこへ、遅れていた三下の房吉(頭・花柳きよし)が登場、一同はその縁談話を房吉に託して立ち去ってしまった。房吉、突然のことで思案に暮れたが「ままよ、当たって砕けろ」と亭主の老婆に交渉、「親分が一目惚れ、嫁にほしいと言ってなさる」「おやまあ、こんな年寄りを!、まだ役に立つかしら」「何を言っているんだ、おまえさんじゃあない、あの娘の方だ」といったやりとりが絶妙でたいそう面白かった。老婆、「あの娘は私の孫、事情があって嫁に出すことはできません」「そこを何とか」「いいえ、できません」「では、ここで死ぬしかない」「どうぞ、どうぞ、死んで下さい」「よし!」と言って腹を突こうとする景色は、あの名狂言「浜松情話」(「鹿島順一劇団」)と「瓜二つ」・・・。二人のやりとりを見聞していた孫娘のりつ、意外にも「おばあちゃん、私、お嫁に行きます!」「そんなこと言ったって、おまえ大丈夫かえ?」「大丈夫よ」「もし、旅人さん、孫がそう言っておりますのでよろしくおねがい申します。でもその前に断っておくことがひとつ。孫は『引き』ますよ」「何、『引く』?遠慮深くていいじゃあねえか」、案の定、りつの歩様は著しくバランスを欠いていた。しかし、「浜松情話」と違って、三下の房吉、そんなことは歯牙にも掛けず、親分のもとへ同行するといった次第。かくて、りつはめでたく一家の姐さんに納まり、胎児を身ごもったが、用心棒・佐藤弥十郎は奸計を図って一家を乗っ取る気配。親分に向かって「姐さんの子どもは房吉の種、わしは間男の場面を目撃した」、親分、はじめは取り合わなかったが、次第に疑心暗鬼、とうとう房吉とりつを追い出してしまった。弥十郎、我が意を得たりと自分の愛人(美波希理?)を親分に提供、「薬を盛りはじめた」。親分の体調が衰えるや、房吉とりつも始末にかかるが、房吉、敢然と弥十郎に立ち向かい、愛人ともども「返り討ち」にする。しかし、自分も負った深手で絶命する、「親分!疑いは晴れましたか」という最期の言葉が、たいそう爽やかであった。今日は頭・花柳きよしの誕生日とあって、彼に主役を譲り、自分は悪逆非道の仇役に回った座長の計らいも、また、爽やかであった。(事実、閉幕後の口上まで、私は誰が座長なのか判然としなかった。また老婆役を演じた女優は誰?不明のままであった)


 第二部・歌謡舞踊ショーもまた、見所満載。座長の個人舞踊は女形「銀の雨」、歌唱は「済州エア・ポート」、花形・美波斗輝の女形舞踊(曲名不詳・「一度は愛したんだもの、お願い 悪くはいわないで」という歌詞が聞こえたが・・・)、若手・美波遙の洋舞(扇子づかいが秀逸)、頭・花柳きよしの個人舞踊「みちづれ」、同じく美波天の「都忘れ」、名花・美波風雅の「恋唄綴り」(好演)、美波志穂の「好きになった人」等々、百花繚乱の舞台模様を十分に満喫することができた。閉演後、大浴場で自慢の「絹の湯」「酸素風呂」も堪能、今日もまた大きな元気を頂いて帰路に就くことができた。感謝。
(2014.5.9)