梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「劇団紫吹」(座長・紫吹洋之介)

【劇団紫吹】(座長・紫吹洋之介)〈平成26年2月公演・焼津駅前健康センター〉
芝居の外題は「かげろう笠」。箱根の山中で山賊に襲われていた盲目の若侍(茜大介)を、旅人の女賭博師・かげろうのお勝(副座長・要正大)が助けるという物語である。この演目を、私は「劇団朱光」の舞台で見聞済み、どちらの出来映えが上か下かを「品定め」する気分で興をそそられたが、「いずれ菖蒲か杜若」、さもありなん、座長・紫吹洋之介と水葉朱光は、「若葉劇団」総帥・若葉しげるの兄妹弟子だとすれば、どちらも「負けるわけにはいかない」。まさに「甲乙をつけがたい」舞台模様であった。とりわけ、副座長・要正大扮するかげろうお勝の風情は絶品で、総帥・若葉しげるの(軽妙洒脱な)「芸風」を見事に踏襲していた、と私は思う。筋書きは割愛するが、見所は満載で、①冒頭場面の若侍とお勝の「絡み」、②江戸で髪結いをしているお勝の兄・新三郎(座長・紫吹洋之介)の、いなせな「風情」、③そこに(お勝の借金をとりたてに)やって来たヤクザ・猫目の(?)六蔵(愛染菊也)と新三郎の「絡み」、ヤクザと髪結いでは、どうみても「実力」は猫目の方が上のはず、はじめは下手にでていた新三郎だが、いざとなれば、小気味よい啖呵で猫目を「震え上がらせる」、その逆転模様が何とも可笑しかった。④若侍の目を治そうとお勝、必死に稼いだが快復は、はかばかしくない。消沈気味の様子を見て、新三郎いわく「このままじゃあ、治るわけがねえ。お前が稼いだ金は、イカサマのアブク銭、天の神様が見ていらっしゃる」、お勝「どんなお金だって同じじゃないの」と抗するが「バカを言ってはいけない。お前が本当に万チャン(若侍)の目を治したかったら、堅気になって、汗水流して働くことだ。その気持ちが万チャンの目を治すことになるんだぞ」というやりとりは、拝金主義の現代においては、ひときわ「説得力」があった。⑤お勝、心を入れかえて昼は沖仲仕、夜は仲居、とどのつまりが長い黒髪まで売って、治療代を捻出、大詰めではめでたく若侍の目は開いたのだが、その万チャンは、実は尾張大納言万太郎宗冬様という若大名であった。一時は、その人との「縁談話」まで持ち上がっていたのだが、お勝も万チャンも「その気」になっていたのだが・・・、「身分の違い」まではどうすることもできず、新三郎と腰元(座長の姉・愛寿々女)の説得によって、「縁談は破談」。お勝は、尾張に帰って行く万チャンの後ろ姿を見送るだけだった。そして一言、「兄ちゃん、アタシはまた元の女に戻るよ」。その幕切れは、屏風絵のように美しくも哀しかった。
 実を言えば、私はこの芝居の幕が下りるまで、お勝を演じていたのは、座長・紫吹洋之介だとばかり思い込んでいた。それにしても兄・新三郎を演じていたのは誰だろう、ずいぶん達者な役者がいるものだと思っていたのだが、閉幕後の口上で座長登場、なんと新三郎の舞台衣装であったとは・・・。だとすれば、お勝は副座長・要正大、「随分と腕を上げた」ものだと感嘆してしまった。私が以前見聞した芝居は「大島情話」、そこでは二枚目の「立ち役」であったが、今日のような「存在感」はなかったように思う。それとも、彼の「はまり役」は「女形」、舞踊ショーの艶姿もひときわ鮮やかであった。斯界の大御所・若葉しげるの「跡目」(芸風)を継ぐのは、要正大、水葉朱光、そして「若姫劇団」の愛望美・・・、枚挙に暇がないようである。焼津名物の「鰹三昧」「黒はんぺん」を賞味しつつ、そんなことに思いを巡らせていた次第である。
(2014.2.10)