梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「南條隆とスーパー兄弟」(座長・龍美麗、南條影虎)

【南條隆とスーパー兄弟】(座長・龍美麗、南條影虎)〈平成21年1月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
 「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 南條隆とスーパー兄弟 演友会所属。初代・南條隆座長が、昭和10(1935)年に、熊本の二本木劇場で「南條隆劇団」を旗揚。宙づりなどのオリジナル芝居で大人気となる。昭和39(1964)年に現在の座長である二代目・南條隆座長が襲名。舞台では美しい夢を見せるというのが、初代からの劇団の伝統。平成7(1995)年より、年間150本にも及ぶ全国ツアーを続けている。スーパー兄弟による、宝塚のような美しく華麗なショーは、多くのファンを魅了している。 座長 南條隆 昭和22(1947)年9月8日生まれ。熊本県出身。血液型B型。演友会会長代行。初代・南條隆の次男。3歳で初舞台を踏む。昭和39(1964)年に17歳で二代目・南條隆座長を襲名。「ショーは宝塚であれ」「美しくあれ」をモットーに、大衆演劇を全国に広めている。座長 龍美麗 平成元(1989)年8月3日生まれ。福岡県出身。血液型AB型。南條隆座長の長男として生まれ、3歳で初舞台を踏む。それ以後、「ちび玉兄弟」として、弟・南條影虎と人気を集めテレビなどでも取り上げられる。平成19(2007)年5月に、座長を襲名。女形の美しさはさることながら、長身を生かした華麗な洋舞も見どころの一つである。座長 南條影虎 平成2(1990)年11月27日生まれ。福岡県出身。血液型O型。南條隆座長の次男として生まれ、2歳の時に舞踊「次男坊がらす」で初舞台を踏む。それ以後、「ちび玉兄弟」のコピーたかしの名で、兄・龍美麗と人気を集めテレビなどでも取り上げられる。平成19(2007)年5月、座長を襲名。若いながら古典舞踊や歌舞伎舞踊などを得意としている〉とある。また、キャッチフレーズは、〈全国ツアーも展開する名門「南條」の舞台! 年間150本に及ぶツアーを展開する「南條隆とスーパー兄弟」。熱く繰り広げられる芝居と宝塚のように華やかなショーを存分にお楽しみください〉であった。
 私がこの劇団の舞台を初めて観たのは、平成19年秋、名古屋・鈴蘭南座であった。この劇場は「昔ながらの芝居小屋」と銘打っているように、そのたたずまい、桟敷席・客筋の雰囲気、売店の「おでん」等々、大衆演劇を楽しむには「最高の環境」を準備している。特に、客席後方の投光器の足元では、本物の「招き猫」が客に愛想を振りまいているなど、入館しただけで、日頃の疲れが癒されるという仕組みになっている。そんな中で、南條隆の「立ち役舞踊」、南條影虎の舞踊「俵星玄蕃」と「夢千代日記」は、天下一品の出来栄えとして光り輝いていた。あれから1年以上経過したが、当時の「華麗な舞台」は、そのまま健在であった。プロフィール、キャッチフレーズにもあるように、この劇団の使命が「大衆演劇を全国に広めること」だとすれば、その責務は十分に果たされているといえるだろう。その方向は、いわば「量的な拡大を図ること」、どちらかといえば「質的な向上」が「二の次」になることはやむを得ないかもしれない。事実、今回の舞台、1年以上前に比べて大きな「変化」(へんげ)は感じられなかった。芝居の外題は「上州百両首・月夜の一文銭」。みなしごの義兄弟が「堅気になって、出世争い」を決意、再会を約して一文銭を交わし合う。そして約束の日、兄は盗賊、弟は目明かしの下男として再会、弟が兄を召し捕って閉幕という大衆演劇の定番。だがしかし、この劇団の役者は「二枚目」ばかり・・・。
「三枚目」の弟役を龍美麗が「藤山寛美もどき」で演じたが、「所作」「表情」が「今一歩阿呆になりきれない」。
 まあ、それはそれでよし、「大衆演劇を全国に広めるために」活躍を期待したい。
(2009.1.16)