梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

五島列島・福江島

「よくばり!五島列島と壱岐・対馬の旅4日間」の最終日は五島列島・福江島。見どころは、「堂崎天主堂」「武家屋敷通り」「大瀬崎断崖展望台」「井持浦教会」「高浜ビーチ」「遣唐使ふるさと館」などなど、ほぼ福江島を一周するコースを辿ったが、私が最も面白かったのは、その案内に立った女性ガイドの「説明ぶり」であった。本人の弁によれば、容貌は「和田アキ子」然、口調は「上沼恵美子」風。その一言一言が、抱腹絶倒の連続で、涙が止まらなかった。例えば、「五島はキリシタンの島と言われております。この福江島にもキリシタンの集落が点在しており、仏教徒の集落と共存しております。その違いは墓地を見ればわかります・・・。ところで皆さん、私はどちらだと思いますか。どうですか、容姿はマリア様の生き写し、そうキリシタンだと思われるでしょう?どころがどっこい、仏教徒なんです。宗派は浄土真宗。そこのお母さんは《皆の衆》。「皆さん、右手を見てください、高等学校です。私と《年の離れた》弟が通っています。その隣が中学校。私と《もっと年の離れた》妹が通っています」「皆さん、見てください。道路下の畑の中、このバスのドライバーの邸宅です」(見ると、そこは物置小屋)「あ、すみません。違いました。ドライバーの別宅でした。奥様に叱られたとき、そこで一夜を過ごすそうです」「これから行くところは高浜ビーチ。その砂浜は日本一美しいと言われています。でも残念、今は海水浴ができません。では、こうしましょう。来年の夏、皆さん全員でここに集合、その時の服装を私が指示します。女性のお客様はビキニ、男性はフンドシ!いかがですか!?」同行客の高齢女性「そんなこといったって・・・」とはじらう様子を見て、ガイドが抱腹絶倒。「お客様、ステキ!私、お母さんのこと大好き!」。三十余名の旅行客を相手に「寄席気分」を描出してしまう「仕事ぶり」が何とも爽やかで、大いに満足した次第である。さらに一つの収穫は、「堂崎天主堂」に展示されていた数々の「マリア観音像」を見聞できたことである。なるほど、カクレキリシタンの象徴・マリア観音とは、かくも質素なものであったのか。私の脳裏には、おのずとあの名狂言・「マリア観音」の舞台模様が浮かんできたのである。


【劇団素描・「三河家劇団」お見事!「マリア観音」屈指の名舞台(離れ業)】
午後0時30分から、「佐倉湯ぱらだいす」で大衆演劇観劇。「三河家劇団」(座長・三河家桃太郎)。芝居の外題は「マリア観音」、大衆演劇の名作である。配役は、父・阿部豊後守と母・お蔦(元芸妓・蔦吉)二役が座長・三河家桃太郎、その息子・霞の半次郎に三河家諒、その仲間(巾着斬り)たちに美河賢太郎、美河寛、京華太郎、目明かしの藤造に客演・奥村武仁という面々であった。阿部豊後守がまだ部屋住みの時代、芸者・蔦吉と恋に落ちて駆け落ち、長屋での生活を始め、一子・半次郎をもうけたが、家督の問題が生じて「生き別れ」・・・。十数年後に再会したときは、父は出世して奉行、一方、息子は「やさぐれて」大罪人。お互いが父子であると知ったとき、母は責任を感じて自死、父子ともに絶望して「合い果てる」といった、なんとも「悲しい運命の物語」である。「マリア観音」とは、(それを信仰すれば)「死んだ者なら生き返る、別れた者なら再び巡り会える」という隠れキリシタンの偶像(象徴)に他ならないが、「生き別れ」になった妻子に「一目会いたい」と独身生活を続ける父・阿部豊後守の「思い」が染みこんだ代物。それを盗んだ仲間たちを斬殺してまで「取り戻そう」とした息子・半次郎の「心根」も反映されているという具合で、座長・三河家桃太郎の言葉によれば、「このお芝居は、物語自体が鉄板だと思います」(『演劇グラフ』vol92・2009②「みかわやいずむ」)ということになる。舞台の出来栄えは、その悲劇的・絶望的な気配にもかかわらず、景色・風情は、あくまでも「艶やか・華やか」然、「大江戸の絵巻物」を観るようで、まさに看板通り「商業演劇にひけをとらない」どころか、大歌舞伎、大劇場の「退屈な舞台」など「足元にも及ばない」ほどであったと、私は思う。この劇団の役者は、座長を筆頭に、「ほんのちょい役」、若手、はしたに至るまで、「芝居とは何か」を熟知している。つねに、舞台の人物全員で「どのような景色を醸し出すか」(絵を描くか)というテーマが念頭にあり、一挙一動、一頭足に「無駄がない」(意味がある)ことが特長である。さればこそ、開幕と同時に、文字通り「錦絵」のような景色が、「絵巻物」のように展開していくのだろう。とりわけ、今日の舞台では(と言ってもいつものことであろうが)、阿部豊後守とお蔦の二役を座長が「演じ分ける」という「離れ業」は《お見事!》の一語に尽きる。顔を合わせることなく「思い合う」二人の人物を、一人の役者が演じるのは「至難の業」、それを、いとも平然と(淡々と)演じきってしまう五代目・三河家桃太郎の「実力」は半端ではない。再び、座長の言葉。「お蔦を演じた時、僕がお蔦を演じていたのではなくて、そこにお蔦がいたと思ってもらいたいですね。それと僕はお芝居には『想像力』が大切だと考えています。役者も想像しながら演じないといけないし、観ているお客様に想像をさせなきゃいけない・・・。」(前出書)おっしゃるとおり、今日の舞台では、阿部豊後守、お蔦、半次郎の「姿」「形」を通して、その「三者三様の思い」が「ひしひしと、こちらの胸に伝わってきたのである。まさに「想像力の産物」であろう、と心から納得した。観客数は、いつもより多め(七、八十名?)、その人たち「マリア観音」を観るために遠方から駆けつけたに違いない。とはいえ「大入り満員・札止め」などという「野暮な事態」には陥らせない(客の「入り」など歯牙にもかけない)、その裁量もまた「三河家劇団」の「実力」(余裕)のうちではないだろうか。
                                                                              【劇場界隈・「広島ゆーぽっぽ」・《「鹿島順一劇団」・「マリア観音」の名舞台》】
今日は「鹿島順一劇団」の特選狂言「マリア観音」の公演日、それを観るために、はるばる(昨日は大阪途中下車、二劇場で観劇)広島までやってきた。劇場は「ゆーぽっぽ」。バス停の名前は「上小田」。たしかJR広島駅前⑧乗り場からバスが出ているはずだと、そこへ行き、路線図を見たが「上小田」という停留所名が見当たらない。駅まで戻って確かめようと観光案内所に入り「ゆーぽっぽに行きたいんですが・・・」と尋ねたが、一同、ぽかんとしている。「あの・・・、上、に小さい、田という字の停留所で降りるんですが・・・」と言うと、係員(中年男性)の表情が明るくなった。「ああ、それはですね、多分、福屋というデパートの前⑳番乗り場から出ているバスが行くと思います。そこに行って、来たバスの運転手に聞いてください」「わかりました。それで、上に小さい田という停留所は何と読めばいいのですか?」「それも運転手に聞いてください」だと。やむなく⑳乗り場に赴く。5分ほどでバスが来た。乗客は私一人、運転手に「ゆーぽっぽに行きたいんですが・・・」運転手曰く「このバスは行きません。JRか広島(ナントカ?)交通のバスなら行きますよ」「わかりました」といって降りようとすると、「ここ(⑳乗り場)から出るバスは本数が少ないので、バスの2番ホームに行った方がいいと思いますよ」、なるほど。2番ホームとは、私が初めに行った、⑧乗り場のホームではないか。再度⑧乗り場に行くと、幸いにも始発のバスが待っていた。乗り込んで運転手に聞く。「ゆーぽっぽに行きたいんですが・・・」「ゆーぽっぽ?停留所の名前がわからないとねえ」とそっけない。「あの、上に小さい田というところです」「ああ上小田ね。行きますよ」だって。なんだ、⑧乗り場でよかったんじゃないか。「ずいぶんと回り道をしたもんだ」と思ったが、「鹿島劇団」見聞のためなら納得できる。ちなみに「上小田」は「カミオダ」と読む。バスに乗車すること約30分、上小田で下車した乗客は私一人であった。以後は、道路の「案内板」を頼りに行けばいい。あった、あった。電柱に「ゆーぽっぽ」への経路を矢印で表示した看板が貼り付けられている。安心してその道を辿ったが、分かれ道に来た。右方向は「道なり」、左方向は「踏切」、でも「案内板」はない。ということは、もうすぐそこ、わざわざ案内するまでのことはない、ということだろうが、新参者(私)にはそこがわからない。結果は「踏切を渡る」が正解だったのだが、私は「道なり」を選択、住宅地の袋小路に迷い込んでしまったという次第。「ゆーぽっぽ」は、典型的な「地域のスーパー銭湯」といった風情で、そこにモダンな「舞台付き大広間」が併設されているという趣であった。従業員は「今風の若者」が多く、およそ大衆演劇のイメージとはかけ離れているところが面白い。さて「鹿島順一劇団」の5月公演、案内チラシには〈鹿島劇団 5月3日(月〉、鹿島順一座長として最後の誕生日特別公演!!」と刷り込まれていた。芝居の外題は「マリア観音」、開幕前、私の前の指定席(桟敷・座布団座椅子付き)に、親子とおぼしき「三人連れ」が座った。子どもは「幼稚園年長組?小学校低学年か?役者のように可愛らしい男児であった。一人でゲームに熱中しているのを、隣の父親(とおぼしき)男性が「ちょっかい」(悪ふざけ)を出して邪魔をする「絡み」が興味深かった。本来なら、父親が新聞を読んでいるのを子どもが妨げるという「構図」が自然だが、まさに「その反対例」が展開されているのだ。「世の中、変われば変わるものだ・・・」等と思っているうちに幕が開いた。主人公・半次郎が鹿島虎順、彼を「悪の道」に引き入れようとするスリの仲間たち(三人)が、春大吉、蛇々丸、梅乃枝健、それを取り締まり、半次郎を矯正しようとする人情肌の岡っ引き親分に花道あきら、半次郎の母に春日舞子、半次郎から煙草入れを擦られ、スリ仲間の一人から「マリア観音像」を盗まれた北町奉行・阿部豊後守(実は半次郎の父)に座長・鹿島順一という配役で、まさにゴールデン・キャスト。筋書きは割愛するが、この芝居の眼目は、(お互いの身分の違いから)離ればなれに暮らさざるを得なかった一組の男女、そしてその愛児が、「ひょうんなこと」から、再会を果たしたが、時すでに遅し、いずれもが「自死」という形で決着をつけなければならないという、「悲しいさだめ」の描出にある。この演目、私は「三河家劇団」(座長・三河家桃太郎)の舞台を見聞している。その出来映えを比べれば「いずれ菖蒲か杜若」、それぞれが劇団の「色」を十二分に発揮した代物であった、と私は思う。「三河家風」は、「艶やかな気配」、それもそのはず、半次郎が女優・三河家諒の「立ち役」、阿部豊後守と半次郎の母、二役を座長・三河家桃太郎が演じるという「離れ業」、一方の「鹿島風」は、実の父母、実子が「そのまま」役柄に符合してしまう「迫真の演技」といった按配で、「夢か現か幻か」、そのリアリティーに圧倒されてしまった。とりわけ、愛しい阿部豊後守の煙草入れを手にした時、春日舞子の表情が、子持ちの母から「芸妓の風情に」一瞬「変化する」場面は秀逸、「お見事!」という他はない。また、舌をかみ切って血にまみれる半次郎を抱き寄せ、自らも自刃する阿部豊後守の「勇姿」は、ひときわ鮮やかで「筆舌に尽くしがたい」。閉幕後の一コマ、私の前に座っていた可愛らしい男児が、びくとも動かず固まっている。必死に「悲しみ」をこらえて泣いている姿が「後ろ姿」だけでよくわかる。気づいた母親が声をかける。「怖かったの?」でも男児は無反応。父親とおぼしき男性も微笑みながら、男児の顔をのぞき込む。それを思い切り払いのける。男性に目配せする母親の目も赤い。5~6分も経ったころだろうか、男児は目を伏せたまま母親の胸に抱かれに行ったのである。その様子を見るだけで、今日の舞台がいかに素晴らしいものであったか、間違いなく男児は心底から「感動」していたのだ、と私は確信する。かくて「鹿島風」と「三河家風」の対決は「勝負なし」「引き分け」双方とも「横綱級」という結果であった。今後、「鹿島風」が「東横綱」に座るためには、「スリ三人組」の風情を変えることも必要ではないだろうか。現状では、「どこか憎めない」「間抜け風」の景色(それはそれで一つの魅力だが)で、悲劇の中に「明るさ」(笑い)を添えようとする演出・意図はよくわかる。一方、半次郎に殺されても当然、といった「極悪非道」「性悪」な風情も、大詰の愁嘆場を際立たせる伏線として不可欠ではないだろうか・・・、などと「身勝手な思い」(素人の妄想)を巡らせつつ、帰路についた次第である。


かくて、私の「よくばり!五島列島と壱岐・対馬の旅4日間」は大団円となった。
(2010.11.25)