梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「劇団新生紅」(座長・紅大介)

【劇団 新生紅】(座長・紅大介)〈平成22年4月公演・大衆劇場仏生山・香川〉
この劇団の舞台は初見聞だが、座員の中に名優・見城たかしがいる。数年前には、「劇団翔龍」(座長・春川ふじお)の後見として活躍していたが「引退」、惜しい役者がまた一人減ったと思いきや、文字通り「新生紅」という劇団で不死鳥のように蘇った。当時、柏健康センターみのりの湯で観た女形舞踊「哀愁海峡」(唄・扇ひろ子)は今でも私の脳裏の中に焼き付いて離れない。その姿を「ぜひもう一度観たい」と、はるばる四国までやってきた次第である。劇場は琴電仏生山駅から徒歩2分、古い街道筋に建っていたが、景色は「倉庫」然、壁に貼り付けられたポスターと垣に掲げられた「幟」が、わずかに「旅役者」の存在を感じさせる風情であった。開演までまだ1時間あったので、近くの「大衆食堂」でビールでも飲もうと、ガラス戸を開けて驚いた。二つ、三つあるテーブルは満席、中高年の女性ばかりで酒宴が展開している。そのほとんどが(店の女主人も含めて)、これから旅芝居を観るための「景気づけ」(時間待ち)を行っていたのだ。私も同好の士、「これからお芝居に行きます」というと、やっと女主人の表情がほぐれ、割安の前売り券まで提供してくれた。前の老女のコップが空になったので、私は自分のビールを注ぎながら、「見城たかしさん、出ていますか」と尋ねたが、反応は今ひとつ、「ねえ、誰か見城たかしって知っとるか」しばらくの沈黙ののち、「知っとるよ、あの歌のうまい役者やろ」と応えた御仁はわずかに一人きりであった。女主人いわく「みんな、早く飲んで、終わりにしてえな。私も6時前に店閉めて、芝居見物や・・・」なんとも楽しい雰囲気であった。6時開演。芝居の外題は「伊太郎夫婦笠」。筋書きはたいそう面白く、魚屋・伊太郎夫婦(座長・紅大介、ベテラン女優・紅ちあき)が、若いカップル(紅ひろし?、紅このみ)の面倒を見たばっかりに、仲違いをしてしまうというお話。若いカップル、わけありで土地の親分(見城たかし)から追われる身、でもその親分の風情が敵役でありながら「憎めない」、いわゆる「軽妙洒脱」の典型とでもいおいうか、芸風としては「関東風」、それを九州勢のサラブレッド(大川四兄弟、紅あきらの実子)が受けて止めるといった「絡み具合」が、何とも魅力的であった。なるほど、「劇団新生紅」には関東勢の名優・見城たかしが加わることによって、大川龍昇、椿裕二、大川竜之助とは「ひと味違った」舞台を創出していたのであった。魚屋伊太郎、はずみで親分を殺害、子分衆(代貸・紅ともや?)に追及されているさなか、なぜか魚屋一家から火の手が上がった。暗闇の中、必死で脱出しようとする魚屋夫婦と若いカップル、しかしお互いに逃げ出す相手を取り違えた。若いカップルの男は伊太郎の女房、魚屋は若いカップルの女とともに脱出したが、双方は「消息不明」のまま1年が経過。魚屋亭主の方は「健全に」連れ合いを探し歩いたが、女房の方はまさに「不健全」、夫婦同様の生活をしていたことが判明、「お前さん、あの火事で死んでしまったと人づてに聞いたから・・・」という女房の弁明が白々しい。若いカップルの方は何故か「関係を修復」もとの鞘に収まったが、魚屋夫婦の場合、そうは問屋がおろさない。必死で謝る女房を相手に、「どうしてよいものやら」苦渋の表情で終幕を迎えた座長の舞台姿がなんとも魅力的。眼目は「不条理」、こんなことがあっていいものだろうか、おれは絶対に許さないと言いながら、心底ではその許せない相手を必要としている自分、その「矛盾」をどうすることもできない「もどかしさ」を鮮やかに描出した舞台であった。座長・紅大介はまだ弱冠二十歳代、でもその「実力」は、叔父・椿裕二、伯父・大川竜之助に「勝るとも劣らない」、と私は思う。
 さて、舞踊ショーの一幕、「大衆食堂」でビールを補給した相手の老女が、いつのまにか私の座席に近づき、返礼であろうか「干菓子」「おつまみ類」をプレゼントしてくれた。登場する役者の舞台には「無反応」(拍手をしない)の状態が続いていたが、見城たかしの舞台だけは違って、私に話しかける。「この人、誰や?座長のお父さんか?全然、踊りが違う。大したもんや。ええなあ・・・」といって目を細める。私は「これが見城たかしさんですよ。私は、この役者を観るために来たんですよ」と言ったつもりだが、その真意が伝わったかどうかはわからない。でも、このおばあさん、「いいとこ、見とるやんけえ。あんたの目えは、節穴やない。おおきに、ありがとさん」と心の中で呟きながら帰路についた次第である。
(2010.4.20)