梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「南條光貴劇団」(座長・南條光貴)

【南條光貴劇団】(平成20年4月公演・「岩瀬城総合娯楽センター」)


 プログラムは第一部「ハルキの女」、第二部「おみつかんざし」、第三部「舞踊ショー」。私の目的は、第一部「ハルキの女」を観ることが第一、女優・光城直貴の舞台を確認することである。「ハルキの女」は、大衆演劇屈指の傑作、私は「鹿島順一劇団」の舞台を見聞して、以下のように綴ったことがある。


 芝居の外題は、昼の部「春木の女」、夜の部「仲乗り新三」。いずれも特選狂言、特に「春木の女」は「鹿島順一劇団十八番の内」と銘打っている。さもありなん、この芝居は、これまで私が観た大衆演劇の中でも「最高傑作」といっていい舞台であった。
春木の浜の漁師夫妻(夫・梅乃枝健、妻とら・鹿島順一)には二人の娘がいた。姉(お崎・春日舞子)、妹(お妙・三代目虎順)である。お崎は利発、男勝りな気性で働き者だが、お妙は育ち遅れが目立ち、歩き始めたのが四歳、言葉遣いもまだたどたどしい。はじめは寛容だった村人たちも、今では後ろ指を指したり、白い眼でひそひそ話をするようになっていた。妻・とらは、そんなお妙が不憫でならず「猫かわいがり」、反対にお崎には冷たく「当たり散らす」。しかし、お崎は「じっと堪え」、とらの言い出す無理難題に黙々と従う毎日であった。舞台は一景、ある時、浜で村の若者たち(春大吉、金太郎、赤胴誠、春夏ゆうき、生田春美)が祭り太鼓の稽古をしていると、そこに京都の人形問屋(京や・大手)の次男坊(清三郎・蛇々丸)が「魚釣り」にやってきた。兄(慎太郎・花道あきら)から「暖簾分け」をする時期になり、嫁取りの見合いをさせられ、その煩わしさから逃げてきたのだ。いささかノイローゼ気味で、言葉にも力が入らない。そのなよなよした風情で「釣り場所」を若者(春大吉)に尋ねる「やりとり」が絶品であった。清三郎が退場、そこへお妙が登場、「おとう」(父・梅乃枝健)を迎えに来たのだ。しかし父は先刻、風向きを読んで、「これから時化になる。海へ近寄るのは危ないぞ」と若者たちに警告、帰宅していた。若者たち、「おとうか、おとうならあっちにいるぜ」と言って、お妙を騙す。通り過ぎようとするお妙の前に立ちふさがった。お妙「そこ、のけ」と言うと「裸になったら通したるわ」とからかう。「裸になったら寒い」「寒くないから脱げ」と押し問答しているところに、姉・お崎登場、「あんたたち、何してるねん。お妙のこといじめたらどついたる」とたしなめる。「いや、あんたが、おとら婆さんにこき使われて可哀想と思ったから、ちょっと、からかってみただけや」と弁解するところに、とら登場。「なんや、お前たち、また寄ってたかって、お妙をいじめていたんやな」、すかさずお妙が訴える。「あんな、おかやん、おねやんがうちの頭どつくねん」「なんやて、お崎がぶった?こら、お崎、なんてことするんや!」、「いえ、私は・・・」と絶句するお崎。あっけにとられる若者たち。とら「はよ、貝採りに浜へ行かんかい」と睨みつける。「今日、海は時化る。浜になんか近寄らんほうがええって、あんたんとこのおとやんが言ってたぜ」と抗する若者に、「フン、そんなことぬかしおったか、あの宿六が。意気地がないから、いつまでたっても貧乏暮らしをせなあかん」。直後に猫なで声で「お妙や、こんなアホな連中の中にいると、こっちまでアホになってしまう。はよ帰ろう」と、お妙と共に退場。その途端、浜の方から大きな声、「おおい、誰やら海に落ちたぞ・・・。手を貸してくれ・・・」一同、びっくり。尻込みする若者たちを叱咤して、お崎は浜に駆けだした。やがて、先ほどの清三郎、若者たちに背負われて登場。釣りの最中、波にさらわれたが、命だけはとりとめた。息を吹き返して「ここは地獄か、極楽か?」見上げると、そこにはお崎がすっくと立っていた。「わてを助けてくれたんは、あんたはんでっか?」、「みんなで一緒に助けたんや」、いつのまにか、舞台は清三郎とお崎の二人きり。会話を交わす内に、清三郎の心は決まった。「あんたはんは、素晴らしいお人や。わての女房になってもらえへんやろか」「あほらしい、身分が違います」全く取り合わないお崎、それでも清三郎はあきらめない、約束の証に自分の「守り札」を無理矢理、手渡して退場した。「守り札」をしげしげと見つめるお崎、しかし「こんなもの持ってたら、またおかやんに何言われるかわからへん、ややこしゅうならんうちに・・・」と言いながら、背負い籠に投げ入れたが、実は道の上、知ってか知らずか、さわやかに退場した。一部始終を見ていた風情のとらとお妙、再登場。お妙が拾い上げた「守り札」を手にして破顔一笑のとら、「しめしめ、どうやら、お妙に幸せが舞い込んできたようだ・・・」とつぶやく。そして「お妙や、これは大事なものだから、大切になおして(しまって)おきなはれ」
 舞台は二景、三月後(夏祭り当日)のことである。祭りだというのに、お崎は相変わらず「働きづめ」、とらから言われた用事を全部済ましたつもりだったが、油の買い物を忘れていた。とらにどやしつけられて、そそくさと退場する。そこへ、来客。「押し売り」だろうと無愛想に応対していたとら、京都の大店・京やの長男・慎太郎だとわかると態度が一変した。「これは、これは、京都で一、二を争う大店の旦那はんでっか、ようこそおいで下さいました」「はい、慎太郎と申します」「ああ、あの石原さんでっか」「いえ、石原ちがいます、京やでおます」あいさつが終わり、「今から三月前、京都から来た若者が海に落ちて溺れていたところを助けてくれた娘さんを探しているのですが、御存知ないでしょうか?」「ええ、ええ、よーく知っていますよ。それは、私の娘で『お妙!』と申します」、違う違う、お妙ではないという素振りの夫を「床を叩いて」制する。驚いた慎太郎に向かって「いえね、フナムシがはい上がって来たんですよ」。慎太郎、下座の夫に注目し、「あちらのお方はどなたはんでいらっしゃいますか」とら「ああ、あれでっか。あれはわての、連れ合いです」「へええ・・・。では、この家の御主人でっか?」「ええ、まあ、よそではそういうことになりましょうな。でも家は女尊男卑ですから、私がが主人です」あきれる慎太郎。でも気を取り直して「そうでしたか、実はその若者とは私の弟。今日はその御礼に伺ったわけです。それに、もう一つ、お願いがあるのですが・・・」。待ってましたという表情のとら。「弟がその娘さんに一目惚れして、嫁にほしい」というのです。「はいはい、大店の暖簾わけしたお嫁さんになれるなんて、願ってもないこと、よろしくおたの申します」「そうですか、それはよかった。では、その娘さんに会わせていただけますでしょうか」一瞬、躊躇するとら、しかし意を決してお妙を呼び寄せる。「さあ、粗相のないように御挨拶しなさい」。何も知らずに平伏している慎太郎の背後に立ったまま挨拶するお妙。「コンニチワ」という大きな声に、慎太郎は顔を上げ、様子を一目見て仰天した。「えっ?・・・・・・」思わず出た言葉「これ、人間でっか?」とら、少なからず衝撃を受けたが、平然と「まあ、あんたさんも冗談がきつい。人形屋さんでいつも人形ばかり見ているから、『人間でっか』などというお褒めの言葉がでたんでしょう」と言い放つ。慎太郎、「わかりました。疑うわけではありませんが、弟は約束の証に『守り札』を渡したと言っております。それを見せていただけますでしょうか」「ええ、ええ、いいですとも。これお妙、あの大事なものを見せてさしあげなさい」お妙、大切にしまっておいた「守り札」を取り出し、慎太郎に手渡す。なるほど、本物に間違いない。動揺をかくせない慎太郎「たしかに、弟の『守り札』です。御主人、疑うわけではありませんが、ここに弟を呼んで確かめてもよろしいでしょうか」またも、躊躇するおとら、しかし、またも平然と「ええ、ええ、かまいませんとも。でも会ったのは三月前、その時とは少しばっかり、様子が変わっているかもしれませんよ」大急ぎで弟を呼びに行く慎太郎。なよなよと登場する清三郎に向かって「おい、清三郎、おまえだいじょうぶか?よりによってあんな・・・」「どういうことでっか。美しい娘さんだったでしょ?」「おまえ、一度、眼医者に行った方がいい」「なにを言っているのやら・・・」要領を得ぬまま二人は家内へ、清三郎いよいよ対面の場となった。憧れの人を前に、緊張のためか、感激のためか、相手の顔をよく見ようともせず、お妙を抱き寄せる。しかし、「・・・?」様子が違う。あらためてお妙の顔を直視して、驚き飛び退いた。「違う!違う!」あの時の娘とは似ても似つかぬ顔、形。 
そこへ、お崎が買い物から帰ってきた。一目見て、清三郎が狂喜する。「兄さん、私を助けてくれたのは、この娘さんです!」畜生!もう少しでうまくいったのに!と悔しがるとら。「あいつは家の使用人。私の娘ではありません」何が起きているのか、とんと解せぬ様子のお崎。子細をのみこめた慎太郎、今度は高飛車に出た。「わかりました。この家の人たちは、みんなで私たちを騙そうとしています。助けていただいた御礼はいたします。でも、嫁取りの話はなかったことして下さい。これで失礼いたします」清三郎をせき立てるように立ち去った。がっくりするとら、それでも夫とお崎に当たり散らす。「間の悪いときに帰ってきやがって!せっかくお妙が『幸せ』をつかめるというのに、お前たちは邪魔ばかりしくさる。もうお崎の顔なんか、見とうもない!どうせ、岬で拾ってきた子やないか!あんた!拾ってきた場所に捨てて来なはれ!」その言葉に夫は激高した。「何だと!もう許さん!お前は決して言ってはならぬことをほざいたな。お崎が『捨て子』だなんて!
それを言わないことは、オレとお前の固い約束ではなかったんか!」いつのまにか、お妙の姿はなく、夫婦とお崎、三人の愁嘆場(修羅場)となった。
 とらに殴りかかろうとする父親を必死に止めるお崎。「おとうちゃん、おかあちゃんを殴るのだけは止めて。わたしはおかあちゃんをうらんでいない。これまで大きくしてくれて心からありがたいと思っている。もし、おとうちゃんがおかあちゃんをなぐったら、世間の人はどう思う?私がおかあちゃんをうらんで、おとうちゃんに殴らせていることになるじゃないの。だから、お願いだからおかあちゃんを殴ることだけは止めてちょうだい!」と懇願する。じっと、聞いているとら。思わずお崎の顔を見ようとするが、再び背を向ける。あきれた夫、「これだけ言ってもわからない。見下げ果てた奴だ。お崎、おとうちゃんは決心したぞ。おまえと一緒にこの家を出て行く。さあ、二人で出ていこうなあ」表情は晴れ晴れとしていた。最後にお崎「おかあちゃん、私たち家を出て行くけど、身体を大事に長生きしてね。お妙にお婿さんもらって『幸せ』になってね。これまで、本当にありがとう」と、別れの言葉。とら、石のように黙って動かない。
 そこへ、慎太郎、清三郎の兄弟、再登場。「途中まで帰りかけましたが、清三郎がぜひあの娘さんに会いたいというので戻ってきました。今、聞いていれば、娘さんを捨てるとのこと、どうでっしゃろ、その娘さん、京やで拾わせてもろうてもよろしゅうおまっしゃろか」父「いいですとも、いいですとも。京やさんい拾ってもらえるんやったら・・・。よろしゅうおたの申します」「では、おとうさんも一緒に拾いましょ」 
 そのやりとりを聞いていたおとら、ついに口を開いた。その長ゼリフは一話の「人情噺」。
要するに、夫婦は子宝に恵まれず寂しい思いをしていたが、ある日、夫が岬に捨てられていた女児を拾ってきた。夫婦は天からの授かり物としてわが子のように育てた。発育も人並み以上で、申し分ない。五年経ったとき、思いもよらず実子が宿った。喜びも倍増、姉妹仲良く、健やかな成長を期待したが、なぜか妹は育ちそびれ、私は不幸のどん底に。こんな妹がいるかぎり、姉は幸せになれない。この家と縁を切って「家出でも、してくれれば」と思い、わざと冷たく意地悪な仕打ちを重ねてきたが、姉はますます尽くしてくれる。妹は妹で発育が滞る。そんな繰り返しの中で、私の心には「鬼」が棲みついてしまった。ああ、恐ろしい!でも、でも今気がつきました。妹のことばかり考えたのは、私の間違い、姉が幸せになれないのに、妹だけ幸せになれるわけがないということがわかったのです。
そして慎太郎に言う。「貧乏暮らしはしていても、我が家はもと網元。我が家の娘として京やさんに嫁がせたいと思います」
 姉に言う。「これまでのこと、許しておくれ。決してお前が憎かったわけじゃあないんだよ」
夫に言う。「ごめんなさい。これからは男尊女卑、あなたのために仕えます」
かくて大団円となるはずだったが、突如、舞台に表れたのは「花嫁衣装」を身につけたお妙の艶姿(?)、一同「ずっこけたまま」大笑いのうちに閉幕となった。
 この「ずっこけ」が、「春木の女」の眼目(主題)であることは間違いない。お妙は、何のために登場したのだろうか。自分の「嫁入り」を確信しているのか、姉の「嫁入り」を寿いでいるのか、それは観客の判断に任せるという「演出」であろう。いずれにせよ、「育ちそびれた」人も「かけがえのない」一員であり、その人と共に、どのように生き、どのように「幸せ」を追求すればよいか、という私たちの課題が、「義理」(理論)ではなく「人情」(愛)の視点から問いかけられていることはたしかである。観客の多くが涙を流していたが、その涙で、どのような心が洗われたのだろうか。


 私の勝手な推測によれば、鹿島順一はこの芝居を、初代・南條隆から「継承」したと思う。そして、「南條光貴劇団」の座長・南條光貴は、初代・南條隆の孫、彼もまた、二代目・南條隆(父)を通して、祖父の芝居を「継承」しているに違いない。
 今日の舞台では、漁師夫妻が南條光貴・光城優貴、その長女おさき・南京弥、次女お妙・光城直貴、清三郎・南條欣也、その母(芸名不詳の女優)、村の若者たち・光城元貴、南條あみ、といった配役であった。筋書きは、「鹿島劇団」と「ほぼ同じ」、私にとっては、この「傑作」が他の劇団(しかも、「鹿島劇団」の次に私が好きな劇団)によって演じられること自体が「発見」であり、実に「感動的」であった。この芝居のキーパースンは、いうまでもなく「お妙」、「育ちそびれた」人をどのように演じるか、「育ちそびれた」ために「わがまま放題」、いわば、「おさき」の敵役にまわる役柄である。味方は、意地悪婆然の母・おとら、ただ一人の様子で、他の登場人物の「ほとんど」は「白眼視」する。その「白眼視」を、観客がどう感じるか。客も同様に「白眼視」するか。それとも「白眼視」に「反発」するか。いずれにせよ、育ちそびれた「お妙」の舞台姿に「違和感」を感じることは確かであろう。その「違和感」が「違和感」のままで終われば、その舞台は失敗、障害者の団体から抗議されてもしかたがない。したがって、この芝居を舞台にかけるには、座長はじめ劇団員全員の「覚悟」と「覇気」が不可欠だ、と私は思う。筋書で、最も大切な場面は、自分が捨て子であることを知ったおさきが、(そのことを嘆きもせず、怨みもせず)養母・おとらに感謝し、義妹・お妙の「行く末」を心から案じる姿である。「おっかさん、ありがとう。お妙のこと幸せにしてあげてね」、その一言を聞いておとらは「改心」する。世間の「白眼視」からわが子を守ろうと、「溺愛」しているうちに、いつのまにか、「私の心に『鬼』が棲みついてしまった」、「結果として自分もまたお妙を白眼視していたのではないか」という、おとらの「自戒」(改心)が、この芝居の眼目であろう。その「改心」が観客に伝われば、これまでの「違和感」が払拭されるに違いない。今日の舞台で、おさきを演じたのは女優・南京弥、おとらを演じたのは、女優・光城優貴であった。二人ともまだ「若手」、「鹿島劇団」の配役(おさき・春日舞子、おとら・鹿島順一)と比べては気の毒だが「精一杯演じていた」と、私は思う。
観客は、例によって「老人クラブ」の団体客、一人一人がどのような感想を持ったか、わからない。しかし、「ハルキの女」を果敢にも舞台にかけた座長、劇団員の「勇気」に拍手を贈りたい。
(2008.4.20)