梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「教諭の保護者提訴」は《一億層未熟化》への途

 東京新聞朝刊(25面)に「教諭が保護者提訴 慰謝料求め「苦情で不眠症に」行田の市立小」という見出しの記事が載っている。その内容は以下の通りであった。〈埼玉県行田市の市立小学校の女性教諭が、担任する女児の親から再三嫌がらせを受け、不眠症になったとして、両親に慰謝料500万円を求める訴訟をさいたま地裁熊谷支部に起こしたことが分かった。訴状などによると、昨年6月、女児は同じクラスの女児とトラブルになり、教諭が解決のためクラス内で話し合いをしたところ、母親から「相手が悪いのに娘を謝らせようとした」と非難の電話があった。7月中旬までに計8回、連絡帳に「先生は人間関係を円滑にする能力も著しく劣る」などと書き込んだ、としている。また、県教委や人権擁護委員会、文部科学省にも教諭を非難する文書を送ったり口頭で伝えたりしたという。市教委を仲介役に、学校・教諭側と両親で話し合う場も設定しようとしたが、両親は拒否。9月には、給食の片付けを指導するため女性教諭が女児の背中に2回触れたところ、両親は警察に暴行容疑で被害届を出したという。訴えでは、一連の苦情への対応で女性教諭は不眠症に陥ったと主張している。学校側は取材に「管理職が不在で話せない」とするが、、市教委への説明で「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないようにし、教諭が教員を代表して訴訟を行っていると受けとめている」との文書を提出したという。市教委は「裁判中なのでコメントできない」としている。女児の両親は「うちの子が女性教諭や友だちにいじめられているのに、学校にモンスターペアレントに仕立て上げられている。こちらが精神的なダメージを被っており、和解はあり得ない」と話している〉。文字通り、《子どもの喧嘩に親がでる》といった按配で、まことに見苦しく、日本の「大人たち」もここまで「未熟者」になり果てたか、というのが率直な感想である。事の発端は、女児同士の「些細な」トラブル、それが「慰謝料500万円」を争う事案にまで発展したというのだから、開いた口がふさがらない。要するに、事の原因は「女性教諭」と「女児・両親」の《相性》が悪かったというだけの話。成熟した大人同士なら、いくらでも「解決方法」は見つけられる。例えば、女性教諭。さっさと退職すればよい。子どもの喧嘩を「円満に」解決できなかった「事実」に加え、「不眠症を訴えながら」「学校や教師が《負けないように》」争うエネルギーがあろうとは・・・、(両親の指摘通り)「人間関係を円滑にする能力も著しく劣る」ことは一目瞭然である。一方、両親。そんな教員の掌中に「愛児」を送り出すことはない。その担任が替わるまで「登校拒否」させればよい。親は、子どもの「教育を受ける権利」を守るのが義務であり、その権利が剥奪される(いじめられる)ことが明らかな以上、学校に行かせる必要はないのである。両者ががそうしないのはなぜか。自分が「損をする」(と思っている)からである。「負けたくない」からである。「自分を守りたい」からである。女性教諭並びに両親の姿勢・態度はまさに「同じ穴の狢」、それぞれの私利私欲(我執)を「ヒステリックに」主張しているに過ぎない。両者には、成熟した大人なら誰でも持っていた「謙譲」の徳、相手の立場に立って考えるといった「常識」(社会的視野)が致命的に欠けているのだ。未熟な教員(学校・市教委)、未熟な両親のもとで育てられる子どもたちが「哀れ」である。かくて、平成の日本社会は「一億総未熟化」への途を辿るだけと相成った。
(2011.1.19)