梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「橘小竜丸劇団」(座長・橘小竜丸)

【橘小竜丸劇団】(座長・橘小竜丸)〈平成20年8月公演・川崎大島劇場〉
 日曜日の夜とはいえ、客席はほぼ満席であることに驚嘆した。この劇場には、何回も通っているが、観客数はつねに10人前後、多いときでも30人を超えることはなかった。劇場の風情は、立川大衆劇場に「酷似」、どこか「侘びしげな」佇まいが、風前の灯火のような景色を醸し出していたのだが・・・。ところが、である。今回は一変、まさに劇団自体が「水を得た魚」のような勢いで、劇場全体にに「命の風」が吹き込まれたようであった。なるほど、この劇団の実力(魅力)は半端でない。「客を連れて旅をしている」ようなものではあるまいか。
「劇団紹介」によれば〈プロフィール 橘小竜丸劇団 平成13(2001〉年10月1日に旗揚げ。フリーで活動していたが、平成16(2004)年6月に九州演劇協会所属となる。ディスコダンスの全国大会で優勝した経歴を持つ座長が、得意とするダンスをアレンジした洋舞には定評がある。若々しい舞台が魅力。座長 橘小竜丸 昭和34(1959)年10月1日生まれ。宮崎県出身。血液型B型。役者の家に生まれ、5歳の時、大阪の浪速クラブにて初舞台を踏む。しばらくは役者の道から遠のくが、20代後半に「紀伊国屋章太郎劇団」(現・劇団紀伊国屋)に入団。約8年間の修行を経て、平成13(2001)年10月1日に劇団旗揚げ。若座長 橘龍丸 平成3(1991)年4月21日生まれ。福井県出身。血液型B型。父である橘小竜丸座長が劇団を旗揚げするのをきっかけに、10歳で初舞台を踏む。線の細い中性的な立ち役と、はかなげな女形が魅力。舞踊では演歌から洋楽にまで幅広いジャンルに挑戦し、成長著しい役者である〉とある。また、キャッチフレーズは、〈魅せる舞台で観客を虜に・・・。オリジナリティにこだわり頂点を目指す。座員一丸となり、幻想的な舞台を繰り広げる、「橘小竜丸劇団」の舞台世界をお楽しみ下さい〉であった。
 芝居の外題は「弁天小僧・温泉の一夜」。筋書きは、大衆演劇の定番。浪花の若旦那(橘愁斗?・好演)が敵役の親分(座長)に騙されて、金百両、馴染みの芸者(橘ユリ?)まで掠め取られ、身投げをしようとしたところを、弁天小僧(若座長・橘龍丸)に助けられ、敵討ち(間男成敗)をするという話だが、女形で登場した橘龍丸の「艶姿」、「口跡」が、何ともいえぬ「可愛らしい」風情で、観客を魅了する。男に変身する「一瞬」も「お見事」という他はなかった。鹿島虎順、恋川純、南條影虎とは同世代、将来の大衆演劇界を背負って立つ役者に成長することは間違いない。この劇団の特長は、「超ベテラン」の役者を尊重し、若手・中堅のなかにバランスよく、その「味」を散りばめているとでもいえようか、芝居、舞踊ショーを問わず「超ベテラン」の「一芸」が宝石のように輝いて見えるのである。松原チドリ、志賀カズオ、喜多川シホらの磨き上げられた「舞台姿」は、大衆演劇の「至宝」といっても過言ではない。言い換えれば、(老いも若きもといった)役者層の厚さが、(それぞれの世代のニーズに応えることができるので)客層の厚さも「生み出す」という理想的な結果になっているのではないだろうか。舞踊ショーの舞台で見せた、喜多川シホの「博多恋人形」(唄・牧村三枝子)は、斯界の「極め付き」、私の目の中にしっかりと焼き付き、死ぬまで消えることはないだろう。
(2008.8.14)