梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「新星劇大導寺劇団」(座長・大導寺はじめ)

【新星劇大導寺劇団】(座長・大導寺はじめ)〈平成21年8月公演・岩瀬城総合娯楽センター〉                                                                    この劇団を紹介した特集記事が『演劇グラフ』(vol73・2007jul)に載っている。それによれば〈新星劇大導寺劇団 所属はフリー。昭和51(1976)年に大導寺はじめ初代座長が旗揚げ。現在は二代目座長・大導寺たかしの十八番となっている女形の芝居をはじめ、剣劇や歌舞伎調のお芝居など幅広いジャンルの芝居、また結成当初より毎日公演している「三味線ショー」などで根強い人気を得ている。また「劇団蝶々」の中野弘次郎座長・中野加津也副座長、「劇団大和」の大和城二座長など現在活躍している数々の座長を輩出している劇団でもある〉ということである。また、記事の冒頭には以下の紹介文が記されている。〈古き良き伝統芸を継承して。大導寺たかし座長と大導寺初代座長で、毎日上演される三味線ショーは、今では多くの観客を魅了してやまない劇団の名物となっている。それは芸歴50年を超えるはじめ初代座長から、たかし座長へ劇団の伝統芸が確実に受け継がれていることの証(あかし)。これからも古き良き伝統芸は次代へ継承され、舞台の上で美しい華を咲かせ続ける事だろう〉。劇団員は、他に副座長・新導かずや、若手・大導誠司、ベテラン・宴まこと、女優・島田まゆみ、大導寺なぎさ、子役・大導ちなつ、といった面々が紹介されている。ただし、それは二年前のこと、今回の公演は、いささか趣を異にしていた。まず第一に、二代目座長・大導寺たかし、女優・大導寺なぎさが「不在」であった。第二に、〈結成当初より毎日公演している〉(はずの)「三味線ショー」は行われなかった。第三に、新たな役者(女優・芸名失念)が加わった等々・・・。とはいえ、「古き良き伝統芸」は、確実に継承され、舞台のそこかしこに、宝石のように散りばめられている。芝居の外題は、前狂言「浪花人情松竹梅」、切り狂言「三人島蔵」。いずれも座長の「不在」を、副座長がしっかりと「埋めた」景色の舞台で、さすがは「伝統芸を継承」しつつある劇団の「実力」を見せつけられた思いであった。「浪速人情松竹梅」は、よくある「縁談破談」のお話で、眼目は松・竹・梅と名付けられた三人の兄弟愛といったところだが、狂言回し(敵役)・番頭役のベテラン・宴まことの(光る)「演技」に助けられて、副座長・新導かずや、若手・大導誠司も、臆することなく「堂々」と主役(兄弟)を演じ、見応えのある景色を描出していたと、私は思う。
切り狂言の「三人島蔵」、母の嘆願によって御赦免になった囚人・島蔵(座長・大導寺はじめ)の物語。島蔵の赦免を聞きつけた囚人・黒助(宴まこと)は、島蔵を「抹殺」、自分が島蔵に「なりすまして」脱出しようと悪だくみ、その子分(大導誠司)とともに、まんまと成功したと思ったのだが、実はもう一人、島蔵の朋輩(新導かずや)が「代理」でいたという筋書。結末では「死んだと思った本物の島蔵」も登場して一件落着。それぞれの役者が「分相応に」きちんと「舞台を務めている」という雰囲気で、たいそう清々しく「鮮やかな」出来栄えであったと思う。とりわけ、宴まことに絡んだ子分・大導誠司)の景色(大店の手代の恰好でついつい「地」がでてしまう場面、立ち回りでの斬られ方など)、盲目の母親役に扮した老女優(芸名不詳)の風情は「格別」、「古き良き伝統芸」を満喫した次第である。
(2009.8.10)