梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「学力」とは何か・《ある私立中学校の入試問題》

ある私立中学校の入学試験(算数)に、「2時から3時の間で、長針と短針がぴったり重なる時刻は何時何分でしょうか」という問題が出された。はたして、この問題を何人(の大人)が解けるだろうか。この問題を解くためにどうすればよいか。実物の時計で確かめるのが手っ取り早いとは言え、いくら時計を眺めてみても、正確な答は得られまい。なぜなら、長針と短針がぴったり重なる時刻には、該当する目盛りが無いからである。つまり、2時10分と11分の間であることは目測でわかるが、それが何時何分であるかを特定することはできない。ではどうすればよいか。とりあえず、1分間に進む長針と短針の距離に注目することにする。距離といっても、それは長さではなく角度である。長針は、1分間で、時計の1目盛り進むから、360度÷60目盛り=6度、進む。短針は、1時間で時計の5目盛り(30度分)進むから、1分間では30度÷60分=0.5度進む。そのことを念頭に置いて、2時以降の長針・短針の位置を角度で示すと、2時00分時、長針0度、短針60.5度、2時01分時、長針6度・短針60.5度、2時02分時、長針12度・短針61度、2時03分時、長針18度・短針61.5度、2時04分時、長針24度・短針62度、2時05分時、長針30度・短針62.5度、2時06分時、長針36度・短針63度、2時07分時、長針42度・短針63.5度、2時08分時、長針48度・短針64度、2時09分時、長針54度・短針64.5度、2時10分時、長針60度・短針65度、2時11分時、長針66度・短針65.5度、となる。ここでも、2時10分時、長針は短針よりも「上」にあったが、2時11分時には「下」になり、その間に「ぴったり重なる時刻」があったはずだが、何時何分であったかは分からない。したがって、この問題の答は「2時10分から11分の間」としか答えようがないのだが、それでは×しかもらえない。学力優秀な小学生(数学者の卵)は、そんな「具体的な思考」にとらわれてはいないからである。彼らは明解に答えるであろう。「2時00分時における長針と短針の角度の差は60度。それが1分毎に縮まって0度になった時刻が答である。長針と短針の差は1分間で5.5度縮まる(60度-0.5度)から、60度÷5.5度と計算すればよい。60÷5.5=10.9・・・となって割り切れないから、分数処理をして60÷5.5=10と11分の10。答は2時10と11分の10分である」。なるほど、そうか、恐れ入りました、と言いたいところだが、はたして、その学力優秀な小学生は、どのようにして、そのような「抽象的(数学的)な思考」を身につけたのだろうか。学力劣等な私の邪推によれば、おそらく受験生の大半が件の入試問題を正解するに違いない。彼らは、事前にその問題の「解き方」を知っているからである。なぜ?今さら言うまでもなく、彼らは「受験塾」でその「解き方」を買っていたのである。いわゆる「過去問」(カコモン)の情報をかき集め、その「解き方」を知っていればいるほど「学力優秀」(頭脳明晰)という墨付きがもらえるというカラクリは、今も昔も変わらない。ただ一点、その「学力」とは、所詮「解き方」を憶えまくる「記憶能力」に過ぎず、新たな問題をに直面、試行錯誤を繰り返しながら「解決」の糸口を見つけ出そうとする「生きる力」(創造力)とは無縁であるような気がしてならない。そこで問題、「11時と12時の間で、長針と短針がぴったり重なる時刻は、何時何分でしょうか」。
(2011.8.31)