梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・芝居「心模様」(鹿島順一劇団)

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成23年12月公演・高槻千鳥劇場〉
芝居の外題は「心模様」。時代は明治から昭和初期にかけて(?)、役人の給料が2~3円の頃、場所は、貧しい人々のために医療を続ける橋本医院の一室、「それでは、先生、お大事に・・・」などと的外れな言葉をかけて、異様な風体の患者(赤胴誠)が帰っていく。見送るのは二代目院長・橋本慎介(花道あきら)と叔父の徳松(責任者・甲斐文太)。徳松「なんだアリャ、来るところを間違えたのでは・・・」慎介「いいんですよ、困っている患者さんを助けるのは誰でも・・・」などと言っているところに、初代の未亡人(春日舞子)が、娘・君江(春夏悠生)を伴って登場。「慎介さん、貧しい人のために尽くすのも程々にしていかないとねえ。患者さんからお金を取らなければ病院の経営が成り立ちません。初代のために私たちがどれほど苦労したことか・・・」。初代のモットーは「医は仁術なり」、その意志を忠実に受け継いでいる慎介は、どうやら君江の入り婿で、叔父の徳松は病院の会計を担当しているらしい。未亡人の景色は、上流階級の奥様風、心中には「医は算術なり」の風情が窺われ、いまだに橋本家の権威を固持しようとしている。その剣幕に手を焼いている徳松、あくまで初代を尊敬している慎介、母と夫の板ばさみで逡巡する君江の様子が、三者三様、鮮やかに描出された場面であった。やがて未亡人と君江は初代の墓参りに・・・、替わって、客席から登場したのが角刈りの渡世人・柊秀次(三代目鹿島順一)、見れば右手に風呂敷包みを巻きつけている。誰がどう見ても「務所帰り」の風体だ。突然の来訪に驚く慎介と徳松、再会の喜びは隠せない。「そうか、出てこれたのか。いつ出所したんだ」「ああ、三月前に刑期を終えた。すぐに来ようと思ったが、まずはお袋のところへ行った。でもお袋は亡くなっていた。兄貴、おめえはずっと仕送りをしてくれたんだってなあ、ありがとうよ、お袋はおめえに感謝していたそうだ」など話すうち、未亡人と君江、再登場。未亡人、秀次を見るなり「どこのお方?」。慎介「私の弟です」「まあ、慎介さんに弟がいるなんて、ちっとも知らなかった」「どちらからいらしたの」秀次「あっしですか、あっしは前橋のけ・・・」といったとき、あわてて慎介と徳松が制し、徳松「前橋の景気が悪いもんでね、こちらに仕事を探しに・・・」「ああそう、それでお仕事は?」秀次「仕事ですか、それは何をかくそう」といって右手を上に上げたとき、徳松、あわてて割って入り「そう、そう、これです」と右手を上下に振り下ろす。未亡人「何ですか、それ」徳松、苦し紛れに「郵便局のスタンプ押し!」未亡人「へえ、じゃあ、前橋の郵便局の景気が悪いから、こちらにやってきたというのですか」一同、胸をなでおろして「そう、そう」といったやり取りが、なんとも面白かった。しかし、真実をいつまでも隠し通せるものではない。実を言えば、まだ慎介が医学生だった頃、町のならず者と酒の上での大喧嘩、助けに入った秀次がならず者を殺してしまった、慎介は将来のある身、秀次がひとり殺人の罪を負い、今、償いを終えて帰って来たという次第。秀次が銭湯へと退場した後、真相を知った未亡人「そんな殺人犯をこの家に入れることはできません、すぐに追い出しなさい」慎介は困り果て徳松に助力を頼む。「おじさん、一つ芝居をしてください」(「何、芝居?芝居なら今、ここでしとるがな」というギャグは、割愛されていたが・・・)「どんな芝居を?」「病院が借金を抱えて困っている。とても秀次を受け入れる余裕がない、という様子を見せてほしいのです」。やがて帰ってきた秀次を前に、徳松の芝居が始まった。「困った、困った。借金が返せない」秀次「借金がある?いくらあるんだ」「五十円」「それは大金だ、利子だけでもというわけにはいかねえか」「いかない、いかない」「そうか」と言いながら、秀次、懐にあった財布を差し出す。「ここに十五円ある。足しにしてくれ」その気持ちに打たれたか、徳松「慎介!、おれにはもう芝居を続けられない・・・」「何、芝居?」さっきから、どうも変だと思っていた秀次、「そうか、二人とも体よく俺を追い出すつもりだな。兄貴、水臭いじゃないか、それならそうと初手から言ってくれればいいものを、下手な芝居を打ちやがって。俺はな、この家に入れてもらいたくて来たんじゃない。お袋の守を頼みにきただけなんだ」と泣きながら、亡き母の位牌を差し出す。慎介、徳松、伏した顔を上げられぬうち、秀次は激昂の態で立ち去った。慎介、ようやく顔を上げ、徳松に「おじさん、酒を持ってきてください」「やめとけ、お前は酒をのんだらどうなるかわからない」「おじさん、持ってきてください」思いつめた様子に抗えず、徳松、壷を携えてきたが、慎介それを奪い取るや一気に飲み干して、その場に昏倒してしまった。そこに駆け込んできたのは村の娘(幼紅葉)、「大変、大変、おじいちゃんがいつもの発作、薬をください!」居合わせた徳松、あわてて慎介を起こし「大変だ、薬、薬、どの薬を渡せばいいんだ?」と尋ねるが、慎介の意識は朦朧、「赤い瓶だな」と確認して、娘に持たせた。しばらくして、ようやく正気になった慎介が徳松に確かめる。「今、誰か来たようだが」「ああ、いつもの子がきて、薬をくれというので赤い方を持たせた」「何だって!赤い方は劇薬だ!」驚愕する徳松「知らない、知らない、わしは知らないぞ」などと叫びながら逃げ去った。ひとり残された慎介、「もうだめだ、過失とはいえ私は殺人罪・・・誰にも迷惑をかけられない」と、出刃包丁を持ち出して、自刃の覚悟、再び飛び出してきた秀次、「兄貴!なんてことするんだ」ともみ合うところに巡邏(梅之枝健)が、件の娘を連れてやって来た。「この娘に薬を渡したのは誰か?」「はい、私です」と両手を差し出す慎介を押しのけて、「違う、違う。薬を渡したのはあっしです」と秀次が名乗り出る。「違う違う、私です」「いや、あっしだ」と言い合う二人を、不思議そうに見て巡邏いわく「どっちでもいい、娘がぬかるみに足を取られて、薬瓶を割ってしまったというんだ、早く薬を渡してくれないか」。思わず顔を見合わせながら、必死と抱き合う兄と弟、その姿は、いちだんと爽やかで、私の涙は止まらなかった。新しい薬をもらって欣然と退場する娘の孝行振り、薬の料金を律義に立て替える巡邏の温もりが、色を添えて、舞台は大詰めへ・・・。「何事ですか、騒々しい」と言いながら、未亡人、君江を伴って再登場、居合わせた秀次を見つけると「まあ、あなた、まだ居たんですか・・・」。しかし、今度は君江が黙っていなかった。「お母様!慎介さんは私の夫、これからは、私たちが決めたことに従っていただきます」と、(毅然として)言い放つ。未亡人「まあ!」と叫んだまま絶句、そのまま袖の内へと引っ込んだ。残された若夫婦、亡母の守は引き受けた、ありがとう、俺にはもう思い残すことはない、では、皆さんお達者で、といった気配の無言劇もあざやかに、この名舞台は幕となった。
 この演目を私は以前、慎介・蛇々丸、徳松・春大吉、未亡人・甲斐文太(当時・二代目鹿島順一)、君江・春日舞子、巡邏・花道あきら、という配役で見聞している。主役・秀次・三代目鹿島順一 (当時・鹿島虎順)はそのままだが、文字通り「はまり役」、その景色・風情は天下一品で他の追随を許さない。今回、慎介・花道あきら、徳松・甲斐文太、未亡人・春日舞子、君江・春夏悠生、巡邏・梅之枝健という配役に替わったが、いずれも「はまり役」で申し分なく、さらに、異様な風体の患者を見事に演じた赤胴誠、健気で可憐な孝行娘を演じた幼紅葉の魅力も加わって、文字通り「適材適所」、劇団の総力が結実化した、まさに国宝(無形文化財)級の名舞台であった、と私は思う。
(2011.12.10)