梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・芝居「恋の辻占」(鹿島順一劇団)

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成23年2月公演・みかわ温泉海遊亭〉
第一部・芝居の外題は「恋の辻占」。時代人情剣劇だが、そう単純な筋書ではない。主人公・宇太郎(三代目・鹿島順一)は、幼いときに母と死別、父とも生き別れになって股旅暮らしを続けていた。ある一家に草鞋を脱いだが、親分の娘・おみよ(春日舞子)に見初められ、長逗留しているところ、親分が闇討ちにあって殺された。その下手人は不明のまま、宇太郎とおみよは堅気になって所帯をもつ。一家の跡目は代貸し・時次郎(花道あきら)が継ぎ、縄張りの取り扱いは親分と兄弟分の伯父貴・勘兵衛(甲斐文太)に任されることになったが、その話がいっこうに進まない。時次郎が引き継ぎを怠っているためだ。業を煮やした勘兵衛は宇太郎夫婦が営む茶店にやってきた。「縄張りの話は、いったいどうなっているんだ」「そのことは時次郎さんに、まかせております。近いうちにたしかめておきましょう」「よろしくたのむぜ。ところで、なあ宇太よ。おめえは、死んだ兄貴の仇を討つきがあるのか」と、勘兵衛が本題を切り出した。今ではもう足を洗って堅気の暮らし、女房・おみよも「敵討ちなんてまっぴら、おまえさんにもしものことがあったら、生きてはゆけない」と言っている。宇太郎はそんな話に関わりたくなかったが、勘兵衛は執拗に煽りたてる。「お前だって、もとはヤクザ。親分の恩を忘れたわけではあるめえ。もし、証拠があって下手人が分かったら仇を討つか。まだ男の意地が残っているか」その一言で、宇太郎の義侠心が甦ったか、「たしかな証拠があるのなら、もちろん仇は討ちます!」「よしよし、それでなくっちゃ・・・」とほくそ笑みながら、勘兵衛は欣然と退場した。まもなく勘兵衛の使い(梅之枝健)が、証拠の品を届けに来る。見れば、時次郎の煙草入れ。宇太郎は、使いに「悪い冗談はよしておくんなさい。時次郎さんが下手人であるわけがない」。応じて、使い曰く「おめえさんは何にも知らねえんだ。時次郎とおみよさんは昔からいい仲、今でも時々会っているんだぜ」。その言葉を聞いて、宇太郎は冷静さを失った。止めるおみよを振り払い、病床の時次郎宅へ駆けつけると、問答無用で斬りかかる。時次郎は無抵抗、深手を負いながら「宇太さん、おめえは騙されている。下手人は勘兵衛だ。親分が闇討ちに遭った時、オレが相手と渡り合って一太刀浴びせたが逃げられた。そのときに失くしたのがこの煙草入れ、勘兵衛がそれを持っていたのなら、何よりの証拠ではないか」「なぜそれを今まで黙っていたんだ」「未練なようだが、オレは今でもおみよお嬢さんに惚れている。でもお嬢さんが惚れているのはおめえさんだ。おめえさんにもしものことがあれば、泣きを見るのはお嬢さん」「・・・・」宇太郎、絶句して立ち尽くす。そうか、親分の敵は勘兵衛か。すぐさま、勘兵衛を討ちに立ち去ろうとする宇太郎を、時次郎呼び止めて「待ってくれ。オレはもう長くない。早く止めを刺してくれ」「そんなことできるわけがない」「そうか、わかった!」、時次郎、最後の力を振り絞り、長ドスを腹に突き立てた。その一瞬、舞台の景色は凍りついたよう、泣く泣く止めを刺す宇太郎と、時次郎の舞台模様は、屏風絵のように鮮やかであった。だが、話はまだ終わらない。宇太郎、時次郎の亡骸に手を合わせ、勘兵衛のもとに駆けつける。「勘兵衛!よくも騙しやがったな。親分の敵だ、覚悟しろ!」一家子分衆との立ち回りも一段落、大詰めは宇太郎と勘兵衛の一騎打ちとなったが、しばらく渡り合ったかと思うと、意外にも勘兵衛、「待て、宇太!おめえはオレを討ってはならねえ」と自刃した。いつのまにか、そこに駆けつけたおみよと共に、呆然と立ち尽くす宇太郎・・・。勘兵衛、苦しい息の中で「この世は、因果応報。これが悪行の報いというものだ。おみよさん、オレの息が止まったら、これを宇太郎に渡しておくんなさい」と言うや否や、長ドスを首に突き刺した。「これ」とは何?おみよが確かめると、それは「お守り袋」、宇太郎が父親探しの証として肌身離さず胸に着けていた「お守り袋」と同じ仕様のものだったのだ。「おまえさん、勘兵衛さんはお父っあんだったんだよ!」「そんなはずはない」そんなことがあってなるものか、オレがこれまで探し続けたお父っつあんが、こんな野郎であっていいものか、といった戸惑い、悔しさ、情けなさ、空しさ、悲しさ、寂しさが「綯い交ぜ」になった風情を、三代目鹿島順一は、見事に描出していた。今はもう二人きりになってしまった宇太郎とおみよ、絶望的な愁嘆場で終幕となったが、さればこそ、両者の絆がいっそう固く結ばれたようにも感じられ、それかあらぬか、観客の大半が、老若男女を問わず、一様に目頭を押さえている景色が感動的であった。この芝居、「愛別離苦」を眼目とした時次郎とおみよの絡みと、「因果応報」を眼目とした勘兵衛と宇太郎の絡みが、錦のように織り込まれ、錯綜する「難曲」だが、それを斯界随一の「鹿島順一劇団」は、いとも鮮やかに演じ通した、と私は思う。就中、時次郎、勘兵衛が自刃する二つの場面は、まさに「死の美学」の極め付き、あくまでも潔く、さわやかな男たちの死に様は「世の無常」の象徴として、私の脳裏・胸裏に深く刻まれた次第である。
 第三部・舞踊ショー、甲斐文太の「安宅の松風」は、文字通り《国宝(無形文化財》級の出来栄え、それを鑑賞できたことは望外の幸せであった。
(2011.2.14)