梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

小説・センチメンタル・バラード(2)

    サイダーを二人で乾杯したととき、ボクの恋人は流産した。妊娠していることを知らなかった。ボクは、それによってできた恋人の裂け目に手を入れて、引き裂いたのかもしれない。コドモが出てきただろうか。苦しい。愛しているんです。すべてを忘れた方がいいと思います。退屈な生活があるはずがないというような主張は、生活主義者から革命家の手にゆだねられるべきだろうか。オトナ、すなわちボクと恋人は、コドモをダスター・シュートに捨てた。しあわせだ。罪は、それを犯したことに気づかないとき成立する。ボク達は、犯すことに気づいた。だから、当然のこととして犯さなかった。サイダーがボク達の内臓をつたわって、水洗便所に捨てられた。ところで、ボクと恋人は、生活について討論すべきだっただろうか。討論した。活字を拾い読みすることは生活ではありません。ゴハンを食べて寝ることは生活ではありません。コドモを安産することは生活ではありません。討論すべきではなかった。いっさいのコミュニケーションを拒絶するところに生活はある、ということもできない。ボクと恋人には生活はなかったし、ない。恋人はボクに愛されていないことを誇るべきだ。しかしボクは誇れない。何故か。
(1966.4.20)