梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

温泉素描・軽井沢「星野温泉」(長野県)

    軽井沢は真冬にかぎる。旧軽井沢の町並みは雪に覆われ、商店街はほとんど店を閉めている。観光客は激減し、季節はずれの若者達がちらほら散歩している程度である。点在する別荘は、それぞれ絵葉書のような情景を描き出してはいるが、人っ子ひとりいないのである。時折、食物をあさる野良犬に出会うが、こちらの姿をみとめると、驚いたようにポチポチの足跡を残して去っていく。 
 「星野温泉ホテル」に浴場は三つあるが、極め付きは「明星の湯」である。他の二湯「太陽の湯」「せせらぎの湯」が、立ち寄り湯の客で〈芋を洗うがごとき〉様相を呈している時でも、ここだけは閑散として静寂を保っているからである。
 客はなぜ「明星の湯」に入らないのか。理由は三つある。その一つは、場所が離れているからである。立ち寄り湯の客のせわしない心には、この名湯を見つけることはできない。その二つは、浴場が狭くみすぼらしいからである。脱衣所に入ると、独特な匂いがする。この臭気も、飽食の時代の観光客にとっては抵抗があるかもしれない。ちょっと見ただけでは、町の銭湯と変わらないような浴室なのである。立ち寄り湯の入湯料は千円であり、「千円出して銭湯にはいるのはもったいない」というような損得計算がはたらくのかもしれない。いずれにせよ、温泉の本質は泉質にあるのであって、浴室の広さや造りはどうでもよいということを知らない研究不足が「明星の湯」を救っているのである。その三つは、泉温の熱さである。誰もいない浴室の湯船から四十六度の弱アルカリ炭酸泉が音を立てて溢れだし、洗い場はもうもうとした湯気で蒸し風呂のようになっている。ときたま、この湯を見つけだした立ち寄り湯の客が入ったりすると「あつい、あつい」という言葉を連発して、不快げに飛び出していくのがおもしろい。ここの洗い場には二カ所しか水の出る蛇口がついていないので、湯気に妨げられてそれを見つけられなかった客は「あつい、あつい」にちがいない。温泉浴で大切なことは、いかに暖まるかということと同時に、いかに冷ますかということである。暖まることと冷ますことの繰り返しが、温泉浴の醍醐味であることを銘記すべきであろう。露天風呂は辺りの景色を眺めるためではなく、温もった身体を外気で冷ますためにあるということを知らなければならない。しかし、「明星の湯」は露天風呂ではない。ではどうすればよいか。いうまでもなく、入湯した後は脱衣所に出て、心ゆくまで身体を冷ますことである。
ちなみに、「明星の湯」の入り方は以下のとおりである。


ア 浴室に誰もいないことをたしかめて入ること。
イ 入室したら、湯気で身体を暖めること,
ウ 徐々に浴槽に近寄り、泉温をたしかめながら、足から入湯すること。
エ 下半身が泉温に慣れてきたら、肩まで入湯すること。
オ そのまま額から汗が流れ出るまでじっとしていること。
カ あつくて我慢ができなくなったら、ただちに脱衣所に出て身体を冷ますこと。
キ 脱衣所では身体の表面が乾くまで(汗が噴き出てこなくなるまで)十分に冷ますこと。
ク 身体が十分に冷え、寒いと感じるようになったら再度入室し、暖まりを繰り返すこと。
ケ 体洗は行わないこと(当然、別の浴場で行ってから来室すること)
 「明星の湯」の暖かさは、冷え切った私たちの身や心を芯から暖めてくれる。さらにそれは、いつまでもさわやかな「ぬくもり」として残り、私たちの日常空間を明るく灯し続けてくれるにちがいない。そして「明星の湯」の特質は、その熱さを冷ましながら入ることにある。
だからこそ、軽井沢は真冬にかぎるのである。
(1990.12.31)