梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

停留所

 地域のミニ・バスに乗った。目的の停留所で降りようと停車ボタンを押す。「次、停車します」というアナウンスが聞こえた。運転手も「はい、次、止まります」と答えた。直後に「バスが止まるまでそのままお待ちください」というアナウンス。私は座席に座ったままバスが止まるのを待った。しかし、である。バスは止まらず、あっという間に停留所を通過した。あわてて声を上げようとしたが、「待てよ!」と思った。歩いて戻れば済むことだ。この先、どこまで走り続けるのだろう。その経過を見届ける方がおもしろい。停車ボタンは点灯したまま、いくら押しても反応しない。運転手は次の停留所も無言で通過した。その次は鉄道の駅前、数名の乗客が降りるはずだ、さすがに通過することなくバスは停車した。運転手は何事もなかったように「ご乗車ありがとうございました」と言う。みずからの過ちには全く気づいていない様子だった。
 目的地までの時間は多少延びたが、おかげで私の運動量も増えた。法華経では「仏知見」(仏様の考え方)が説かれている。人間世界は「正しいか、間違いか」にこだわり、囚われるが、不毛な対立で終わることが多い。正しいも、誤りもない、そのことを知ることが仏道を学ぶことだ、と言うことを「実感」として、ほんの少しわかったような気がする。
(2016.9.24)