梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

メダルは《平等のシンボル》

 前回のロンドン大会では、オリンピックの入賞者が、パラリンピックの終了を待たずに単独で凱旋パレードを行い、図らずもアスリートはじめ関係者の未熟さが露呈された。それを反省してか、今回はオリンピック・パラリンピックの入賞者が合同でパレードを行うらしい。東京都教育委員会のホームページでは、オリンピック・パラリンピックの精神について〈世界中の人々が参加するオリンピックは「オリンピックの精神(オリンピズム)」によって支えられています。また、「もうひとつのオリンピック」といわれるパラリンピックにも「勇気」「決断力」「平等」「鼓舞」といった価値があります。〉と述べられているが、その《平等》という価値の意味について、未だに関係者の面々はほとんど理解していないように思われる。もし、すべてのアスリートが平等であるならば、オリンピックとパラリンピックを区別する必要はない。すべての種目に条件をつけて競い合えばよいことである。さらにまた、その競争に優劣の差はない。順位は「最下位」があってはじめて成り立つものである。入賞者、メダル獲得者の努力・精進は賞賛に値するが、同様(同等)に「予選落ち」「下位」に甘んじたアスリートもまた讃えられなければならない。今回、「銀メダルでは、応援してくれた人々に申し訳ない」と悔やむアスリートが見受けられたが、そのメダルは「最下位」「下位」の人々から戴いたかけがえのない「価値」としての、《平等のシンボル》であることを肝銘しなければならない。  
 入賞者、メダル獲得者だけのの凱旋パレードなど、所詮は「後の祭り」、「無用の産物」であると、私は思う。
(2016.9.22)