「本当はこわくない新型コロナウィルス」(井上正康・方丈社・2020年)通読・8《第3章 世界と日本の新型コロナの感染状況》
《第3章》世界と日本の新型コロナの感染状況(要約)
■新型コロナはいつ日本に来たのか?
・2019年の早い時期から武漢で新型コロナウィルスの感染が知られており、日本にもその年の暮れ頃からS型と呼ばれる弱毒の新型ウィルスが入ってきていた。しかし、感染しても大半の人々に症状がないために、当初は誰も気づかなかった。
■感染はどのように世界へ広がったのか?
・今回の感染はまず中国で急速に拡大したが、その後は感染速度が低下して3月以降にはほぼ収束した。これと入れ替わるように、今度はイタリア、フランス、スペイン、ドイツなど、ヨーロッパ各国に感染が広がり、3月中旬からはアメリカでも急拡大して瞬く間に世界一の感染増加国になった。
・欧米はパニック状態になり、国境封鎖やロックダウン(都市封鎖)などの措置が次々ととられた。しかし、日本では(習近平の来日、オリンピック開催などで)入国制限や渡航禁止措置などはギリギリまで行われなかった。にもかかわらず、日本の感染者数や死者数は、欧米とは比較にならないほど少なかった。
・日本では特別な対策をとらなくても、国境封鎖やロックダウンをした後の諸外国と同程度の感染速度で推移していた。
■新型弱毒株と強毒株はどのように世界に広がったのか?
・東アジアや日本には古くから土着のコロナウィルス(4種類のHCoV)が住みついており、風邪の主要な病原体として民族的に付き合ってきた。2002年には中国や韓国でコウモリ由来のコロナウィルスによるSARS(致死率10%)が、2012年には中国でラクダ由来のMERS(致死率40%)が流行した。これに加えて2019年末に、コウモリ由来とされる弱毒の新型コロナウィルスS型が武漢で発生し、世界に拡散した。この弱毒S型から突然変異により生まれた弱毒のK型ウィルスも中国内に蔓延した。
・武漢で誕生した弱毒型ウィルスが変異してG型やL型と呼ばれる強毒株が誕生し、重症化して肺炎を起こすリスクが高くなり、1月23日には武漢を閉鎖する対策が打ち出された。しかし、その直前に武漢市民500万人がウィルスと共に市外へ脱出し、中国内や世界へ拡散した。
・イタリアは2月1日に中国との直行便を停止、米国は2月2日に中国からの入国を禁止したが日本で中国からの入国が全面的に禁止されたのは3月9日だった。このため、日本へは無症状の中国人旅行者とともに、弱毒のS型やK型が早い時期に入国して国内に広がった。その後に上海で変異したG型がイタリアに広がり、欧州全体と米国で大流行した。この欧米型のG型やL型と呼ばれる強毒株が約9000人の帰国者とともに成田直行便で日本に入国した。しかし、それまでに日本人はすでに集団免疫を獲得していたために、強毒株による重症化や死者数は欧米よりはるかに少ないレベルに留まった。これにはBリンパ球が産出した抗体とTリンパ球による細胞免疫が重要な役割を果たしたと考えられる。・韓国、台湾、香港、シンガポールなどでも同様(中国人が大量に入国していた)で、重症化や死者が少なかった。
【感想】
・強毒性のウィルスが日本にも入ったが、すでに集団免疫を獲得していた日本人には、重症化や死者が少なかったという説は、京都大学の上久保靖彦氏の考えと「全く同じ」であることが興味深かった。
・2021年1月現在、感染者は拡大し、重症者、死者も「過去最多」であると報道され、首都圏では「緊急事態宣言」が出される模様だが、最新のコロナウィルスは「何型」なのか、PCR検査ではわからない、とされており、いつになったらわかるのだろうか。全く頼りない為政者、メディア、専門家たちである。
(2021.1.5)
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