梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「自由を我等に」(監督・ルネ・クレール・1931年)

 DVDでフランス映画「自由を我等に」(監督・ルネ・クレール・1931年)を観た。まだサイレント時代の面影が残る映像で、あのチャップリンのスラップ・ステックコメディともどこか共通する作品であった。冒頭場面は刑務所の中、囚人達が「流れ作業」で玩具の馬を作っている場面から始まる。その中で同房のルイとエミールは密かに脱獄を企てている。エミールが看守の注意を惹き付けている隙に、ルイは糸鋸を靴下に隠す。それで鉄格子を切断しようとするのだろう。計画は着々と進み、いよいよ決行の時(真夜中)が来た。はじめにルイが塀を乗り越えようとしたとき、警報が鳴り、看守達がかけつける。エミールはまだ塀の下、「オレにかまわず逃げろ!」と叫んだ。その甲斐あって、ルイは刑務所の外へ、走りに走っていると出会い頭に自転車と衝突、今度はその自転車に飛び乗って、また走り出す。無我夢中で走っていると周囲から拍手喝采、応援の声がする。どうやらルイとぶつかったのは、先頭を走っていた競輪(ツール・ド・フランス)の選手らしい。そしてまもなくゴール、ルイは「見事、優勝!」の栄誉に輝いてしまった。
 以後のルイは露天商を経て、レコード店員、レコード店主、レコード会社社長へと、とんとん拍子に出世、いまでは最新の設備を備えた、オートメーションの蓄音機製造工場を持つようにまでなった。
 一方、ルイの脱獄を助けたエミールは塀の中に逆戻り、しかし何とか刑期を終えて出所したが、「自由の身になったらまず恋を!」夢見るロマンチスト、働く気もなく野原に寝そべっていると、「何をしている、皆、働いているのに」と警官に連行され留置所に。もう脱走は諦め「首をくくるしかない」と鉄格子に綱をかけてぶら下がった瞬間、鉄格子が外れて、運よく脱出に成功、大工場に吸い込まれていく労働者の群衆の中に紛れ込んだ。看守と瓜二つの労務管理員に無理やり拘束されて、工場労働者の一員にさせられる。「働くことより恋が大事」なエミールは「流れ作業」は上の空、若い女子事務員に(男のくせに)秋波を送る。そんなこんなで作業は滞り、労務管理員に連れ出されそうになった時、そこを社長に成りすましたルイが通りかかった。思わず顔を見合わせる二人、当初はルイ「知らん顔」をして無視しようとしたが、もとをただせば囚人同志、二人きりになった所で「抱き合った」。
 以後は、ルイがエミールの恋を成就させようと助けたり、すべて機械がが働く新工場が落成したり、いよいよ正体がばれたルイが逃走しようと大金を持ち出そうとしたが、突然の「つむじ風」で札束が舞い散ったり、それを拾おうと群衆が入り乱れたり、といったスラップ・ステックコメディが展開、最後は再度「文無し」になったルイとエミールが、田舎の砂利道を「じゃれ合いながら」走り去る場面で「FIN」となった。
 この映画が、数年後に製作されたチャップリンの「モダン・タイムス」の下敷きになっていたことは間違いない。要するに「モダン」とは「流れ作業」による「大量生産・合理化」の時代であり、さればこそ人間は「機械に使われる」ことなく、主体性を確立しなければならないといった作者の主張が明確に語られていたと、私は思う。
 ちなみに、この映画と同時代の日本映画はまだほとんどサイレント、「喜劇 汗」(監督・内田吐夢・1929年)、「何が彼女をそうさせたか」(監督・鈴木重吉・1930年)、「東京の合唱(コーラス)」(監督・小津安二郎・1931年)、「生さぬ仲」(監督・成瀬巳喜男・1932年)などの逸品が揃っているが、「流れ作業」「大量生産・合理化」の時代になるまでには、およそ30年という時間が必要であった。
(2020.8.12)