梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「白内障手術」譚

 ほぼ1年前、私は以下のような駄文を綴った。


《私の戦後70年・メガネ》
 小学校入学時から私の視力は弱かったが、四年生の頃から黒板の字が見えなくなった。メガネをかけたいと思ったが、恥ずかしくて言い出すことができなかった。クラスの誰ひとりメガネを装用していない。学校の視力検査でも「見えない」ことを隠したい。私は順番がくるまでに検査表の文字列を必死で憶えた。「コ・ナ・ル・カ・ロ・フ・ニ・レ・コ・ヒ」。五年生までは何とかごまかせたが、六年生では叶わなかった。検査後、担任の先生は「この組で一番目が悪いのはK君!」と、私の名前を公表した。その時は恥ずかしさと悔しさで唇を噛んだが、今思えば「早くメガネをかけて、楽になりなさい」という温かい配慮であったのだろう。父も「そんなに悪いとは思わなかった。このまま度が進むと失明するかも知れない」と嘆いた。かくて、私はクラスでメガネをかける「一番乗り」となった。私が一番になったのは、後にも先にも、この時をおいて他にない。(2015.4.17)


 爾来60余年、メガネは私の身体の一部となり、睡眠時以外は片時も手放せない必需品となった。しかし、今年に入ってそのメガネも効用が薄れ、遠方はもとより近くの新聞、パンフレットなどの活字が見づらくなってきた。雑誌、単行本、文庫本に至ってはほとんど判読できない。「失明するかも知れない」と言った父の心配が現実のものとなったかと、諦めかけていたのだが、8月の初旬、念のため近くの眼科医で受診した。医師いわく「ああ、白内障がずいぶんと進んでいますね。両眼とも手術しましょう。少し押される感じがしますが、痛くはありません。今よりずっと見えるようになりますよ」。・・・ホンマカイナ、と半信半疑で看護師の面談となる。「濁った水晶体を取りかえます。同時にレンズも入れますが、焦点が一つの場合(近視用又は遠視用)は片目4万3千円×2、二つの場合(遠近両用)は片目33万円×2です。どちらにしますか?」「・・・・?、焦点一つでお願いします」「わかりました、9割の方が、焦点一つを希望します。それでは手術日を決めましょう。一番早くて9月1日、2日です。まず1日に右目を手術して2日は左目です。手術した目には大きな眼帯をしますが、そのまま帰宅できます。3日に眼帯をはずしますので、3日間は連続して通院してください。術後4日間(9月6日まで)は、入浴、洗髪、洗顔、飲酒、喫煙は控えてください。手術日の5日前から点眼薬(消毒)を1日3回さすことになります。それでは、9月1日午後0時30分に来院してくださいね。その時には手術の同意書を持参するように。何か質問はありますか」。誠に要領を得た説明で、即座に納得・同意してしまった。しかし、よく考えてみると、1日、右目の手術後には大きな眼帯をするとすればもうメガネはかけられない。裸眼の左目だけでは行動がおぼつかない。どうなるのだろうか、という不安も生じた。でもまあいいか、1日ぐらいなら何とか辛抱しよう、と思いながら手術日を待つことにした。
 いよいよ9月1日、定時に到着すると、すぐに名前を呼ばれた。視能訓練士が「眼圧」「視力」の検査をする。しばらくして医師の診察。「眼底はきれいです。手術は10分程度で終わります。がんばりましょう」。その日、手術を受ける患者は、私を含めて4名であった。いずれも70歳台後半から八十歳台の高齢者である。一同に対して看護師が手術用の上衣、帽子を被せ、安定剤を飲ませる。さらに血圧を測定し、今後の説明をする。「手術中は先生の言うことに従って、赤い灯りを見続けてください。先生の話しかけには必ず口頭で応えてください。瞬きはOKですが目をキョロキョロさせないでください。痛くはないので力を抜いて、がんばりましょう。順調にいけば10分程度で終わります。術後3日間は内服薬を1日3回、痛み止めは随時、1週間は三種類の点眼薬を1日6回続けてください。注意することは手術した目を圧迫しないことです。睡眠時はうつ伏せにならないように気をつけてください」。その後、麻酔の点眼薬を2回受け、私は三番目に手術台に乗ることになった。手術台は理髪店の椅子と似ており、背もたれが倒れると仰臥位になる。看護師が最後の麻酔薬を点眼した。医師は私の頭部後方に位置して、「それでは始めます。初めに消毒をします。右目をつぶってください」と言うと、右目を何かで強くこすり始めた。「沁みますか」。たしかに沁みるが「大丈夫です」と応じた。やがて「両目をしっかり開けてください」。しかし左目は覆われていて見えない。右目に見えるのは、ぼやけた赤い光である。「まっすぐ見て下さい、麻酔が効いているか確かめます」「痛くないですか」「大丈夫です」「では、切開します」「まっすぐ見て下さい、ハイ、上手です」「次に、レーザーをかけます。うまくいっています。もう少しです」「最後に、レンズを挿入します」・・・一瞬、透明な花が右目の中に開いたようだった。そして、手術室の天井がハッキリと見えた。「この手を見てください」。医師の左手の拳が開閉している。「見えますか」「ハイ、見えます」「終わりました、薬を塗ったら眼帯をします」。看護師が言う。「お疲れさまでした。背もたれを起こしますので、ゆっくりと立ち上がって下さい」。医師が「手術はうまく終わりました。では、また明日・・・」。控室に戻ると、別の看護師がすぐに血圧を測り、「左目のコンタクトを入れましょう。1日限りのコンタクトです」と言って笑った。なるほど、そういうことだったのか。左目もまた鮮やかに見えだした。「喫煙は控えてくださいね。毛細血管を刺激してよくありません」。
 帰宅後、インターネットで調べると、やはり「喫煙は控えましょう。どうしても我慢できない場合は、本数を減らしましょう」と書いてある。私は当然、後者を選んだ。
 かくて2日目、通院すると直ちに右目の眼帯、左目のコンタクトをはずし、右目の視力検査を行う。いっぺんに視界が開け、人々の顔がハッキリと見える。結果は0.9、しかし眼圧が高かった。昨日と同様に手術の準備に取りかかったが、安定剤に加えて眼圧を下げる内服薬を服用した。しばらくして、再び眼圧検査を受けたが、やはり状態は変わらない。てっきり、今日の手術は中止と覚悟して、医師の診察を待った。医師いわく「手術の結果は良好です。傷口もきれいです。少し眼圧が上がっていますが、今日は左目を手術しましょう。では、がんばって下さい」。
 左目の手術も、右目と同様の経過をたどったが、切開の途中、医師が「ア、それダメ!危ないよ」と言うことがあった。しかし、私には何がダメなのかわからない。「そうそう、それでいいよ、上手です」という言葉を待ったが、医師は無言であった。最後に「レンズを入れます」と言い、かすかに透明の花が開いたように感じたが、昨日ほどではなかった。その後「この人は・・・」と呟いて「もう一度」と看護師に言った。この意味も私にはわからない。しかし、ともかくも手術は終了した。「お疲れさまでした。手術はうまく終わりましたよ」という言葉で送り出された。
 控室での血圧測定も上がり気味、看護師が「大きく深呼吸してみましょう」と再測定、ようやく「140台」にまで下がった、という次第である。帰宅後は、静養に努め、痛み止めや眼圧を下げる内服薬も服用した。当然、喫煙は完全に控えた。
 最終三日目、いよいよ開眼の時が来た。左目の眼帯をはずすと、今までとは全く別の世界が拡がっていた。見える、見える、そして明るい。今日の眼圧検査は異常なし、左目の裸眼視力は0.7、矯正視力は1.2という結果であった。診察時の医師の話。「手術はうまくいきました。傷口もきれいです。近視も矯正されています。視力は1カ月ほどで安定するので、それまではメガネを作らずに様子を見て下さい。お疲れさまでした」。私は、心底から担当医師をはじめ医院のスタッフに感謝し、辞去した。
 外に出て、行きつけの喫茶店に入り、タバコを1本吸った。メガネなしでも自由に行動できる。サングラスもかけられる。たしかに、私の視力は60年余り若返った。うれしいことである。あらためて医学の進歩に敬意を表したい。 
 さて、これからどうするか。生まれ変わった目で、何を見つめ、何をしなければならないか、そのことが今、私に問われているのである。(2016.9.8)