梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

石原裕次郎という「男」(たち)

 52歳で他界した映画俳優・石原裕次郎の23回忌法要が国立競技場で営まれ、11万人以上の人々が参拝に訪れたという。私にとって、この「石原裕次郎」なる人物、何の感慨もわかないのだが、なにゆえ未だにそのような「人気」を保持しているのだろうか。兄の慎太郎は、言わずとしれた芥川賞作家、どうした風の吹き回しか、今は東京都知事としてオリンピック誘致に奔走している始末、何と「人間変われば変わるもの」である。兄弟の出自は、金持ちの「ボンボン」でポーズは「反抗的」だったが、「理由なき反抗」の寵児・ジェームス・ディーンとは雲泥の差、ただ単に昭和三十年代を「太陽の季節」などと称して、湘南・江の島・鎌倉あたりを「無為に」遊びまわっていたに過ぎない。長門裕之や津川雅彦は、役者の倅だが、この兄弟は単なる「与太学生」。その「イカレぶり」が堂に入っていた(肉体的にも群を抜いていた、いわゆるスタイル抜群・・・)ためだろう、貧相な若者たちが「(自分では果たせぬ)夢を託した」結果の人気だったとでもいえようか。「売り」は「かっこよさ」だけで、中身はゼロ、有り余ったエネルギーを「太鼓」(「嵐を呼ぶ男」)や「風」(「風速四十メートル」)にぶつけるだけでは、彼らの青春が頓挫することは時間の問題、「慎太郎刈り」「タフガイ」等といった当時のキーワードも、今では死語となり果てた。
 寄る年波には勝てず、兄弟共々「転身」を試みたかどうかは知らぬが、兄は「政治家」、弟は「デカ長(?)」(テレビドラマ「太陽にほえろ」)とは、よくしたもので、往時の「不良少年」(太陽族)が、世間に媚びへつらい、いっぱしの「実力者」に修まっているところが笑止千万、嗤って唾棄する他はないのである。
 この程度の「男」たちがもてはやされる「日本」という社会、その前途はますます「暗く」なるばかり・・・、「夜霧よ今夜もありがとう」ではすまされないのである。
(2009.7.5))