梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

マスクを「する」人、「しない」人

 今や日本の国民は、老いも若きも、全国津々浦々に至るまで、マスクを着用する人と、しない人に二分されるが、「する」人の方が圧倒的に多い。「しない」人は、さらに(意図的に)「しない」人と、(したくても)「できない」人に二分される。新型コロナウィルス感染症の拡大を察して、いちはやくマスクは店頭から消えた。そのため「できない」人は、マスク争奪戦の敗者であり、気の毒な存在なのである。にもかかわらず、「する」人の中には「できない」人を見て、不潔、薄気味悪い、危険人物ではないかなどと感じている連中がいるようだ。私はそうした連中に言いたい。「あなたはなぜマスクをしているのですか?感染を防ぐためですか?」もしそうなら、マスクの着用は徒労に終わるだろう。マスクによる感染防止の効果は確認されておらず、それよりも手洗いやうがいをていねいに、頻繁に行うことが大切だと、専門家が口をそろえて指摘しているからである。さらに言えば「あなたが今マスクをしているから、あの人たちはお気の毒にもマスクを着用できないのですよ。あなたは今、家に備蓄しているマスクを彼らのために提供できますか」、ということになる。
 マスクをしても感染から(完全に)身を守ることはできない。しかし、感染者が感染を拡大させないためには効果がある。この2点は国民の誰もがすでに承知していることだ。だから、私はマスクをする人を見ると、「ああ、あの人は『自分は感染している』と確信しているか、あるいは『感染しているかもしれない』という疑いを持っているのだな」と思うようにしている。
 巷間では、「する」人の方が圧倒的に多い。だとすれば、今や国民の圧倒的多数がすでに「感染している」と考えたほうがよい。私自身はまだ「感染している」感じがしないので、その間は「しない」ことにする。そしてもし「感染した」場合には、マスクを着用「できない」(在庫・備蓄がない)ので、極力外出を控え、自家製のマスクで対応しよう。
(2020.3.2)