梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・18・《第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために》

《第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために》
◎要約
【情緒的絆の回復】
《抱きしめる行為ではなく「心」が重要》
・自閉症の子どもの母親にできる最良のことは、「抱きしめ」(ウェルチ療法)により、自分と子どもの間の絆を確立ないし再確立するための自分なりの方法を打ち立てることである。これは子どもが幼いほど効果的だが、どの年齢の子どもにも有効である。
・抱きしめ治療は毎日行うべきだし、母子双方がやりたい気分の時に行うのが望ましいが、どちらかないしは両方とも「今日は気がすすまない」という気持ちの時にもやるのがよい。治療開始当初は、1回も抱きしめを行わない日がないようにすべきである。じゃまが入らないような部屋で、心地よい長椅子か床の上の適当な位置(たとえばマットレス)を選ぶのが最もよい。最初の治療は不快なほど長く続くかもしれない。子どもがもがいたり抵抗したりしている間はやめないことが大事である。子どもが本当に母親に寄り添ってくるまで抱きしめなければならない。母親が子どもを抱いている間、父親は母親を精神的に支えることが望ましい。
・大事なのは抱きしめ(接触刺激を与えたり受けたりすること)という機械的行為ではない。肝心なことは「心理的」(情緒的)内容であり、これは抱きしめている間のふるまい方によって大きく左右される。機械的・義務的にやったり、退屈そうにやったり、いやいやながらとか、敵対的なやり方などをしては、子にも母にも益にはならない。
《抵抗の陰の抱きしめられたい気持ちを理解しよう》
・子どもが何歳であろうと、幼い子どものように思い、赤ちゃんのように扱うのである。優しくかわいがり、軽くあやしたり抱き寄せたり、キスしたり、背中やおしりを軽く叩いたり、背中をなでたり、自分の胸のまわりに子どもの腕を回したり、自分の腕を子どものからだに巻きつけ、ごく親しげに話しかけ、子どもにも話したり反応したりすることを励ます。子どもがもがいたりしたら、自分の脚も使って子どもを抱きとめるようにする。できるだけ胸と胸との接触を保つように心がける。子どもがどんなに激しくもがいたり距離をおこうとがんばっている時でも、子どもは同時に抱きしめられたいという「どっちつかず」の気持ちでいるのだということを忘れてはならない。子どもは赤ちゃんのように扱われたいと思っていることを忘れてはならない。抵抗は子どもの「一面」の表現にすぎない。その「一面」を減らし、なくすことが治療の目的なのだから。
・抱きしめ療法は、長く続き、身体的にくたくたになり、心理的にもつらいことがある。子どもが母親に抵抗したり、母親を責めることばを投げつけた場合でも、優しく温かい態度をとり続けなければならない。「献身的」な努力が必要である。
《子どもの精神のレベルにあわせて語りかける》
・子どもが飽きてしまったという様子を示し始めても、母親は簡単にあきらめてはいけない。子どもが興味をもっている物語を聞かせる、童謡を歌ってやるなどしながら、「身体接触」を増し、続けることが大切である。語りかけは、原則として、ごく幼い子どもの「精神年齢」に合わせるようにしなければならない。自分の顔を子どもの顔の高さまで下げることも大切である。以上のことを、すべて臨機応変にやらなくてはいけない。
《父親にも母親とは別の役割がある》
・父親の役割は、子どもと遊ぶことである。「じゃれ遊び」「床の上を這い回る」「いないいないばあ」「ぶらんこ」「キャッチボール」「散歩」(探索)などである。
・父親の日常的な家事(皿洗い、修理、庭いじりなどの作業)を観察させることも大切である。しかし、「無理じい」してはならない。大部分の自閉症児は、そのような場面で見たことをたくさん吸収したり利用したりしている。
《刺激の必要と過刺激の危険》
・子どもが必要としているのは、「特別の種類」の刺激であり、それは「対人的行動」や「探索的行動」「食べること」「眠ること」などのような健全な行動をひき出したり導いたりする刺激である。恐れやパニックをひき起こすような刺激、子どもが望んでいないような「過」刺激は決して与えるべきではない。
・現代社会は「情報入力過負担」の悪条件に満ちている。刺激の多過ぎは、たとえそれが知的には有効なものであっても、「脳の」発達ばかり強調しすぎる傾向のある中流階層の家族ではぜひ「避ける」べきであると思う。
・自閉症児では過刺激が恐れやひきこもり傾向を強めてしまうことがある。また、あまりにも侵入的な干渉によって、子どもをうんざりさせてしまうこともある。
・刺激の多過ぎが子どもに「興味の葛藤」をひき起こすこともある。(例1・1歳の子どもが大喜びで父親と「じゃれ遊び」をしている最中に、誰かがラジオをつけた。子どもは、その音楽に気をとられ、跳ね回るのをやめたが、どちらに集中してよいかわからず葛藤していた。例2・自閉症児のための学校などでも、「認知」の欠陥であるいう考えを信じている教師が、あまりにも多くの異なった刺激を同時に与えて、子どもを混乱させていることがあった) 
・子どもが、何かをもたもたやっている時に、せっかちになって、代わってやってしまうことのないよう、気をつけなくてはならない。子どもは、自分のペースで技能を伸ばしていく機会、自力でできたことの自信を奪ってしまうからである。


《感想》 
 ここで述べられていることは、「指導法の実際」の《核心》である。著者が提唱する「抱きしめ療法」のやり方が、具体的に(詳細に)説明されている。さらに、その《本質》もまた明解に語られている。著者いわく、母親が子どもを抱きしめようとする時に、子どもが示す、「抵抗は子どもの一面の表現にすぎない。それはあなたが治療したいと願っている病気の一面であり、その根底にあるものである」。すなわち、自閉症とは、母親に抱きしめられようとした時に示す「抵抗」そのものとして現れている、それが自閉症の本質であるという認識である。したがって、その「抵抗」を軽くすること、やわらかくすることを試みながら、なくなるまで「持続」することこそが「自閉症治癒への道」に他ならない。まさに、本書のテーマ、そして自閉症治療の本質(仮説)が述べられている、《最重要部分》だと、私は思う。あとは、どのようにして母親を「その気に」させるか、どうしたら「できたことを悔やんでもしかたない。今問題なのは、どうしたらこの子を治せるかということだ」という気持ちにもっていけるか、そして「うまくいくのではないか」というような気軽な受け身的な信念ではなく「うまくいかせてみせる」という楽観的決意の態度を育てるか、私たち自身の「あり方」が問われることになる。(2013.12.5)