梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・9・《第4章 自閉的状態の分析⑵・・・子どもの行動》

《第4章 自閉的状態の分析⑵・・・子どもの行動》
【感想】
《葛藤仮説の実験的検証》
 この節では、著者夫妻(の研究グループ)が行った実験で、「葛藤仮説」が検証されている。その第一ステップは「自然の実験」(非意図的実験)である。子どもを自然の状態においたまま、観察する。そうすると、どのような外界の出来事が回避行動をひき起こし、どのような出来事が子どもを人やものに接近させるかについて、最初のヒント(アイデア)を与えてくれる。医師の診療室での診察や、心理学者の「テスト」で明らかになることは、子どもが「反応しない」ということだけである。第二のステップは、子どもの家庭を訪れたり、訪問を受けたりした時、《(対人的な)不安を軽減すること》に重点をおくことである。その手続きは以下の通りである。〈①好意的な目でほんの一瞬その子をちらっと見た後は、その子をまったく無視する ②子どもはその見知らぬ人をじっと見つめて用心深くその人を調べ始める ③もうだいじょうぶだろうと思って、その子をちらっっと見た時、その子が目をそらしたら、直ちに視線を向けることをやめなければならない。④まもなく、その子はその人を調べるのをやめるようになる。⑤子どもは慎重に近づき、その人にさわることによってその人とつながりを持とうとする強い傾向を示す。(決定的な瞬間)⑥その場合、その子を見たりしてはいけない。⑦自分の手で注意深くその子に触れることで応じる。⑦もし、その子が笑ったら、ひとり笑いしてもよい。ただし、まだその子を見てはいけない。⑧まもなく、子どもはより大胆になってくる。接触や間接的な発声を続けることによって絆がだんだん固まってくる。⑨そこで、はじめのちらっと見ることに切り換える。注意深くやらなくてはいけない。一歩一歩、微笑を忘れずに、はじめはほんの一瞬にする。はじめは顔を覆って、その子の名前を呼びながら、ちらっと目を見せてまたすぐに覆うようにする。子どもはニヤリとしたり、笑い出したりすることさえある。⑩まもなく、子どもの方からそれをやってもらいたがるようになり、視線を合わせる時間が長くなり、よく目が合うようになる。⑪この遊びを注意深く進めていくと、もっと遊んでもらいたくて文字通りわめくようになる。〉この方法は、カモメのオスがメスの恐怖を和らげる手続きと似ている。また、犬に対しても有効である。以上の手続きとは反対に《不安を強める》方法は、いつでも、どこにでもある。「押しつけがましい観察」「子どもとの突然のやりとり」「電気ショックによる行動変容療法」等々。結論として言えることは、自閉的行動は実験的操作が可能であり、その基礎をなしている不安を減らす方向にもふやす方向にも可能である、ということである。
《動因葛藤の長期的影響》
 この節では、自閉症児の「行動特徴」が、長い間の葛藤状態の結果として現れているということ、また「くせ」「常同行動」など、自閉的行動の「起源」や「種類」について、動物行動学的観点から、詳細に述べられている。ただし、それらは典型的な自閉的行動の「すべて」についてその起源を見出しているわけではなく、その方法を示したい、とも付記されている。
◎自閉的行動の起源を知る
・自閉症が長びいている場合の最も重要な二次的影響は、「葛藤動作の形式化」と「乳幼児的行動が永年にわたって保持される」ことの二つである。
・「抑制された志向動作」
*くるくる回りは接近と回避の組み合わせ(くるくる回りの起源は、接近の最初の段階とくるりと向きを変えて歩み去るときの最初の段階との連続的組み合わせとおもわれるふしがある)
*揺する・ころがるも接近と回避の連続(一カ所で立つか座るかしたまま体を前後に揺すること(ロッキング)も、同じく接近志向動作とひきこもり動作の連続である。動物の多くにふつうに見られる振り子運動に似ている。正常な大人が酒場で口論になったような時、前進・後退をくり返したりするが、それは正常と見なされている。しかし子どもが①前進しようとする動きと後退しようとする動きの最初の部分だけを見せ、②これを形式化された形で長くくり返したりしていると「常同行動」と呼ばれる。座っている子どもの場合は、立ち上がろうとすることと座ったままでいようとすることを交互にしていることに起因するかもしれない。
*足振りと首振りは回避を誘う状況に見られる(足振りは、同じ場所で足踏みすることの形式化された形ではないか。首振りは、「イヤ」と首を横に振る行動と同一の起源ではないか。
*探索が抑制された動作のいろいろ(「手を見つめる」「物にちょっと触れたり叩いたりする」「口に物や指を入れている」「舌をスプーン状にする」*自閉症児は広く外界に身を乗り出すことをきらうため、多くのくせが乳幼児的な自己ー探索行動から出てくる)
・「緊張姿勢」
*声を立てる前の胸と喉の筋緊張(全身的筋緊張、典型的自閉症的「うなり声」)
*手のこわばった形と姿勢(ふつうの乳幼児、ヨチヨチ歩きの子どもの手に見られる動作の緊張性「凍結」型である)
*体を横に向けての接近(誰かに近づいていくときに全身を横に向けている*動物では移動運動の「モザイク」てき動きとしてふつうに見られる)
*自分を傷つける行動は葛藤と欲求不満の表出(体の表面を良い状態に保つための行動、「身づくろい系」に属する「転位」行動である。自閉症児は、欲求阻止や屈辱によってひき起こされる攻撃性を、相手や物に向ける勇気がなくて、自分自身に向けてしまう。「自分をひっかく」「自分の指をかむ」「頭突き」「背中うち」)
*ことばの常同行動(対人的な圧力がかかると、まるでレコードの針が溝に引っかかったときのような「言語的常同行動」としか呼びようのないしゃべり方をすることがある)
*話しことばの欠如は話せないのではなく「話したくない」から(自閉症児は過度の不安と対人行動の抑圧のために話したくないし、話そうという気持ちにもなれないから話さない。
*全体的な遅れは対人・探索行動が抑制された結果(自閉症児が習得しうることは、全体として外界へ乗り出さずにできること、手を体から離すことさえしないでできるようなこと、そして大人からの教示を必要としないようなことである場合が多い。
*まれに見られる高い能力をどう解釈するか(ときおり高い能力があらわれるということは、能力の低いところは行動を起こす器官の欠陥に原因があるのではなく、深い、「情緒的な」、機能不全のために、もともとは健全な「行動のための機構」の機能の「展開」が妨げられているということを非常に強く示唆している)
*「ポーカーフェイス」と「ポーカーボディ」の意味(他者から対人接触の意志があると解釈されるかもしれないような動き、子どもが望まない他者の接近につながりうる動きをも避けてしまうという傾向と能力の表れである。自閉症児の無表情な行動は、本質的には企図的なものであり、対人接触からわが身を守ろうとする手段の一つである)
*かんしゃくやてんかん発作は「プロテウス行動」(子どもが逃げ出したいという極度にに強い願いを持ちながら逃げることができない時に「かんしゃく」が見られる。このような「かんしゃく」と、多くの自閉症児の場合に「真性の」てんかん発作と似ていて、程度によってはそれに移行していく。「ひきつけ」や「発作」との間には密接な関係がある。てんかんになりやすい身体的「器質的な」素因をもっている子どもの場合、他の自閉症児ならパニックやかんしゃくを起こすような状況のもとで発作をおこしてしまいやすい)
*つま先歩きと反響言語・代名詞の反転(つま先歩きは、「ヨチヨチ歩き」から少し成長した子どもには「一過的にごく短い期間」見られる。反響言語は、正常な話しことばの発達の一段階である。代名詞の反転は、正常な子どもに見られる。自閉症児が正常な子どもと違っているのは、自閉症児の方が長い期間あるいは永久に、反響言語・代名詞の反転の段階にとどめられている(程度の差)ということである。
*自閉症児の行動のすべては不安ー優勢の情緒葛藤の表れ(自閉症児の行動のすべては不安ー優勢の情緒的葛藤が第一義のものである。多くの自閉的行動が「無意味」に見えるのは、いくつかの型の形式化と、自閉症児の全体的な遅れ、対人接触を招くことのないようなやり方の巧みさのためである。社会的な接触を招かないという目的はしばしば見事に成功する。「無意味な」「むだな」行動は、マイナスの機能をうまく果たしているので、大人は「だまされて」子どもを放っておくのだ)


以上が、「自閉的行動の起源」(葛藤動作の形式化と乳幼児的行動の保持)と考えられるが、著者はこの章を終えるにあたって。オゴーマンの考え方を以下のように論評(批判)している。
◎オゴーマンの診断的指標についての再考
⑴現実からのひきこもりまたは現実との関わりあいがもてないこと
*子どもがひきこもるのは「その子にとってなじみのない人となじのない場面」からである。自分をそっとしてくれるかぎり両親からひきこもることはないし、好みの部屋の隅からひきこもることはない。ほとんどの自閉症児が「現実」と一種格別に強い結びつきをもっている。自閉症児がかかわることができないのは「われわれの目から見た現実(の一部)に過ぎないのである。
⑵重度の精神発達遅滞と、比較的高いまたはほとんど正常あるいは並はずれて高い知的機能や技術の片鱗
*自閉症児の発達で遅れてくるのは、対人的交渉や探索の結果として発達してくる側面である。高い能力の片鱗が現れるのは、つねに自分ひとりで学習したり練習したりできる技術面である。(レコード・ラジオ・テレビなどの操作、ジグゾーパズル、ブロック、レゴ、作曲、美術作品、話しことばの理解、読み書きなど)普通以上の認知能力をもちながら、自分が安全だと感じている場合以外は。それを使わない。
⑶話しことばの習得の失敗、すでに覚えた話しことばをコミュニケーション目的にうまく使うことの失敗
*ことばというものが対人接触の一つの形であり、そのような対人接触への意志が自閉症児においては終始抑制されていることを理解しなければならない。単に話しことばを聞くだけで(読むことによって)驚くほどの量が学習されている一方、話しことばの発達の遅れは「練習不足」のため、当然いっそう悪化する。
*反響言語や代名詞の反転、「否定的」表現(「はい」よりずっと頻繁に「イヤ」と言う)などの「典型的に自閉症的」行動は、正常な話しことばを獲得する初めの時期に比較的短い期間見られる。子どもの気分の変動に伴って、一時的な(短い時間の)進歩や退行は起こることは、誰でも同じである。
⑷ひとつまたはそれ以上の感覚刺激(通常は音)に対する異常な反応
*自閉症児は刺激(音だけではない)に対して「過度」に反応しているのである。正常児にとっては中立的あるいは軽度にひきこもりをさそうようなものであるが、その同じ刺激が「自閉症児にとっては」もっと恐ろしいものであり、そのために用心深くあるいは本格的パニックを伴ってひきこもってしまう。同時に自閉症児は、自分にとってなじみのない刺激(あるいは不快な刺激)に対してさえ、ふつう「過小反応」をする。「なじみがない」という基準(なじみがあるかないかという)は、その子がくり返しその状況にさらされるたびに、それになじみをもつ方向に「行動してきたかどうか」によって決めなければならない。その反応の過小・過剰という場合にも、それが「生得的な」ものか、学習をしたかしないかによって決まってくる種類のものかを区別して見なければならない。(例・自閉症児は、転落の危険、猛犬、叱っている両親などから身を守ることが上手だが、猛スピードで近づいてくる自動車には反応できない。前者は「生得的」な反応だが、後者は「教えられなければならない」「学習」による反応である)
*自閉症児が、音に反応しないのは、耳に入る全体の音の「一部分」に対してであることから、(末梢感覚器官の損傷とは無関係の)中枢における動因の支配を受けた「反応拒否」(遮断)であることがわかる。
⑸目立った癖や奇異な行動がいつまでも見られること
*これらは、葛藤の直接的な表出に起因するものであり、すでに述べた通りである。(基本的には「学習によらない」が、個人的な習慣形成によって「形式化」され、一人一人に特有な「常同行動」ができあがる)
⑹変化に対する病的な抵抗(「同一性の固執」)
①患者自身の行動、周囲の人々の行動の中で何らかの儀式的パターンをしつこう守らせようとする。
*儀式的パターンは、慣れ親しんだ環境と同じように自分を安心させてくれるものであり、誰でも好む。自閉症児の変化に対する抵抗は「程度の差」に過ぎない。
②同一の環境や器具などに対しての病的な固執
*これは、誤った方向への社会化(社会化の転向)である。自閉症児にとって利用できるもので恐ろしくないものはごく少ない。しかも、自閉症児も愛着形成を強く「欲している」からである。方向が誤ったのは、正常な対人反応の抑制の結果である。(自閉症児がペットに対し強く愛着するようになるのはまれなことではない)
③特定の物に過度に没頭すること(物への「執着」)
*自閉症児は、思い切ってやってみることができる活動があまりに少ないので、たまたま恵まれたわずかな安全な状況あるいは物に没頭せざるを得ない。しかし、正常な子どもも大人も、自閉症児と同様に「奇妙な執着」をもっている。チェーンスモーカー、コレクター、家自慢の主婦など)
④環境の同一性がおびやかされた時に示す激しい怒り、恐怖、興奮あるいはひきこもり傾向の増大(「かんしゃく」)
*むり強いされると自閉症児は容易に「かんしゃく」を起こす。これらは「気質的な」かんしゃくではなく「恐慌の」かんしゃくであることが多い。
*自閉症児にみられるてんかん発作は必ずしも重い生理的な機能不全を示す物ものではなく、多分に動因の葛藤状態の結果でありうる。


◎結論
*われわれは、児童精神医学分野では適用されたことのない、動物行動学的なアプローチを用いて、自閉症の本質を追究してきた。
*自閉症児は一義的には動因的(情緒的)不均衡に苦しんでおり、その状態で対人回避と、環境や日課に対する回避が支配的になっている。ひとつひとつの出会いにおいて、回避がほとんど永続的なものとなり、対人的な絆を形成し外界を探索しようとする準備体制ばかりか、それに向かう強い不可欠な衝動までも抑えつけられてしまう。子どもがそのような歪んだ道を歩む期間が長ければ長いほど、自閉的な状態が進行し、ますます正常な社会に適応できなくなる。


 私はこれまで「自閉症」は、一義的には「感覚」の過敏さや、それに伴う自律神経の「失調状態」に苦しんでいると考えてきたが、それ以前に「情緒的」(心因的)不均衡、主として、新しい場面、人、物にたいする「恐れ」が生じており、その状態が「異常な」回避行動を増進させているという「仮説」が、たいそう興味深かった。また著者は、「自閉的状態」と「自閉症児」という言葉を明確に使い分けている。つまり、「自閉的状態」とは、誰にでも起こりうる状態であり、その状態が長びくことによって「自閉症児」が、(周囲の環境によって)「作り上げられる」という「仮説」もまた興味深かった。だとすれば、現在「自閉症児」と呼ばれている子どもの「自閉的状態」を分析し、それを引きおこしている「恐れ」を取り除けばよいのではないか、という「(治療)仮説」が生まれてくるからである。その前に、著者は次章で、その「恐れ」の原因は何に起因するか、述べようとしている。再度、いっそうの興味をもって読み進めたい。(2013.11.24)