梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「2020東京五輪」の《どっちらけ》

「2020東京五輪」まであと1年を切り、にわかに期待が高まってきた、と言いたいところだが、私自身は全く白けている。その理由は以下の通りである。
 まず第一に、「オリンピック憲章」にある《オリンピズムの根本原則》が具現化されそうもないからである。
 根本原則には、《オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重点を置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである》《(オリンピックムーブメントの)活動は5大陸にまたがり偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会に世界中の選手を集めるとき頂点に達する。そのシンボルは5つの結び合う和である》とある。平和な社会とは「戦争のない社会」であり、戦争をしない代わりに「スポーツで競い合う」ことを目的にしているのだ。したがって、オリンピックに参加するということは、戦争をしないことを意味する。しかし、現実はどうか。未だに「武力行使」を紛争解決の手段として容認している国々が、大手を振って堂々と参加しているではないか。開催国日本は、参加国すべてに今後いっさいの「戦争の放棄」を約束させるべきである。(だがしかし、そんなことは今の関係者に望むべくもない・・・)
 また、他に《スポーツをすることは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づきスポーツをする機会を与えられなければならない。オリンピック精神においては友情、連帯、フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる》とも述べられている。だとすれば、「オリンピック・パラリンピック」と、その活動を区別している《現状》は、この根本原則に違反していることになる。「すべての個人はいかなる差別も受けることなく・・・スポーツをする機会を与えられなければならない」からである。オリンピックの中に障害者の種目を加えればよいのであって、ことさらに、パラリンピックなどと別のステージを設ける必要はないのである。
 第二に、各関係者の胸中にあることは、「オリンピック憲章」は建前(絵に描いた餅)であり、本音は「ぼろ儲け」(棚から牡丹餅)を心底から期待していることが「見え見え」だからである。およそ「友情、連帯、フェアプレー」とは無縁の「そろばん勘定」ですべてが賄われているのだ。日本の出場選手がメダルを獲れば、金メダル500万円、銀メダル200万円、銅メダル100万円の賞金がJOCからもらえるのである。つまり、憲章で謳われた「人間の尊厳」ではなく「人間の欲望」の保持に重点が置かれるわけである。
 第三に、その結果、正気の沙汰とは思えない「夏季開催」が強行されることになる。誰が考えても「スポーツの秋」が常識であろう。(前回の東京五輪は秋であった)では、なぜ夏なのか。それが開催の条件になっているからだが、某ネット記事では以下のように説明している。
 《最大の理由は、テレビの放送枠で人気プロスポーツとの争奪戦を避ける狙いがある。秋は欧州ならサッカー、米国は大リーグが佳境を迎え、アメリカンフットボールのNFLとも競合する。夏ならスポーツ界の「繁忙期」ではないため、放送枠を確保しやすい。逆に言えば、10月に五輪が開催されても、今のような天文学的な放送権料なんて払えない、という理屈である。それほど、テレビマネーの威光は絶大なのだ。IOCの繁栄を支える最大の収入源である放送権料は、10年バンクーバー冬季五輪と12年ロンドン五輪で計約39億ドル(約4690億円)。IOCは収入の9割を各国オリンピック委員会や各競技の国際連盟などに還元している。巨額の補助金を受け取る側からは異を唱えにくい》(*AERA 2015年9月7日号より抜粋 https://dot.asahi.com/aera/2015083100025.html?page=2)
 要するに、「2020東京五輪」は、何から何まで《金まみれ》、IOCは憲章で《「選手の健康を守る施策を奨励、支援する」「スポーツを商業的に悪用することに反対」とうたっているが、実際には「憲章」に抵触している現実がある》という指摘(前出記事)もあるほどに、アンフェア精神に満ちているのである。そして間違いなく、出場選手もしくは観客の中から熱中症患者が続出、最悪の場合には死者までも出ることを想定しなければならない。 
 以上、「私自身は全く白けている。」理由である。