梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

脱テレビ宣言・検証・《ドラマ「警官の血」の評価》

 東京新聞の朝刊に目を通すと、芸能欄に興味深い記事が3本載っていた。いずれも、テレビドラマ「警官の血」(テレビ朝日開局50周年記念50時間テレビミステリー・ドラマスペシャル)の感想を述べたものである。その1、プロ・コラムニスト醍醐味氏曰く〈・・・まれに見る傑作だった。戦後六十年、正義のために生きた親子三代の警察官の闘いを二夜連続、五時間で描いた大作だ。(略)テレビドラマの可能性が実感できた作品だったといってよいのではないか。警察社会の闇、そしてそれに翻弄された祖父、父をも保身のために利用する三代目のしたたかさ。幾多のドラマにありがちな甘い正義感やセンチメンタルで終わらなかったところも感慨を呼ぶ〉(「からむニスト」・14面)。その2、アマ・56歳の教員曰く〈三代にわたる警察官の一族が味わった悲しみは、日本社会の複雑で混濁した側面を象徴しており、深い波紋を投げ掛けていた。戦時中から現代に至るまでの社会的状況を、二つの別の糸で鋭くえぐり出し、見応えのある秀作であった〉(「反響」・15面)。その3、アマ・71歳女性曰く〈期待して見ましたが、駆け足で何を言わんとしているのか分かりませんでした。最後は暴力団まがいのシーンが多く、あれが警察の仕事かと思いました。まじめで正義感あふれる日本の警察のイメージが崩れた思いです〉(同)。プロのコラムニストと中高年教員が「傑作」「大作」「秀作」と評しているのに反して、(おそらく無職または主婦の)老女性にはドラマの「意図」が全く伝わらない。一方が「幾多のドラマにありがちな甘い正義感やセンチメンタルで終わらなかった」と感動しているのに、他方は「まじめで正義感あふれる日本の警察のイメージが崩れた」と慨嘆する、そのコントラストが何とも興味深かった。いったい、ぜんたい、その「対立」は奈辺に起因するのであろうか。まさに「日本社会の複雑で混濁した側面を象徴している」感があった。専門家と教員の評価が「一致」しているとすれば、その「対立」は、間違いなく「エリート」と「素人」、「インテリ」と「庶民」といった構図上に起因するものであり、その溝は「永遠に埋まらない」だろう、と私は思う。日本社会の「悲劇」はドラマの中だけでなく、実社会の中で「現在進行中」であることをあらためて確認できた次第である。ちなみに、件のドラマ「警官の血」を私自身は一瞥もしていない。とうの昔に「脱テレビ宣言」をしている身にとっては、テレビドラマなど、つゆほどの関心も持ちあわせていないからである。
(2009.2.15)