梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「新元号」(令和)雑感・3

 4月1日に行われた新元号発表にかかわる【安倍総理冒頭記者会見】の光景は、まさにこれ以上の「嗤い話」はないというほどの《噴飯物》であった。
 まず安倍首相が、以下のように「御託を並べる」。
《本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。新しい元号は「令和」(れいわ)であります。
 これは「万葉集」にある「初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き 蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」との文言から引用したものであります。そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております。
 「万葉集」は、1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。
 悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、「令和」に決定いたしました。
 文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和な日々に心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様と共に切り開いていく。新元号の決定に当たり、その決意を新たにしております。(以下略)》
 その後【質疑応答】に入り、まず産経新聞の記者が、
《今日、先ほど決定した新元号を、日本の古典を由来とする「万葉集」からとった「令和」としたことについて、これまで元号は全て中国の古典を由来としてきたとされております。改めて、日本の古典を由来として「令和」に決めた、その総理の思いをお聞かせください。
(以下略)》
 安倍首相は「我が意を得たり」と、以下のように応える。
《我が国は、歴史の大きな転換点を迎えていますが、いかに時代が移ろうとも、日本には決して色あせることのない価値があると思います。今回はそうした思いの中で歴史上初めて国書を典拠とする元号を決定しました。特に「万葉集」は、1200年余り前の歌集ですが、一般庶民も含め地位や身分に関係なく幅広い人々の歌が収められ、その内容も当時の人々の暮らしや息づかいが感じられ、正に我が国の豊かな国民文化を象徴する国書です。これは世界に誇るべきものであり、我が国の悠久の歴史、薫り高き文化、そして、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄はしっかりと次の時代にも引き継いでいくべきであると考えています。(以下略》
さらに、フジテレビの記者から「駄目押し」の質問が続く。
《総理、平成の改元時とは異なりまして、今回、総理が自ら談話を読み上げる判断をされた理由を改めてお聞かせください。
 また、新たな元号を選定するに当たりまして、これまで複数の案を検討されてきたと思いますけれども、「令和」という元号に決めた、決定した最大の決め手は何だったのか、改めてお聞かせください。》
安倍首相は前者の質問に細々と説明した後、後者の質問に対して以下のように応えた。
《また、元号の選考につきましては、他の案が何かということも含めまして、検討過程について申し上げることは差し控えますが、我が国が誇る悠久の歴史、文化、伝統の上に、次の世代、次の時代を担う世代のために、未来に向かってどういう日本を築き上げていくのか。そして、その新しい時代への願いを示す上で、最もふさわしい元号は何かという点が一番の決め手でありました。》
 ここまででわかることは、安倍首相の「(万葉集に関する)借り物の蘊蓄」、《悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄》、《我が国は、歴史の大きな転換点を迎えていますが、いかに時代が移ろうとも、日本には決して色あせることのない価値があると思います。》という文言の中に潜む(貧相な)「民族主義」、とどめは、《今回はそうした思いの中で歴史上初めて国書を典拠とする元号を決定しました。》という強引な独断である。
 この記者会見が首相とメディア記者との「阿吽の呼吸」(出来レース)で展開されたことは明らかだが、同じ文言を繰り返す首相の言語(表現)能力も相変わらず、また《歴史上初めて国書を典拠とする》ことにも異論がないわけではない。「令」「和」という文字は後漢時代の詩文「帰田賦」(張衝)にも「仲春令月 時和気清」という一節があるからだ。(4月2日付け東京新聞。朝刊1面「初の国書 万葉集出典 中国古典踏まえ」参照) 首相が典拠とする万葉集(の文言)が、中国古典を踏まえたものであったとすれば、《歴史上初めて国書を典拠とする元号》とはいえない。とんだ「赤っ恥」を晒したものだが、「受け売り」と「ひけらかし」で《操り人形》を演じ続ける首相にしてみれば、そんなことは「想定内」、決して致命傷にはなるまい。というよりも、すでに彼の政治生命は絶たれているのである。(2019.4.18)