梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

友人A

 突然、中学・高校をともにした友人Aが横浜からやって来た。私が外出できないので「見舞い」に来たのだろう。私は「もう病人はやめて老人になるつもりだ」と言うと、うなずいて「それがいい」と言う。Aは都内の住宅地に永年住んでいたが、周囲に高層マンションが建ち始め、Aの自宅には全く陽が当たらなくなってしまった。そこで見切りをつけ、売りに出したところ○億円の値がついたそうだ。Aは直ちに売り払い、横浜の住宅地(高台)にある一軒家(新築)を△千万円で買い求め、移住した。したがって、○億-△千万円の「大もうけ」をしたことになり、都内××区の「長者番付」に載るかもしれないと笑っていた。月々の年金では暮らしていけないが、手元の「現金」は(老夫婦二人では)使い切れない額なので、何の心配もないそうである。まことにうらやましい限りだが、後の話が面白かった。《小学生の孫が訪ねてきて、「じいじ、一番大切なものは命だよね」というので「そうだよ」と応えた。さらに「二番目に大切なのは、お金だよね」という。正鵠を射ているので感心してしまった》。私も笑いながら、「じいじの薫陶、十分ではないか」というと、Aも、まんざらではないという表情を見せた。 大学卒業後、Aは広告会社に就職、(本人の話では)民間で波瀾万丈の半生を送ってきたようだ。私は柄にもなく、教育公務員の生活を35年間余儀なくされたが、Aの価値観とは全く正反対かもしれない。でも二人の関係が途絶えないのはなぜか。こちらからAに接近することはなくなった(学生時代には大いにあった)が、Aの方が一方的に接近してくる。それを私が拒絶しないだけのことである。かつてのこと(私がAにかけた多大な迷惑)を思えば、そんな身勝手が許されるわけがない。  
 Aは手土産に「ふるさと納税」で入手した「うなぎの蒲焼き」を「余り物だから・・・」と言って持参したが、返礼の品は皆無、蒲焼きの冷凍パックを「お持ち帰りいただく」他はなかった。帰路の無事を祈るのみ・・・。 
(2019.3.24)