梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

元日や今年もあるぞ大晦日

2013年1月1日(火) 晴
「元日や今年もあるぞ大晦日」、今日で、私は69回目の元旦を迎える。その中で、たった一度、忘れられない元旦があった。昭和28年の元旦である。その日は、快晴であったが、私の心は、どんよりと曇っていた。前日の大晦日、同居していた祖母が、当時大流行していたインフルエンザで、息を引き取ったからである。母はすでに亡く、父と祖母の三人で、八畳一間の「間借り生活」をしている時であった。祖母は72歳、10日間ほど床についた後の、あっという間の臨終であった。日々の看病(下の世話)は、(7歳の)私が担当する。溲瓶の色が黄色から橙色に変わると、まもなく祖母は昏睡状態に・・・。死を看取った父は、いたって平静、祖母の額に手を当てて「まだ温かい」などと呟いていた。そして元日、私は祖母の死を知らせるため、親類宅に走った。その途中、門松を飾った玄関に、一人の老爺が立ち、空を見上げて曰く「ああ、いい正月だ」。私は、泣きたい気持ちを抑えながら、その場を通り過ぎたのだが・・・。当然のことながら、焼き場は「三が日」まで休業、父と私は祖母の棺と、(八畳一間で)「空しい正月」を過ごさなければならなかった。「棺を見守りなさい。生き返るかもしれないから」などと言う父の言葉を信じて。線香の煙と、供物の林檎の匂いが入り交じって、異様な空気が漂う中、私の心中には「障子の中に障子ありて」という言葉が浮かんでくる。通夜の導師が、唱えた読経の文句が、妙に耳から離れない。今にして思えば、それは「生死のなかに仏あれば生死なし」(正法眼蔵生死の巻)という文言に違いない。さて1月4日、焼き場は、順番を待つ棺でごった返していた。祖母の棺を窯に入れたが、その数分後、誰かが叫んだ。「違う!違う!お棺を間違えた」、一同「えええっ」と驚き、係員が窯の扉を開けて、(「熱い!熱い!」と言いながら)再び、祖母の棺を取り出した。釘付けされた蓋を、大急ぎで打ち破る。一同、おそるおそる覗き込んだが、中には白菊に囲まれた祖母が。間違いなく横たわっていたのである。一度窯に入れた棺を取り出すなど、言語道断・前代未聞の出来事だが、さればこそ、その光景は、今でも私の脳裏に焼き付いて離れないのである。さて、私も今年は69歳、すでに父の享年(67歳)を超えている。「そろそろ、逝く準備をしなければならねえなあ」と、思っているのだが・・・。(2013.1.1)