梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「愛の世界 山猫とみの話」(監督・青柳信雄・1943年

 ユーチューブで映画「愛の世界 山猫とみの話」(監督・青柳信雄・1943年)を観た。戦時下における教育映画の名作である。
 主人公は、小田切とみ(高峰秀子)16歳、彼女の父は行方不明、母とは7歳の時に死別、母が遊芸人だったことから9歳の時、曲馬団に入れられた。現在の保護者は伯父になっているが折り合いが悪く、放浪を繰り返し、警察に度々補導されている。性格は強情、粗暴で、一切口をきかない・・・、ということで少年審判所に送られた。その結果、東北にある救護院、四辻学院で教育を受けることになる。彼女の身柄を引き受けに来たのは(新任の)山田先生(里見藍子)。市電、汽車、バスを乗り継いで学院に向かうが、とみは口を閉ざしたまま山田先生の話しかけに応じようとしないばかりか、「隙あらば逃げだそう」という気配も窺われる。事実、高崎駅で先生が水を汲みに行き戻ると、とみの姿は消えていた。あわてて探せばホームに立っている。「小田切さーん」と呼びかけられ、走り出した列車に飛び乗るという離れ業を演じる始末、ようやく学院の門前まで辿り着き、先生が「疑って悪かったわ、何でも悪い方にばかり考えてしまって・・」と言った途端、今度は本当に逃げ出した。道を駆け下り、畦道伝いに、田圃、叢を抜け、沼地へと逃げていく。必死に追いかける先生もまた走る、走る。とみは沼地に踏み込み、ずぶ濡れ、先生もずぶ濡れになって後を追う。「捕まえる」というよりは「助ける」ために・・・。やがて、とみの行く手には高い石垣が待っていた。万事休す、キッとして先生を睨むとみ。しかし、先生は意外にも、その場(水中)にしゃがみ込み泣き伏してしまった。とみは逃走を断念する。  かくて、とみは学院の一員となったが、「無言の行」は相変わらず、誰とも言葉を交わさない。院長の四辻(菅井一郎)は「初めはみんなそうだ、そのうちに必ずよくなる」と確信、山田先生を励ますが、とみの強情、粗暴は変わらず、院生とのトラブルは増え続ける。「親切にされると、下心があるんじゃないかと疑い深くなるものだ。彼女の乱暴は、身を守る手段なのだ」という院長の言葉は、現代にも通じる至言だろう。
 院生たちの不満は、一に、新参のとみが心を開かないこと(緘黙を貫いていること)、二に、そうしたとみを院長が許容していること、三に、山田先生がとみだけを可愛がっていることに向けられる。とみには「山猫」という異名がつけられた。とりわけ、とみにつらく当たるのは足を引きずる年長の院生(配役不明・好演)、院生の間では一目置かれているボス的存在である。裁縫の時間に、彼女が山田先生をからかう言動を目にして、とみは彼女に掴みかかり「組んず解れつ」の大暴れ。その夜とみは、四辻院長が「あの子が他人のために乱暴したのは初めてだ。大変な変化だよ、もうあんたとあの子は他人ではないということだ。ますます他の子どもたちはあなたに当たってくるだろう」と話しているのを盗み聞き、山田先生が自分のために苦しんでいることを知る。翌日、音楽の授業ではとみが歌わないので、院生たちは全員歌うのを止めて抵抗する。件のボスが「歌わなくていいのなら私も歌うのはいやです!」と言えば山田先生はなすすべもなく職員室に引き下がる。すっかり自信を失った山田先生に、四辻は「あなたは彼女を愛してさえいればいいんだよ、責任は私がとる!」、四辻の妻も「誰もが経験することなのよ」と慰めたのだが・・・。院生たちが「大変です!小田切さんが逃げました」と駆け込んで来た。とみはボスと一対一で決着をつけ(相手を叩きのめし)脱走したのである。
 院長は直ちに駐在所、駅その他の機関に連絡、捜索を始めたが、とみの行方は杳として知れなかった。それもそのはず、彼女は人里を避け山奥に向かっていたのだから。その晩は嵐、恐怖を乗り越えて翌日、一軒の小屋に辿り着いた。粗末な部屋に人の気配はない。しかし、囲炉裏には鍋が吊され雑炊が煮えている。思わず、それを口にするとみ。やがて人の気配がした。物陰に隠れて見ていると、「そろそろ出来ている頃だぞ、ああ腹減った」
と言いながら子どもが二人入って来た。茶わんが一つ足りない。「あれ?誰かが食った」「ヤダイ、ヤダイ、ヤダイ・・・」という様子を見て、とみが姿を現し、初めて言葉を発した。「あたいが食べたんだよ、昨日一晩中、山の中にいてたまらなくおなかが空いていたもんだから。ごめんよ」と謝る。
 子ども二人は、勘一(小高つとむ)、勘二(加藤博司)という兄弟で、母親を亡くし、猟師の父親松次郎(進藤英太郎)が権次郎という熊をしとめに出かけている間は、二人きりで留守番をしているのだという。
 その日の夜も嵐、強風から小屋を守る兄弟に「ボンヤリしていないでつっかえ棒を持って来いよ」と言われたり、翌朝には「味噌汁に入れるマイタケを採りに行こう」と誘われたり、牧場の裸馬に乗って見せたり、父が居ないと寂しがる勘二に逆立ちをして笑わせたり、勘一から「姉ちゃん、父ちゃんが戻るまで一緒にいてくれよな」とせがまれたり・・・、ようやく、とみは「身の置き所」を見つけたようだ。しかしその安穏はいつまでも続かなかった。米櫃の米が底をついたのだ。やむなく、とみは、村から食料を盗み出すようになっていく。村人からの訴えが相次ぎ、「山猫」という異名は村人たちにも及ぶ始末、事態を憂慮した駐在(永井柳筰)や山田先生は、応援を率いて、山狩りをすることになったのである。
 追っ手が迫って来た。とみは兄弟に盗んできたイモを渡し「すぐに戻ってくるから、これを食べていなさい」と言うが、「ヤダイ!姉ちゃんと一緒に行くんだい」と抱きつかれた。もうこれまでと、とみは兄弟を連れて脱出する。折しも父・松次郞が戻って来て、山田先生、捜索隊と鉢合わせ。「山猫が子どもたちを掠って逃げた」という声に、松次郎は仰天、銃を持って追おうとする。「待って下さい、落ち着いて。あの子がそんなことをするはずがありません」「山猫とは誰なんだ!」「私の娘です」、という山田先生の言葉を振り切って松次郎は駆けだした。必死でその後に続く山田先生・・・、森の中で一発の銃声が聞こえた。思わず倒れ込む山田先生。やがて、兄弟が松次郎を見つけた。「父ちゃん!」と駆け寄ってすがりつく。両手でしっかりと兄弟を抱きしめる父、その光景を呆然と見つめるとみ、力なく歩き出し、倒れている山田先生を見つける。「先生!」と叫んだが反応がない。もう一度、揺り起こして「先生!」と呼ぶ。気がついた先生、一瞬、逃げ出そうとするとみを捕まえて、ビンタ(愛の鞭)一発。とみは先生の胸に飛び込んで泣き崩れた。
勘一と勘二が父・松次郎の懐に飛び込んで、その温もりを感じたように、とみもまた山田先生の「一発」に母の愛を確かめることができたのだろう。二人は抱きしめ合いながら、心ゆくまで泣き続ける・・・。 
 大詰めは、四辻学院の農作業場、晴れわたった大空の下、「錦の衣はまとわねど 父と母との故郷の・・・」という歌声の中で、院生、院長、山田先生らが、溌剌と鍬を振るい、斜面の畑を耕している。麓の方から「お姉ちゃん、お姉ちゃん」という声がした。勘一と勘二である。傍らには松次郎、駐在さんの姿も見える。思わず駆け降りる、とみ。山田先生にぶつかり「ゴメンナサイ」、走りながら「ゴメンナサイ」、最後に立ち止まり、振り返って院生たち全員に「ゴメンナサーイ!」。まさに「錦の衣はまとわねど 父と母との故郷」に向けた、とみの澄み切ったメッセージで、この映画の幕は下りた。
 戦時下の「国策映画」とはいえ、いつの時代でも、教育とは「愛の世界」に支えられなければ成り立たないこと、社会はつねに変動していくが人間の「愛」は永久に不変だということを心底から納得した次第である。(2017.2.3)

映画「滝の白糸」(監督・溝口健二・1933年)

 ユーチューブで映画「滝の白糸」(監督・溝口健二・1933年)を観た。原作は泉鏡花の小説、昭和世代以前には広く知れわたっている作品である。
 時は明治23年(1890年)の初夏、高岡から石動に向かう乗合馬車が人力車に追い抜かれていく。乗客たちは「馬が人に追い抜かれるなんて情けない、もっと速く走れ」と、馬丁・村越欣弥(岡田時彦)を急かすが、彼は動じずに、悠然と馬車を操っている。乗客の女、実は水芸の花形・滝の白糸(入江たか子)が「酒手をはずむから」と挑発した。初めは取り合わなかった村越だったが、あまりにしつこく絡むので、それならと鞭一発。馬車は狂ったように走り出す。たちまち人力車を追い抜いたが今度は止まらない。馬車は揺れまくり、やっと止まった時には車軸が折れ、全く動かなくなってしまった。白糸は「文明の利器だというから乗ったのに、夕方までに石動に着くんでしょうね!」とからかう。村越はキッとして「姐さん、降りて下さい」と彼女を引きずり降ろし抱きかかえると、馬に乗り一目散、石動に向かって走り出した。他の乗客たちはその場に置き去りに・・・。
石動に着くと白糸は失神状態、霧を吹きかけて介抱すると村越は、再び高岡方面に戻って行った。気がついた白糸、その毅然とした振る舞いが忘れられない。傍の人に馬丁の名を尋ねると、「みんな欣さんと呼んでいますよ」。「そう、欣さん!」と面影を追う白糸の姿はひときわ艶やかであった。
 この一件で、村越は馬車会社をクビになり放浪の身に・・・、金沢にやって来た。月の晩、疲れ果て卯辰橋の上で寝ていると、すぐ側で興行中の白糸が夕涼みに訪れる。「こんな所で寝ているとカゼを引きますよ」と語りかければ、相手はあの時の馬丁・村越欣弥であったとは、何たる偶然・・・。白糸は村越の事情を知り、責任を痛感して詫びる。「私の名前は水島友、二十四よ。あなたの勉学のために貢がせてください」。かくて、その夜、二人は小屋の楽屋で結ばれた。翌朝、まじまじと白糸の絵看板に見入る村越を制して「見てはいやよ、こうして二人で居る時は、私は堅気の水島友さ!」という言葉には、旅芸人・滝の白糸の、人間としての「誠」「矜持」が込められている。
 東京に出た村越への仕送りは2年間続けられたが、「ままにならないのが浮世の常」、まして旅芸人の収入はたかが知れている。3年目になると思うに任せなくなってきた。加えて、白糸の「誠」は仲間内にも利用される。南京出刃打ち(村田宏寿)の女房に駆け落ちの金を騙し取られたり、一座の若者新蔵(見明凡太郎)と後輩・撫子(滝鈴子)の駆け落ちを助けたり・・・、で有り金は底をついてしまった。「欣さんはまもなく卒業、意地でも仕送りを続けなければ・・・」、白糸はやむなく高利貸し・岩淵剛蔵(菅井一郎)に身を売って300円を手にしたが、その帰り道、兼六園で待っていたのは岩淵と連んでいた出刃打ち一味、その金を強奪される。白糸は落ちていた出刃を手に岩淵宅にとって返せば「戻って来たな。こうなるとは初めから解っていたんだ」と襲いかかられた。もみ合う打ちに、岩淵は「強盗!」と叫んで床の間に倒れ込む。気がつけば白糸の出刃が岩淵の脇腹を突き刺していたのだ。彼女はその場にあった札束をわしづかみにして逃走する。行き先は東京、村越の下宿先。しかし、その姿はなく、再会を果たしたのは監房の中であった。 白糸は下宿を出るとすぐに捕縛され金沢に送られる。途中、汽車から飛び降り新蔵夫婦に匿われるが無駄な抵抗に終わった。出刃打にも岩淵殺しの嫌疑がかかり収監される。検事の取り調べに「あっしは白糸から金を奪ったが殺していない」。白糸は「出刃打から金を取られたことはありません」と否定する。監房の筵の上で、白糸は夢を見た。兼六園を村越と散策、わが子を抱いて池を見つめる。楽しい一時も束の間、まもなく看視に揺り起こされた。「新しい検事さんがお前と話をしたいそうだ」
 村越が検事に任官され金沢に赴任していたのだ。取調室で見つめ合う二人、「よく眠れましたか。食べ物は口に合いますか」と気遣う村越に、白糸は水島友にかえって「よく出世なさいました」と満面の笑みを浮かべた。もう思い残すことはない。これまで逃げたのも一目会いたいと思ったから・・・。「どうぞ取り調べを始めて下さい」「そんなことができるわけがない」とうつむく村越、二人の交情はそのまま断ち切れたか・・・。
 公判の法廷には村越検事が居る。滝の白糸こと水島友は、すべてありのままを証言し、自害した。お上の手を煩わせることなく、自らの身を処したのである。翌日、村越もまた、思い出深い卯辰橋でピストル自殺、この映画は終幕となった。 
 女優・高峰秀子は、戦前の女優で一番美しかったのは入江たか子であったと、回想したという。なるほど、滝の白糸は美しい。容貌ばかりでなく、鉄火肌、捨て身の「誠」が滲み出る美しさ、姐御の貫禄、遊芸の色気、温もりを伴った美しさなのである。それは、村越が下宿の老婆に「姉さんから仕送りをしてもらっている」と話していたことからも瞭然であろう。もとはと言えば、自分の悪ふざけが村越の運命を狂わせた、その償いのためだけに彼女は生き、死んで行ったのである。その「誠」を知ってか、知らずか村越も後を追う。「女性映画」の名手・成瀬巳喜男は「女のたくましさ」を描出することに長けている。一方、「女性映画」の巨匠・溝口健二が追求したのは「女の性」、(成瀬に向けて)「強いばかりが女じゃないよ」という空気が漂う、渾身の名作であった、と私は思う。お見事!(2017.2.5)

映画「婦系図」(監督・野村芳亭・1934年)

 ユーチューブで映画「婦系図」(監督・野村芳亭・1934年)を観た。原作は泉鏡花の新聞小説で1907年(明治40年)に発表され、翌年には新派の舞台で演じられている。有名な「湯島境内の場」は原作にはなく、いわば演劇のために脚色されたものである。それから27年後、野村芳亭(野村芳太郎の父)によって、初めて映画化された。
 その物語は、参謀本部でドイツ語の翻訳官を務める早瀬主税(岡譲二)の自宅に、静岡の有力者・河野秀臣(武田春郞)の妻とみ子(青木しのぶ)と息子英吉(小林十九二)が訪れているところから始まる。主税と英吉は静岡時代の友人、主税はその後上京、神田で「隼の力」という異名で悪事を働いた与太者だったが、「真砂町の先生」こと大学教授・酒井俊蔵(志賀靖郎)に諭され、今の地位を得ることができたのだ。しかし、馴染みの柳橋芸者・蔦吉(田中絹代)と同棲中、いずれは先生の許しを頂いて正妻の座に据えるつもりだったが、今はまだ外来者に会わせることができない。事情を知っているのは、女中のお源(飯田蝶子)、出入りの魚屋「めの惣」こと、め組の惣吉(河村黎吉)、蔦吉の朋輩・小芳(吉川満子)くらいであった。
 主税の家に客が訪れるたびに、蔦吉は身を隠して時間を過ごす。その様子を見て惣吉は気の毒がったが、蔦吉は、いずれ晴れて女房になれると思うと苦にならなかった。
 河野家の訪問は縁談話、酒井の娘・妙子(大塚君代)を英吉の嫁として迎えたい、その仲介と身元調査を頼みに来たのである。しかし、主税は取り合わなかった。妙子は酒井が小芳に生ませた娘、河野家にも妻の不貞で生まれた娘が居る。複雑な人間模様(婦系図)が伏線となって、悲劇は進む。
 業を煮やした河野家は改めて坂田令之進(芸名不詳)という家令(?)を主税の元に送り、縁談の仲介を頼んだが、主税は断固拒絶、坂田は退散する。その時、出口で蔦吉と鉢合わせ、主税と蔦吉の同棲を知ることになったか。  
 主税はその後、真砂町の酒井を訪れる。奥ではすでに坂田と酒井が面談中(坂田の憤慨・糾弾、酒井の謝罪と縁談承認などなど)で書生(三井秀男)から「先生は今、ゴキゲンが悪い」と追い返された。ブラブラと、本郷の夜店に立ち寄り「三世相」(陰陽道の占い本)を手にする。「一円です」という親父(坂本武)に「高すぎる、半額なら・・」と戸惑っているところに、五十銭硬貨二つが投げ出された。見ればそこに立っていたのは酒井。「先生!」と驚く主税、そのまま主税宅に赴くと言う。しかし行った先は柳橋の料亭、途中で「掏摸騒ぎ」に遭遇し、主税は男にぶつかられたがそのまま、歩き続ける。料亭の部屋には小芳も呼ばれた。清元?、新内?の音曲が流れる中、弟子と恩師、恩師の日陰者の三者の「絡み」は、寸分の隙もなく往時の人間模様を鮮やかに描出する。酒井、かつての愛妾・小芳に向かっては「朋輩の蔦吉はどこにいる、知らないとは薄情だ。俺が教えてやろう、主税の家だ」と言い、主税に向かっては「弟子の分際で、妙子の縁談を邪魔するとは何事だ」「先生、英吉は妙子さんの相手としてふさわしくありません」「何をほざくか。芸者風情を家に引きずり込んでいる奴に何が言えるか」。主税は、恩師のため小芳のために妙子の吉凶を占おうとしたのだが、何を言っても通じない。じっと耐えている小芳、しばらく瞑目して、主税は「先生、私が考え違いをしておりました」と終に謝る。酒井は主税に酒を注ぎ「では、女と別れるか、それとも俺と別れるか」、「女を捨てるか、俺を捨てるか。グズグズせずに返答せい!」と迫った。主税、きっぱりと「女を捨てます。どうか幾久しくお杯を」と平伏、その場は平穏に戻る。小芳の泣き崩れる声だけが余韻を残しながら・・・。
 主税が料亭を出ると、闇にまみれて男が待っていた。「旦那、さっきの物をいただきましょう」「何だ」「とぼけちゃいけませんぜ」。懐に手を入れると大きな皮財布。「ああ、これか、じゃあお前は掏摸か」。早く返せと匕首を振り回すその男を組伏して、主税いわく「この財布は返してやる」「では半分ずつということで」「そうではない、被害者に返すのだ。俺も昔は同じことをしていたんだ。ある先生のおかげで真っ当な道を歩けるようになった。こんなことをていて長続きするはずがない。改心して明るい世界を歩くように」と説諭すれば、男「改心・・・」と言って固まった。昔は同じ道を歩いていた兄貴が・・・、という思いだったか、戻った財布をしっかりと抱きしめ「旦那、私はこれから自首します。明るい世界を歩きます」。返された匕首もすぐさま池に投げ捨てる。主税、「昔、俺もあんな風だったな、先生に恩返しをしなければ」と思ったかどうか、そのまま闇の中に消えて行く男を見送った。
 大詰めは、御存知「湯島境内の場」、「俺はもう、死んだ気になってお前に話す」「そんな冗談言ってないで、さあ」「冗談じゃない。どうか俺と別れてくれ」「別れる?……からかってないで、早くうちへ帰りましょうよ」「そんな暢気な場合じゃない……本当なんだ。どうか俺と縁を切ってくれ」「縁を切る?貴方気でも違ったんじゃないんですか」「気が違えば結構だ。……俺は正気でいっているんだ」「そう、正気でいうのなら、私も正気で返事をするわ。そんなことはね、いやなこってす」
「俺は決して薄情じゃない。誓ってお前を飽きゃァしない」「また飽きられてたまるもんですか。切れるの、別れるのってそんなことはね、芸者の時にいうことよ。今の私には、死ねといって下さい」、という名セリフそのままに、田中絹代と岡譲二が描き出す愁嘆場は筆舌に尽くしがたい風情であった。後世(1942年)「知るや白梅玉垣にのこる二人の影法師」(詞・佐伯孝夫)と詠われたように、その二人の姿が、ひときわ艶やかに浮かび出て、この映画の幕は下りた。
 余談だが、現代の浪曲師・二葉百合子も「湯島境内の場」を中心に、お蔦・主税の《心意気》を鮮やかに描き出している。「先生から俺を捨てるか、女を捨てるか、と言われた時、女を捨てますと言ったんだ」という言葉を聞いて、お蔦は「よくぞ言ってくれました。それでこそあなたの男が立ちますわ」と答える。そこには、男に翻弄される女の「意地」も仄見えて、芸者の「誠」とはそのようなものだったのかと、感じ入る。
 続いて、天津ひずるも、湯島から1年後の後日談、「めの惣」宅に身を寄せ、病に斃れていくお蔦の最後を見事に詠い上げている。そこでは、酒井俊蔵がおのれの不実を恥じ、お蔦に心から詫びる場面も添えられていた。
 「婦系図」は以後、長谷川一夫・山田五十鈴、鶴田浩二・山本富士子、天知茂・高倉みゆき、市川雷蔵・万里昌代らのコンビによって映画化されているが、その先駆けとしての役割を十分に果たし、「お手本」としての価値を十二分に備えている名作だったと、私は思う。(2017.2.7)