梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

オリンピックとパラリンピック

(日本の社会では)障害児をもつ母親の表情は、一様に暗い。その表情を見るたびに、私の気持ちも暗くなる。なぜなら、それは、日本の社会全体がが「病んでいる」証しに他ならないからである。障害児は社会の役に立たない、「厄介者」である、障害など「無い」方がいいに決まっている、障害者が居ることでその集団は迷惑する、障害者は隔離すべきである、障害者は「断種」すべきである、等々・・・。そうした見解、価値観で大半が占められている社会、その中でわが子を育てなければならない、だからこそ障害児をもつ母親の表情は、一様に暗いのである。「病んでいる」社会とは、弱肉強食の社会である。強者だけが生き残り、弱者は切り捨てられる社会である。だが、強い、弱いなどという基準は、所詮は「相対的」なもの、強者の栄光は、すぐにでも取って替わられる代物でしかない。そんな折、ロンドンではオリンピックに続いてパラリンピックが開かれた。陸上競技の会場は超満員、各選手の「正々堂々とした」(懸命な)闘いに、感動の嵐が巻き起こる。トラック、フィールド、スタンドに集結した人々の表情は、一様に明るい。その表情を見るたびに、私の涙は止まらない。なぜなら、そこにこそ人間本来の、あるべき社会が映し出されているからである。イギリスでは、オリンピックもパラリンピックも、その価値を「区別」しない。パラリンピックの閉会を待って、双方のメダリストが(一堂に会して)凱旋パレードするとのことである。しかるに日本は、といえば、オリンピックが閉会するや、(パラリンピックの開会以前に)、さっさとパレードを終えてしまったではないか。日本の社会では、オリンピックとパラリンピックのメダリストは「器(役者)が違う」とでも思っているのであろう。悲しくも、心貧しい「現実」である。 
(2012.9.23)

《永遠の価値》

 7月31日、「共同通信」の以下の記事が載った。
〈31日午後1時45分ごろ、大阪府交野市寺3丁目の関西創価高校で、男性教員から「生徒が屋上から飛び降りるかもしれない」と110番があった。交野署や同校によると、同校3年の男子生徒(17)=京都府=と、飛び降りを制止しようとした工事作業員の50代男性が共に転落した。生徒は搬送先の病院で死亡が確認された。男性は重傷。
 署と同校によると、学校は夏休み中で、男子生徒は部活動のため登校。他の生徒と共に教員から指導を受けていたところ、突然屋上に駆け上がった。教員や校舎の外壁工事をしていた作業員らが説得したが、通報から約40分後に高さ約12メートルの屋上から飛び降りた。〉
 そして、8月19日、同じく「共同通信」の以下の続報が載っている。
〈大阪府交野市の関西創価高で7月末、校舎屋上から飛び降りて死亡した同校3年の男子生徒(17)=京都府=を制止しようとし、一緒に転落、重傷を負った工事作業員の男性が入院先の病院で死亡していたことが18日、大阪府警への取材で分かった。
 男性は大阪府大東市の会社員田畑幸一さん(54)。転落時に頭を強く打ったとみられ、今月7日に死亡した。男子生徒は転落直後に搬送先の病院で死亡していた。
 府警などによると、男子生徒は7月31日午後、部活動後に校内で教員から指導を受けていたところ、突然屋上に駆け上がった。〉
 これらの記事を読んで、私の涙は止まらない。《教員や外壁工事をしていた作業員らが説得したが》とあるが、どのような説得をしたのだろうか。通報から飛び降りるまで40分間あった。その間に何らか(安全ネットなど)の安全・防止策はとれなかったのだろうか。最後まで、男子生徒に《寄り添った》のが、田畑幸一さんだったということか。
 私自身も17歳の時、飛び降りを試みようと思ったことがあるだけに、「他人事」とは思えない。生徒は、とっさに、前後の見境もなく、ただ感情的に、飛び降りようとしたのだろう。田畑さんは、ただもう必死で、制止したに違いない。結果として二つの尊い命が失われたが、田畑さんの犠牲には《永遠の価値》がある。《他人のことはどうでもよい》という社会風潮の中、田畑さんの献身こそ末永く顕彰されるべきだと、私は思った。
(2021.8.19)

小説・「黄昏のビギン」・第11章・《生活安全課》

 シロは力強く歩き出した。ぐいぐいと私を引っ張りながら、「どこに行くかは、任せてくれ」と言うように、脇目もふれずに歩いて行く。私は、犬橇に引かれるような気持ちで、全身をシロに任せていた。まだ、足元がふらつくようで、そうする他に方法はなかった。心の中では、ちあき・なおみの歌声を口ずさみながら・・・・。(「傘もささずに僕たちは」「歩き続けた雨の中」「夕空晴れて」「黄昏の街」「濡れたブラウス 胸元に」「花のしずくか ネックレス」、そんなフレーズが、繰り返し、私の心をよぎった)気がつくと、私たちは、花形親子の家の前に立っていた。
 家のたたずまいはこの前と変わっていなかったが、どこか、よそよそしく感じられた。「来る者を拒む」という雰囲気だった。シロはさかんに、敷石の匂いを嗅いでいる。
 私は、思い切って、インターホンを押してみた。たしかに、屋内で「ピンポーン」と言う音がしているのだが、反応がない。人気が感じられないのだ。(おかしい・・・)
 その時、シロが突然、「ワン・ワン」と大きな声で吠えだした。いつもとは違う、異様な叫び声だった。つられて、他の家の庭からも「ウー!ワン・ワン」という攻撃的な声が聞こえて始めた。その度に、シロは「ワン・ワン」と吠え返す。あちこちの家から住人が顔を出し、遠巻きに私たちを見つめている。「刺すような視線」に、私はいたたまれなくなった。
 「もう、いい。シロ、家に帰ろう」
 私の声は、引きつっていた。シロは、なおも「ワン・ワン」と吠え続け、その場に留まろうとしていたが、私は強い口調で、命令した。
「シロ、帰るんだ!」
 シロは、しかたなく「ウーン」という声をあげながら、私に従った。無表情で、凍りついたような、周囲の視線を感じながら、私たちはその場を離れなければならなかった。(どうしたことだろう? 何があったんだろう? いずれにせよ、何かしら異変があったことは間違いない)私の胸は「不安」と「緊張」で高鳴り始めた。心臓の鼓動がわかる。喉がからからに乾き、冷や汗が出てくる。(ともかく、家に帰ろう。何かの連絡が入るかもしれない)
四時近かった。家にたどり着くと、案の定、居間の電話が、激しく鳴っている。私は、大急ぎでシロを犬小屋に置き、居間に駆けつけた。電話の呼び出し音は、単調に続いていた。(間に合った!)と思い、私は受話器に飛びついた。
 「もしもし、お待たせしました」、と言うのが、やっとだった。息が切れていた。
「もしもし、新庄 晃さんのお宅ですか?」
呼吸を整えて、私は答えた。
「はい、そうです」
「こちら、○○警察署の生活安全課です。そちらに、新庄晃さんという方はいらっしゃいますか?」
「はい、私ですが・・・」
「ああ、御本人でしたか。それはよかった」
「・・・・・?」
「実はですねえ、さきほど、花形マリ子さんという方を保護したんですよ」
「はい」
「その方のこと、御存知ですか?」
「はい、知っています」
「そうですか。その花形マリ子さんという方が、そちらさまに連絡して欲しいとおっしゃるもんですからね、お電話したわけです」
「そうでしたか!」
「いつもは、花形さんの御自宅に連絡していたんですが、今、ちょっと連絡が取れない状態なんですよ」
「はい?」
「それでね。誠に申し訳ありませんが、花形マリ子さんを、引き取りに来ていただけませんでしょうか?」
「わかりました。すぐにうかがいます」
「何時頃になりますか?」
「そうですね。地下鉄で行きますから、三十分かかると思います」
「では、お待ちしています」
 私が、受話器を置こうとすると、
「あっ、ちょっと待ってください。その時、何かあなたさまの身元がわかるような物を持ってきていただきたいんですが・・・・」
 「免許証でいいですか?」
「はい、結構です。ではよろしくお願いします」
(変な話だ、私が新庄晃だと認めているのに・・・。「どんな様子ですか?」と訊きたかったが、まあいい、行けばわかることだ。)そう思いながら、ひとまずは安堵した。
いくぶん落ち着いた声で、「シロ、マリ子さんが見つかったんだって。これから迎えに行ってくるからね。」と声をかけ、私は○○警察署に向かった。
(2006.7.20)