梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

淡谷のり子・「歌に恋して85年」

 ユーチューブで「歌に恋して85年 淡谷のり子 生涯現役 女のブルース」というテレビ番組を観た。その中では、淡谷のり子が80歳を過ぎても「生涯現役」を貫いた舞台姿が紹介されていたが、収録曲は17曲、その内訳は以下の通りである。
①60歳台:「別れのブルース」(昭和49年・67歳)、「雨のブルース」(昭和50年・68歳)、「夜のプラットホーム」(昭和50年・68歳)、「君忘れじのブルース」(昭和50年・68歳)、「夜が好きなの」(昭和50年・68歳)
②70歳台:「雨の夜は」(昭和53年・71歳)、「バラ色の人生」(昭和53年・71歳)、「巴里の屋根の下」(昭和58年・76歳)、「愛の讃歌」(昭和58年・76歳)
③80歳台(ジャンジャン公演):「雨のブルース」「夜のタンゴ」「どじょっこふなっこ」「リリー・マルレーン」「灰色のリズム&ブルース」「抱いて」「恋人よ」「聞かせてよ愛の言葉を」
 「歌謡界の女王」「永遠の歌姫」などと称されている美空ひばりに対して、淡谷のり子は「ブルースの女王」と言われているが、二人の間には大きな「格差」がある。私の独断と偏見によれば、美空ひばりの歌声が光り輝いていたのは20歳台まで、作品でいえば「悲しき口笛」「越後獅子の唄」「角兵衛獅子の唄」「あの丘越えて」「娘船頭さん」「お祭りマンボ」「リンゴ追分」「お夏清十郎」「雪之丞変化」「お島千太郎」あたりまでなのである。以後、50歳台までの作品数は、主なものでも150を下らないが、佳品は「ある女の詩」「花と龍」「月の夜汽車」(いずれも30歳台)くらいであったろうか。有名な「悲しい酒」「愛燦々」「川の流れのように」などは、彼女に「勝るとも劣らず」歌いこなす歌手は珍しくない。(例えば、都はるみ、天童よしみ、文殊蘭・・・) 
 美空ひばりに比べて、淡谷のり子の作品数は、極端に少ない。なぜなら、淡谷のり子は「歌に恋して」いるからである。同じ歌を「何度でも」歌う。美空ひばりの極め付きは(吹き込み)「初盤」の一曲のみ、以後の作品がそれを超えることはなかったが、淡谷のり子は違う。20歳台に吹き込んだ「別れのブルース」は、60歳台の作品とは比べものにならないほど「淡泊」で「情感不足」、彼女はそこを起点として40余年、練りに錬り、磨きに磨いて、その作品を宝石のように光り輝かせることができたのである。
 85歳になった淡谷のり子は、番組の中で語っている。「私は《からきじ》、《じょっぱり》の上をいく、最後まで妥協しない」その確固とした信念が、かけがえのない希少作品の源泉である、と私は思う。好きなもの「音楽はシャンソン、タンゴ、クラシック、色はピンク、花はバラ、加えて、おしゃれとドライブ」、嫌いなもの「ブルースと流行歌、灰色に菊の花、ハマチ、ほうれん草、船」と示されていたが、なるほど彼女は嫌いな「ブルースと流行歌」と最後まで妥協しなかったからこそ、他の追随をゆるさない珠玉の作品を仕上げることができたのか。たとえば「愛の讃歌」、越路吹雪をはじめ多くの歌手(美空ひばり、岸洋子、加藤登紀子、美輪明宏ら)がこの作品を残しているが、76歳の時に歌った淡谷のり子を超えるものはないだろう。「歌に恋し」、その歌の背後にある「男」への「愛」が哀しくも切々と描出される。同様に、67,8歳の時に歌った「雨のブルース」「君忘れじのブルース」「別れのブルース」は圧巻、還暦をとうに過ぎまもなく古希を迎えようとする女性の歌声とは思えない。そこには、シャンソン、タンゴ、クラッシックを愛し、ピンクやバラでおしゃれを楽しむ「女」が、暗い波止場、灰色の船を厭い、「愛別離苦」の心情を吐露しなければならない「悔恨」も仄見える。とりわけ、ファルセット唱法を駆使した、ビロードのようになめらかな美声が、別れた男の面影を温かく抱擁するように感じられ、ふと彼女の胸中に飛び込みたい衝動に駆られるのである。さらに、戦地に赴く恋人を見送った「夜のプラットホーム」、厭戦の空気が漂うので「発禁」となったが、慰問先の兵士からは歓迎・所望された「作品」だという。戦後になり、二葉あき子も歌っているが、その出来映えは「いずれ菖蒲か杜若」、二葉あき子の歌声は「絹」のように透みきった清純さ、淡谷のり子には「真綿」のような温もりが感じられて、甲乙はつけられない。「柱にたたずみ、見送る私、さよなら、さよなら、君いつかえる」という心象だけが、波のように迫ってくるのである。
 80歳を過ぎ、淡谷のり子の「声量」は衰えたが、「生涯現役」を貫いた《からきじ》の「人生は奔放で型破り」、「聞かせてよ愛の言葉を」と締め括ったのに、古稀を過ぎた私には「愛をささやく歌もない」。 (2015.3.2)