梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・30

《第7章 自閉症の感情世界》
【表情の謎】
《要約》
・彼らの顔からは表情が消失していることが多い。また、彼らは他の人々の表情も捉えていないようである。
・捉えどころのない自閉症者の表情の裏にはどのような感情が動いているのか、本章では、この問題を考えていきたいと思う。
【闘争か逃走か】
・闘争か逃走か。この言葉は、野生動物が敵に遭遇したときの二者択一的な行動を意味する。そのとき、守るべきものが命をかけても惜しくないほどのものだったり、または敵が同格かそれ以下であると判断されれば、動物の行動は闘争へと向かう。そうでないときは逃走の道が選ばれることになるだろう。
・動物たちを闘争へと駆り立てる感情は怒りであり、逃走へと駆り立てる感情は恐怖である。動物の生存に係わるこのような極限状況で現れる二つの感情は、私たちがもつ感情のルーツと言えるのではないだろうか。私たちの深部の脳には、進化の早い時期に怒りと恐れという感情がまず宿ったと考えられる。
【抵抗を示さない子どもたち】
・ただし、私たちの文明化された環境のもとでは、かつて争いを繰り返していた原始の感情は、何重にもカモフラージュされていて表れにくい。しかし、内に眠る闘争本能は消えたわけでなく、ゲームなどの形で行き残り、いざというときの出番を待っている。人の子どもは幼いときから、勝ち負けのあるゲームの興ずるようになる。
・しかし、自閉症の子どもには決まってこの闘争心が観察されない。
・この闘争心の乏しさは、彼が遠い祖先から受け継いだ脳の働きにダメージを受けている証拠なのではないだろうか。あるいは、闘争と逃走のうちで闘争のほうの働きが極度に欠けた結果なのである。
【子ども同士の世界】
・自閉症児は、同年輩の子どもの集団に入ることを極度に嫌うようである。
・その原因となっているのは、幼い子ども同士の世界には、まだまだ「闘争」と「逃走」の名残が含まれているからである。彼らは、好きなオモチャを奪い合ったり、集団の中で優位な立場を取ろうと絶えず牽制し合っている。
・大人の世界はいちおう紳士的な世界であり、人と人とが闘わす感情の火花は表にあまり現れてこない。子どもには危害を加えないというルールが確立している。自閉症児がそこを彼らの避難所として選ぶことは、当然の結果と言えるだろう。
【なわばり的な行動】
・(野生動物の)怒りや恐れという感情は、なわばり的な行動に関係しているらしい。自分の生活圏を他の個体によって侵害されそうになったとき、激しい怒りが生じて闘争行動に結びつく。逆に、他の個体のなわばりの近所をうろつくときは恐れの感情を伴うことになる。
・人間社会には、わかりやすいなわばりはない。しかし、そこには目には見えにくいなわばりが到る所に張りめぐらされている。家族や集団における役割や勢力についてのなわばり。そこでの怒りの発現や争いがはなはだしいからこそ、法律をはじめとするおびただしいルールが定めらることになったと考えられる。
・人間という種は、なわばりを拡張しようとする志向の強い動物である。それは旺盛な知識欲となって現代の文明を築いてきたと考えられる。ある個体や家族が占有するなわばりだけでなく多数が共有したり共用する空間が増大し、それに伴うルールも数多くつくられことになったと考えられる。
・一方、自閉症者も自分のなわばりをもっている。しかし、それを拡張しようとする強い志向をもっていない。そしてこの原因は、発達初期における脳の深部の働きの障害であると考えられる。
・怒りや恐れの感情は、自閉症者にも現れる。しかし、そのときは、こころの他の働きによってコントロールされない極端な形で現れてしまう。自閉症者が示す「問題行動」と言われるものの多くは、実はなわばり的な行動なのである。
・道順にこだわったり、室内の模様替えに抵抗したり、常同的な行動に埋没したりするのは、彼らがささやかななわばりを守ろうとする行動であると考えられる。だから、そこに無神経に立ち入られると、激しい怒りを感じるのだろう。
・恐怖の感情には逃走が伴う。他の人たちから離れてすべり台の上、タンスの上、築山の上に陣取る自閉症児の姿は、逃走の結果、侵害者たちの様子を最もチェックしやすいわずかなスペースにたどりついた姿なのではないだろうか。
《感想》
・筆者の「動物たちを闘争へと駆り立てる感情は怒りであり、逃走へと駆り立てる感情は恐怖である。動物の生存に係わるこのような極限状況で現れる二つの感情は、私たちがもつ感情のルーツと言えるのではないだろうか」という説明は、雑駁すぎる。私たちがもつ感情のルーツは「恐怖」と「緊張」である。「恐怖」「緊張」に対置する感情は「安心」と「リラックス」である。新生児、乳児には「敵との闘争力」はなく、もっぱら親の保護能力に頼る他はない。したがって、闘争心、怒りの感情は極めて乏しい。親はまず、新生児、乳児からの要求(その大半は不快感である)に「無条件に」応じる。そのことによって、新生児、乳児の「恐怖」「緊張」(不快感)は緩和され、「安心感」「好奇心」に変わる。その「好奇心」が「探索」行動を生み、やがて「闘争心」(怒り)へと発展していくのである。そういった「発達」の筋道を辿ることなく、いきなり野生動物の「闘争か逃走か」といった二者択一的な行動を例にして、闘争は怒り、逃走は恐怖という感情を伴い、それが人間の感情のルーツでもあるというような説明は、いかにも「御粗末」である、と私は思った。
・同様に、「私たちの深部の脳には、進化の早い時期に怒りと恐れという感情がまず宿ったと考えられる」とか「自閉症の子どもには決まってこの闘争心が観察されない。この闘争心の乏しさは、彼が遠い祖先から受け継いだ脳の働きにダメージを受けている証拠なのではないだろうか」といった推測には、その根拠が示されていない限り、何の説得力もないのである。
・私の独断と偏見によれば、自閉症児・者の感情の大半は、新生児期、乳児期の「恐怖」と「緊張」(不快感)が、そのまま(「安心感」「好奇心」に変わることなく)「持続」しているということである。その感情は、私たちが生涯に亘って感じる「恐怖」「緊張」(不快感)と何ら変わることなく「共通」している。私たちは、その感情を適切にコントロールしながら生きていくが、時と場合によっては「不安定」になり「混乱」することもある。自閉症児・者もまた、その「一例」に過ぎないと考えた方がよい。
・動物行動学者、ニコ・ティンバーゲン博士は、自閉症児の行動を(つぶさに、日常生活場面で観察した結果)、相手もしくは場所・事物に対する「接近」(著者の言う闘争)、「回避」(著者の言う逃走)、「葛藤」(接近と回避、闘争と逃走の中間)に分析し、自閉的行動(自閉症状)とは、「回避」と「葛藤」の現れ(に過ぎない)と定義している。誰もが「発達初期」に恐怖、不安、緊張を感じた時に示す行動であり、それが「安心感」や「好奇心」にもとづく行動に発展していかないのは何故なのか。「脳の深部」「脳の働き」にその原因を求めるまえに検証すべきことは、まだたくさんあるのではないか、と私は思った。(2016.1.15)