梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・29

【M君のスケジュール帳】
《要約》
・自閉症児が外部世界の動きを壁にかけられた時計やカレンダーと関連させるようになると、こころの中でのそれらの意味は健常者の場合よりもずっと重要なものになるようである。彼らは、それによって現在の時刻を知るばかりでなく、過去から未来へのかなり広い範囲のスケジュールを管理するようになる。
・M君という22歳の自閉症の青年は、大学で行われる平成4年度の卒業式の日取りについて尋ねられると、以下のように説明した。「平成2年度の卒業式と平成3年度の卒業式は3月20日だった。ところが、平成4年度は3月20日、土曜日が春分の日になってしまったのだ。そこで、今年の卒業式はいつかというと、次の3月21日、日曜日を除いて3月22日、月曜日が怪しい」。卒業式はM君の予想どおり、3月22日に行われた。
・M君は、スケジュール帳はいっさい持っていない。すべてのスケジュールは彼の頭の中に、つまり、彼の記憶世界の中に収められているようなのである。
【カレンダー記憶の天才たち】
・M君と似た能力をもつ自閉症者の数は、非常に多い。その能力は、広範囲で日付けを言われても、その曜日を正確に当てられるという形で現れるものである。
・私は、知り合いの自閉症児の親10名に、この事実を確かめたところ、7名がカレンダーを記憶しているらしいことがわかった。そこで、その一人一人に会い、カレンダー記憶の検査をしてみた。検査は1988年の12月に「(今年の)○月○日は何曜日ですか」と質問して行った。(1月から12月まで10問)
・結果:12月の二日の日付けは全員が正解している。7名中4名(過半数)が10問すべてに正解している。すべての者が、こちらが日付けを言うと、即座に答を出してきた。
【カレンダー記憶のメカニズム】
・私が検査した7名のうち2名は、その年一年間のカレンダーをだいたい憶えている程度だった。しかし、他の5名は、前後数年間もしくは数十年間にわたって、日付けから曜日を割り出すことができた。
・1月1日月曜日から始まった年のカレンダーは、毎年、ズレを繰り返していくうちにいつか再び、最初と同じ月曜日から始まるカレンダーに戻るはずである。だから、カレンダーのパターンは無限ではない。カレンダー記憶の天才たちは、このことを利用していると思われる。
・そこで二人の自閉症の青年、22歳のM君と18歳のN君に登場してもらい、この点を検討してみた。二人に対して実施したのは、日付けを告げてから答えるまでの時間をテープレコーダーを用いて測定する方法である。日付けの書かれたカードを「ハイ」といって机の上に置き、その時点からの時間を測定することにした。検査は①1987年10月の一ヶ月の範囲、②1992年の一年間の範囲、③1981年から1990年までの10年間の範囲という三条件で行った。
・結果:①M君・3.31秒、N君・3.58秒 ②M君・3.44秒、N君・5.75秒 ③M君・4.15秒、N君・10.81秒
・N君の場合、各条件で検索時間の違いが如実に現れているが、M君の場合は各条件の差はわずかである。二人の違いはどこからきているのだろうか。
【カレンダ記憶のさまざまな方法】
・M君のカレンダー記憶の能力は特にすぐれている。しかし、その「秘技」の方法については教えてくれない。ただ一言「見える」と答えてくれたことがある。何が見えるのか。それは14パターンの年間カレンダー(スーパー・カレンダー)ではないだろうか。
・N君は、「視覚的」な方法だけでなく、「論理的」な方法も取っているようである。彼の場合は、1970年の1月から12月までのカレンダーをすべて憶えてしまったことからカレンダー記憶の才能が芽生えたようである。彼は「1931年の7月11日の曜日は?」という問に、まず70年では土曜日であることを確かめたうえで、一年ごとのズレを確かめていき(52年は金、51年は水、50年は火、49年は日→・・・というようにメモして)、やっと31年は土曜日という解答に行き着いた。
・1901年から200年間は、28年を周期としてまったく同じ順序で曜日の年ごとのズレが繰り返される。そのことを知っていれば、N君は、あれほど長いメモを書き付けなくてもすんでいたはずなのである。N君はいつでも1970年から出発するから、質問の範囲が広がると、検索に時間がかかる。N君の方法は私たちにもわかりやすい推理の方法を取っている。だから、私たちにもやり方を説明できたのだともいえる。
【循環する時】
・私たちは、時間を一次元的な軸の上を進むものとして解釈している。過去の出来事は時がたてばたつほど遠いセピア色の世界となっていく。
・自閉症者は、カレンダーという二次元的空間の上を移動しながら指定された日付の曜日を探し当てた。つまり、彼らは地図を見ていたのであり、二次元的なパターンを操作していたのだということができる。
・自閉症者の多くがカレンダーに詳しいのは、彼らが不幸にも広がりをもった時の中をいきることができず、循環する時の平面を生きてきたかもしれない。
・一方、時計もカレンダーも読めないのに、時間の進行に非常に敏感な自閉症者がたくさんいる。彼らにとっては、一日の事の流れが時計なのであり、一週間の出来事のつながりがカレンダーとなっているようである。I君は、週に一度、木曜日に大学に来ていたが、その日の朝になると「大学」と言い、中止になったり曜日変更されたりするとパニックを起こしたり、泣いたりした。I君にとって木曜日という位置は絶対的であり、それに異動が生じることは、時計の文字盤が壊れてしまうほど悲しいことだったのではないだろうか。
【健常児の中のカレンダーボーイ】
・イディオ・サヴァンの研究家トレファートによると、自閉症者が示すいくつかの特異な能力は、彼らの脳に障害があることの証明であるとのことである。彼らのもつ障害が一般人とは異なる脳の回路を生み出し、それが特異な才能と結びついたという解釈である。
・しかし、「カレンダーボーイ」といわれる少年たちは障害児以外の中にも見られる。
・幼稚園児のS君は、4歳の時点で、1991年の範囲だと、日付けを告げられるとすぐにその曜日を答えることができた。S君の始語は2歳半で「1」「5」「8」「赤」「青」の言葉だったが、その後の言語発達は順調であり、幼稚園での集団生活に溶け込んでいる。
・中学生のT君も言語発達はやや遅れ、会話が可能になったのは3歳を過ぎてからである。カレンダー記憶の能力に気づいたのは4歳の時、適当な日付けを言ってその曜日を聞くと、すぐに答えられた。この能力は今では少し衰えたが、それでも数年間の範囲ならカレンダー記憶がある。得意な科目は数学で、文章の読解は少し苦手らしい。
・この二人のカレンダーボーイの存在は、自閉症の人が見せる特異な能力が一般の人のもつ能力とまったく異質なものではなく、健常者も特定の条件で同じ能力を身につけることを物語っている。さらに、この事実は、自閉症の人は私たちとまったくかけ離れたところにいるのではなく、同じ人間として地続きのところに位置していることを物語っているのである。
《感想》
・ここでは、自閉症児・者の「カレンダー記憶」という特異な能力について述べられている。私自身も養護学校(現在の特別支援学校)に在職中に同様の経験をしたことがある。高等部の生徒K君は、「日付けを言うと曜日が答えられる」ということで有名だった。あるとき、私は出勤途中でK君と出会い、そのまま一緒に学校に歩いていた。そこに知り合いの(小学校に勤務する)M先生もやってきた。三人で歩きながら、私はM先生に言った。「このK君は、日付けを言うと曜日を当てることができますよ」。M先生は「じゃあ。K君。○○年○○月○○日は何曜日?」と尋ねると、K君は即座に「土曜日です」と答えた。その途端、M先生は「まあ・・・」といって絶句、涙を浮かべた。その日は数年前に他界された御主人の命日だったのである。私もまたK君に「どうして曜日がわかるの?」と尋ねると、「それは○○日が日曜日だからです」と答えた。なるほど、彼は頭の中に記憶されたカレンダーをめくっていたに相違ない。
・ところで、自閉症児・者が「カレンダー記憶」という特異な能力をもつことは《障害》であろうか。また、それは彼らが自閉症であることの証しであろうか。筆者は、健常児の中にも「カレンダーボーイ」が存在していることを示し、「自閉症の人が見せる特異な能力が一般の人のもつ能力とまったく異質なものではなく、健常者も特定の条件で同じ能力を身につけることを物語っている。さらに、この事実は、自閉症の人は私たちとまったくかけ離れたところにいるのではなく、同じ人間として地続きのところに位置していることを物語っているのである」と述べているが、私も全く同感である。
・さらに言えば、「特異な能力」と同様に「様々な症状」もまた「一般の人のもつ症状」とまったく異質なものではなく、健常者も《特定の条件》で同じ症状を背負わされることを物語っている、と私は思う。
・しかし、現状は、イディオ・サヴァンの研究家トレファートがいう「自閉症者が示すいくつかの特異な能力は、彼らの脳に障害があることの証明である。彼らのもつ障害が一般人とは異なる脳の回路を生み出し、それが特異なの能力と結びついたという解釈」の《能力》を《症状》に置き換えた学説、つまり「自閉症者が示すいくつかの特異な症状は、彼らの脳に障害があることの証明である。彼らのもつ障害が一般人とは異なる脳の回路を生み出し、それが特異な症状と結びついたという解釈」が支配的である。なぜだろうか。(2016.1.11)