梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・メエ婆

 私は母方の祖母をメエ婆と呼んでいた。メガネをかけていたからである。彼女は、戦前から「祖父に分家させられて」、娘一人とともに下宿屋を営んでいた。近くにある旧制高校の学生が多く利用したという。私の父もその一人、母は下宿屋の娘ということである。父は成人して満州に渡り、母もその後を追ったが、私を出産後まもなく病死した。私は娘の忘れ形見というわけで、メエ婆はことのほか私を溺愛したように思う。そのためか、私は「母なし子」という淋しさを感じることはなかった。メエ婆は98歳の長寿を全うした。葬儀の折り従兄の配偶者が近づいて、初対面の私に言う。「私は水商売上がりで結婚を皆に反対されましたが、このお婆ちゃんだけは違いました。私を認めてくれました。感謝しています」、彼女の涙を見ながら、私は、明治生まれの女性(メエ婆)がもつ「凜とした」逞しさ、底知れぬ慈愛の深さに、あらためて感動したのである。(2015.4.14)