梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・23

《なぜオウム返しをするのか》
《要約》
・自閉症児が「オウム返し」をするわけを知るには、言語の問題の中だけで考えず、行動の問題に戻って考えてみる必要がある。
・自閉症児には行動プログラムを立てる力があまり育っていない。ゴールを自分で定め、道筋をつくっていない。彼らは、意思決定者としての自分に気づいていないのである。
・だから、「どこに行くの?」と聞かれても、ゴールが明確となっていない。また「何を食べる?」と聞かれてもゴールを選べない。
・さらに、「みかん食べる?」というような具体的な質問に対してもイエス・ノーの答を出せない。健常な子どもが三歳頃のいわゆる「第一反抗期」によく言うような「イヤ」という言葉を、彼らはなかなか口にできないのである。
・行動プログラムというものは、自分の意図と他人の意図が衝突したり、自分の気持ちをまわりの人に意思表示する中で明確になり、強められるものである。だから、行動プログラム発達のためには、人々と共にいること、そして言葉を獲得することが欠かせない。言葉は人々が互いの行動プログラムを照らし合うために発生したが、次第にその働きは過去や未来にも及び、前節で考察したような出来事の分析装置となったと考えられる。
・以上の理由で、自閉症児は、質問者が自分のことを意思決定者として見つめ、行動のおもむく先を尋ねているのだと理解できない。そこで、表層の音のつながりだけを再現して。その場を切り抜けようとしているのだ。
・このような子どもには、まず、複数の物(または事柄)の中から一つを選ぶことから指導していく必要がある。目に見えやすい形で選択肢を用意し、どちらがいいか、または正しいかを聞き、取るか、指さすか、または言葉で答えさせ、その答を確認していく。こうして、自分の意志を人に伝えられるようになっていくことが、オウム返しを解消するための前提となると考えられる。他方、「みかん食べる?」に対して「ミカンタベルヨ」と言わせる、会話のルールに合わせた技術的な方法は、言葉の表面だけを捉えさせるだけで、その答は、本当に彼自身の意思となっているかどうかは疑わしい。このような方法がうまくいくのは、すでにその自閉症児自身が行動の方向を自覚しつつある場合なのではないだろうか。
《感想》
・ここでは、自閉症児が「オウム返し」をするわけについて、「質問者が自分のことを意思決定者として見つめ、行動のおもむく先を尋ねているのだと理解できない。そこで、表層の音のつながりだけを再現して。その場を切り抜けようとしているのだ」と述べているが、それでは自閉症児はなぜ質問者の意図を理解できないのだろうか。
・まず、「何」「どこ」「いつ」「誰」などという《疑問詞》の意味を正しく理解されているか、またそれらを使った《疑問文》で自分が「尋ねられている」という(立場の)関係を理解しているか。これまでに、《質問→答える》という「やりとり」をどの程度「経験」してきたか、という観点が必要だ、と私は思う。「オウム返し」は、「その場を切り抜けようとしている」場合も「ない」とは言えないが、相手の言葉を「確かめる」「模倣する」ためにも使われることの方が多いのではないだろうか。1~2歳の幼児には誰にでも見られる「言語活動」である。大切なことは、自閉症児の言語発達が「まだそのままの段階に留まっている」と認識すること、だと思う。
・著者はまた「行動プログラムの発達のためには、人々と共にいること、そして言葉を獲得することが欠かせない」とも述べているが、人々と共にいて、言葉を獲得するためには何が欠かせないか、ということについては言及していない。私の独断・偏見では、それは言葉以前の、ノン・バーバルなコミュニケーションの「経験」である。子どもはその中でイエス・ノーの「気持ち」、「何?」という問いかけの「気持ち」を体験し、また「相手の模倣」をすることによって言葉を獲得していくと考えられる。「オウム返し」の段階に留まっている自閉症児は、「相手の模倣」という行動は学んでいるが、相手と共にいることの「楽しさ」「喜び」を味わうことが不足しているのだろう。相手が登場するのを見て「誰?」と思い、差し出された物を見て「何?」と思うのが自然な姿なのに、彼はそれ以前に、その場面を「回避」してしまうからである。通常、子どもは2歳頃になると、さかんに何?と問いかける。3歳を過ぎると「どうして?」「なぜ?」と問いかける。   
・自閉症児には、そうした「質疑ー応答」のやりとりが《致命的に》不足していると思われる。著者は「まず、複数の物(または事柄)の中から一つを選ぶことから指導していく必要がある。目に見えやすい形で選択肢を用意し、どちらがいいか、または正しいかを聞き、取るか、指さすか、または言葉で答えさせ、その答を確認していく。こうして、自分の意志を人に伝えられるようになっていくことが、オウム返しを解消するための前提となると考えられる」と述べている。それも一つの有効な方法だと思われるが、さらに指導者と自閉症児の立場・役割を「交換する」ことが重要である。自閉症児を「受け手」の立場に置いたままにするだけでなく、相手に対しても「問いかける」役割を与え、その応答の「正誤」を「判断」(意思決定)できるようにすることも加える必要があるのではないか、と私は思った。(2015.12.24)