梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「うたくらべ ちあきなおみ」の《魅力》

インターネットのウィキペディアフリー百科事典・「ちあきなおみ」の記事に、以下の記述がある。〈1992年9月21日に夫の郷鍈治と死別した。郷が荼毘に付される時、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。また、「故人の強い希望により、皆様にはお知らせせずに身内だけで鎮かに送らせて頂きました。主人の死を冷静に受け止めるにはまだ当分時間が必要かと思います。皆様には申し訳ございませんが、静かな時間を過ごさせて下さいます様、よろしくお願いします。」というコメントを出し、これを最後に一切の芸能活動を完全停止した。それ以降引退宣言も出ないまま、公の場所には全く姿を現していない。〉歌手・ちあきなおみのファン並びに関係者の間では、そのことを訝る向きもあるようだが、私には彼女の気持ちがよくわかる。ちあきなおみは、それまで、ただひたすら、最愛の夫・郷鍈治のために歌ってきたのだ。「もう私の歌を聴いてほしい人はいない。哀しみをこらえて歌っても、彼には届かない」という絶望感が、以後の沈黙を守らせているに違いない。それでいいのだ、と私は思う。
 かつて、美空ひばりは、「今、一番上手な歌手は、ちあきなおみ」と語っていた(テレビ番組「徹子の部屋」)が、さすがは「歌謡界の女王」、見る目・聞く耳はたしかであった。今、私の手元には「うたくらべ ちあきなおみ」というCD全集(10巻)がある。それぞれに「1誕生」「2開花」「3巣立ち」「4挫折」「5苦悩」「6自我」「7孤独」「8出逢い」「9やすらぎ」「10爛熟」というタイトルがつけられ、167曲が収められている。このタイトルは、彼女がデビュー以来、歌いつないだ歩みを物語っていると思われるが、誕生から爛熟までを順にたどっていくと、それは、小鳥の「さえずり」が次第に洗練され、「地鳴き」に変容していく過程とでもいえようか、彼女の「歌」が「語り」になり、「語り」が「呟き」「詠嘆」「呻吟」「絶叫」へと千変万化していく有様が鮮やかに体感できる。レパートリーは、ポップス、ニューミュージック、シャンソン、スタンダード・ジャズ、ファド、流行歌、演歌に至るまでと幅広く、その歌唱力は「ハンパではない」。彼女は「歌手」でありながら「役者」「演出家」でもある。「歌」は、そのまま「芝居」となり、実に様々な人間模様・景色を描出する。私の好みは、「劇場」「酒場川」「命かれても」「流浪歌」「泪の乾杯」「新宿情話」「君知らず」あたりだが、全集の中の1巻「7孤独」の作品は傑出している。「星影の小径」「雨に咲く花」「粋な別れ」「東京の花売り娘」「夜霧のブルース」「上海帰りのリル」「港が見える丘」「青春のパラダイス」「ひとりぼっちの青春」「狂った果実」「ハワイの夜」「口笛が聞こえる港町」「黒い花びら」「赤と黒のブルース」「夜霧よ今夜も有難う」「黄昏のビギン」、いずれもカバー曲だが、彼女は原曲をいとも簡単にデフォルメしてしまう。通常、伴奏は「歌」に寄り添い、それを際立たせようとして脇役に徹するが、それらの作品は「真逆」である。伴奏が、彼女の歌と真っ向から「対立」する。まるで「仇役」のように、彼女のメロディー・ラインに挑みかかる。彼女の歌声は、その挑戦をものともせずに、ある時は「受け流し」、ある時は「包容」(抱擁)するように、展開する。雑音入りの楽音と絡み合い、もつれ合う中で、彼女の歌声がいっそう輝きを増してくる。その葛藤には、愛し合う恋人同士の風情が仄見えて、なぜか最愛の夫・郷鍈治の面影をも彷彿とさせるのである。なるほど・・・・、やっぱりそうだったのか。彼女は31歳の時に郷鍈治と結ばれたが、以後14年間、彼の死を迎えるまで、ただひたすら彼のために、彼一人だけを聴衆として歌い続けたことの証しである。
 歌手・ちあきなおみが歌うことを断って22年が過ぎた、しかし、私には、その「沈黙」こそがあの名曲「さだめ川」(詞・石本美由紀、曲・船村徹)の「歌声」となって、レクイエムのように聞こえてくる。「・・・・あなたの愛に 次ぎの世までも ついて行きたい 私です」。彼女は、今もなお歌い続けているのである。((2015.3.11)