梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・19

【物から出来事へ】
《要約》
・周囲の世界ががらりと変わるときがある。それは、目の前で何かが起きたときである。「ツミキ・オチチャッタ」、二歳児の口からこんな言葉が発せられることがよくある。
・積木はまだ視界の中にあるけれども、「机の上の積木」はもうない。これは情報的には大きな意味をもつ事実である。だから、彼はその発見を大人に伝えたいのである。彼は物に執着し、それを奪い、手に入れようとする志向の強い時期から、物を介して他者と共感したり、情報交換を活発に行う時期へと移行してゆく。
・目の前にあって変化しない事物は、情報として大きな意味をもたない。事物の出現・消失と変化、つまり出来事と呼ばれるものごそが言葉で表したい世界である。だから、「なにが・どうした」という動詞述語構文が現れる頃、言葉の世界は急に広がり始める。
【羅列的な事物の世界】
・8歳になる自閉症の少女は、場面の絵(「ことばのテスト絵本」・ブランコ)を見て、「この絵を見てお話ししてください」と言われたが「無言」であった。しかし、「何しているの」「誰がいるの」「ここ、どこ」「何の絵かな」などという問いかけには、「ぼく、わたし、せんせい」「小学校」「ブランコ」「ぼく・・ブランコ・・ひっぱった。かわいそう」などと答えることができた。一つ一つの物は見ているのだが、それらはバラバラに捉えられていて、出来事としてまとまっていないのだ。そこには関係を表す言葉が出てこないし、出来事を引き起こすもととなっている動作を表す言葉がでてこない。
・出来事は時間的に展開するものだが、テーマ画は、その一瞬を表現するだけである。だから、絵を見るものは自分自身の体験と照らしして時間の前後を補わなければならない。そのため、様々な行動の展開というものに実践的に係わってこなかった自閉症児にとっては特にむずかしいものとなる。この少女は「ひっぱった」「かわいそう」というテーマに関係のある言葉を口にしているので、漠然とは、絵の中の出来事を理解している。しかし、断片的な言葉をつないで絵の内容を把握できるようにする結合子がみつかっていない。
・私たちは、まわりの人たちと一緒に出来事を観察したり、あるいは出来事に参加する中でその文法形式を学習していくのである。
【動詞と助詞の役割】
・断片的な言葉をつないで絵の内容を把握できるようにする結合子の役割を果たしているのは、「動詞」と「助詞」である。(「男の子・が・女の子・の・ブランコ・を・ひっぱった)
・神経心理学者ルリヤによると、人間は前頭前野の損傷によって行動のプログラムを失うだけでなく、言語のプログラムも失うことがあるとのことである。(「人間の脳と心理過程」・金子書房)行動の単位となる運動も、言語の単位となる発音も、同じく、大脳の三つの基本的ブロックの中の運動野と運動前野によって生み出される。
・言語のプログラミングの障害は「力動失語症」と呼ばれるタイプで、一つ一つの言葉に問題はなく、人の言葉をそのまま模倣することはできるが、独力で文をつくることができなくなる。また、名詞の語彙と比べて動詞の語彙を思い出すことができなくなる。行動のプログラムに問題をもっていると考えられる自閉症者は、言語のプログラムにも問題をもつのではないだろうか。
・私は10年ほど前に、言葉を有する自閉症児を対象に動詞と助詞の習得状況についての研究をおこなった。(「自閉症児の言語障害の特性」1986年)その一は、動詞の絵カード20枚。名詞の絵カード20枚を見せて、何が描かれてあるか話してもらう「実験」である。自閉症児群10名、知能障害児群10名、3歳から6歳までの健常児群30名の平均得点は、名詞カードでは自閉症児群が最も多いのに、動詞カードでは最も少なかった。自閉症児群は「泳ぐ」を「プール」、「乗る」を「バス」、「弾く」を「ギター」のように、動詞カードでも名詞が現れてしまうことが多かった。自閉症児がもっている語彙の多くは名詞であり、それらを結合していく動詞の習得は遅れがちであることが示されている。
・その二は、場面の絵二枚(自動車が犬を轢いてしまった。クマが魚を釣り上げた。)を見て「何が描かれているか」文をつくってもらった。結果は、自閉症児群が最も文の作成で誤りをおかしやすいことがわかった。(例「車が犬に轢かれた」「クマで魚を釣る」)
・文の誤りのパターン(助詞の誤用・文節の省略・能動、受動の誤り・助詞の省略)は、自閉症児群では「助詞の誤用」が最も多い。健常幼児群では「助詞の省略」が最も多い。
《感想》
・ここで著者は、自閉症児が獲得している言語が「名詞」に偏っていること、「動詞」や「助詞」の未習得や誤用が目立つことを「実証」し、「以上の結果から、自閉症児には行動にも言語にもプログラミングの障害が現れており、前頭葉の発達障害(直接的な損傷ではない)が考えられるのである」と述べているが、本当にそうだろうか。たしかに、自閉症児の言語には特徴がある。独特な抑揚、紋切り型の文体、名称の誤用等々・・・。
・自閉症児の行動特徴(症状)の中で、最も顕著なものは、人・場所・場面・物に対する「回避」「葛藤」(周囲からの孤立)である。「言語」の主な機能は、①感情の表現、②思考の手段、③伝達の手段(コミュニケーション)だと思われるが、「回避」「葛藤」が優先されれば、伝達の手段を「学習」する機会が乏しくなるのは当然である。この節に登場した8歳の少女が「ことばのテスト絵本」に応じる場面でも、基本的には「回避」の気持ちが働いていることは十分に考えられる。つまり「不安」と「緊張」で、「お話をするどころではない」と切羽詰まった場面に、追い込んではいないか。その時点ではそうでなかったとしても、少女は8年間、そうした「回避」を重ね続けてきただろうことは確かである。したがって、そこで発せられた言葉だけを分析しても大した意味はない、と私は思う。
・著者は「私たちは、まわりの人たちと一緒に出来事を観察したり、あるいは出来事に参加する中でその文法形式を学習していくのである」と述べている。まさに、その通りだが、自閉症児は、その前の段階で、学習を「回避」してしまうのである。したがって、自閉症児はなぜ「まわりの人たちと一緒に出来事を観察したり、あるいは出来事に参加する」ことを《しようとしない》もしくは《できない》のか、について研究をしなければならないのではないか。
・自閉症児の「言語」の問題は、自閉症児に《特有》と思われがちだが、乳幼児が「ことば」を獲得していくプロセスで、誰もが共有していることを肝銘しなければならない。それは、著者自身の研究結果からも明らかである。すなわち、「絵の叙述における誤りのパターン」、「助詞の誤用」「文節の省略」「能動・受動の誤り」「助詞の省略」のパーセンテージを比べていえることは、健常幼児であれ、知能障害児であれ、同様の誤用・省略がみられる、ただ自閉症児より「相対的に」少ない、というだけのことなのである。もし、著者が「自閉症児には行動にも言語にもプログラミングの障害が現れており、前頭葉の発達障害(直接的な損傷ではない)が考えられるのである」というのなら、健常幼児、知能障害児の「誤答」者もまた、前頭葉の発達障害があると考えなければならないのではないだろうか。
(2015.12.15)