梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・17

《第4章 自閉症の言語世界》
《要約》
【オウム返しの謎】
・自閉症児の言語は、彼らの行動と同じように捉えどころがない。けれども、「言語行動」という言葉があるように、言語を使うのも行動の一種なのであり、外部環境に働きかけたり取り込んだりするための手段なのである。自閉症児の言葉の問題には、行動の問題と共通した障害のメカニズムが隠されているに違いない。本章では、この問題に取り組んでみることにする。
【消失する言葉】
・発音ができ、単語を口にできることと、言語世界が成立することとは同じではない。その証拠に、エリーもサマーもテッドも、早い時期に「ママ」や「ダッド」などよく耳にする言葉を口にしたのに、その後の言語発達はかんばしくなかった。
・エリーの場合は、獲得した言葉はある期間がたつと消失していき、通算では何十という言葉が現れながら、各時点で実際に使える言葉は五、六語どまり、という現象が続いたとのことである。何十もの言葉が一度はエリーの口から発せられたとうことは、この少女がよく聞き分けられる耳と構音機能の具わった口をもっていた証拠である。しかし、それらの言葉は互いにバラバラであり、結びつきながら増殖して行く働きに欠けていたようである。
・ただし、このような言語発達の危うさは、普通の子どもにとっても無縁なものではない。一歳前後に獲得されたいくつかの言葉は、その後あまり増加することなく。一年ほどにわたって言語の停滞期ともいうべき時期が続くのである。そして、二歳前後に。たとえば「ワンワン・キタ」というような主語と述語を伴った二語文が現れる頃から、言語の爆発的な増加期が始まることになる。
・この爆発的増加期は、誰でも決まって二歳前後に始まるわけではない。かなりの個人差が見られるのが現実である。アインシュタインが四歳になるまで話さなかったというのはあまりにも有名なエピソードとなっている。
《感想》
・ここでは、自閉症児の言葉が、一度は獲得したものの、その後、停滞するか消失してしまうことが述べられている。しかし、著者が見ているのは「子ども」の側に限られており、相対する大人(親)の側については、無頓着である。つまり、エリーの母親の供述を「そのまま」鵜呑みにしているように、私は感じる。エリーが「ママ」「ダッド」とという言葉を口にしたのは、《どんなとき》《どんな場面》であったのか、また、その言葉に対して両親はどのように応じたのか、という点については全く触れられていない。
・通常、子どもが言葉を口にするのは1歳前後だが、それ以前に、子どもと親は「声」「表情」「動作」などを媒介にしてコミュニケーション(気持ちや意味の伝え合い)を行っている。もし、そのレディネスが不十分であれば、「その後の、言葉の発達がかんばしくなかった」ということが生じることは当然である。
・著者は〈「言語行動」という言葉があるように、言語を使うのも行動の一種なのであり、外部環境に働きかけたり取り込んだりするための手段なのである〉と述べているが、「言語」そのものは、必ずしも「行動」に直結しない。それは「認識・表現」の《過程》であり、音声・文字はその《媒体》に過ぎない。それゆえ、「言葉を口にする」「文字を読み書きする」ことができるようになっても、「言語」本来の機能を発揮することとは無縁である。私が知る自閉症児は、バスや電車の「車内アナウンス」を「巧みに」表現できるが、通常の会話能力は極めて乏しい。それは、まず音声の「やりとり」(交信)を、「泣き声」「喃語」「ジャーゴン」を媒体として、十分に行って来なかったためと思われる。両親は熱心に「絵本の読み聞かせ」を行ったが、子どもはそれを単なる「感覚遊び」の「音刺激」としてしか「取り込んで」こなかったことは明らかである。「泣き声」「喃語」「ジャーゴン」は、それぞれの場面で「意味」「感情」を伴っているが、それを周囲が「共感」「理解」しなければ、子どもの交信は「一方方向」で終わるに違いない。子どもは発信しているのに、それを両親が受け止めてくれないとすれば、空しい「独り言」を繰り返す(言語の停滞)か、口を閉ざしてしまう(言語の消失)他はないだろう。さらに、両親の教育方針として「幼児音・幼児語で話しかけない」「子どもが発する幼児音・幼児語は無視する」といったことが加われば、その傾向に拍車がかかることは明白である。その自閉症児は、「レリレリレリレリ・・・」などというジャーゴンを繰り返していたが、「ママ」「パパ」「マンマ」などという言葉を使うことなく、1歳過ぎには、童謡・唱歌を歌い出し、「オジーチャン」「オバーチャン」「カボチャ」「ニンジンジュース」などと言い始めた。以後、「言葉が消失」することはなく、4歳時には「○○コウエン・イク」「○○ヤナノ」「(テレビを)ケスケス」「ジ(字)・カコウカ」「ジ・カイテ」などの二語文レベルで「停滞」している。
・いずれにせよ、「言語の機能」の中で最も重要なものは、コミュニケーションの手段であり、「表情」「声」「動作」によるコミュニケーションが十分に行われない限り、「言語」の発達が「かんばしく」なくなるのは当然である、と私は思う。(2015.12.10)