梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

天皇の《復権》・2

 平成天皇は、85歳の誕生日に先立つ記者会見で、次のように述べた。
「(前略)天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての立場を受け入れ、私を支えてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを心からねぎらいたく思います。(後略)」
 この文言で重要なことは、「国民の一人であった皇后」が「皇室と国民の双方への献身を」という2点である。国民と皇室は明確に区別されており、つまり、皇室は《国民ではない》という認識である。当然、皇室(皇族)に、日本国憲法で保障された「国民の権利」
はない。参政権(「選挙権」「被選挙権」)をはじめ「表現」「職業選択」「居住移転」などの自由まで著しく制限されているようにみえる。昭和天皇は、戦後まもなく「人間宣言」を行い、自らの立場を「現人神」から「人間」に変えたが、天皇はもとより皇族の「基本的人権」は曖昧になった。
 以下は、私の妄想(独断・偏見)だが、平成天皇の《人生》は「象徴天皇制」の不可思議さに戸惑い続け、「できれば《象徴》などという《非人間的》(非社会的)な立場から離れ、国民の仲間入りをしたい」と思い続けた《旅》ではなかったか・・・。被災地を見舞い、膝をついて国民を労い励ます「振る舞い」は、まさに皇后の(国民としての、国民らしい)「振る舞い」を模したはずであり、そのことからも私の妄想は、それほど的外れではないだろう。
 私は国民の一人として、天皇、皇室の「基本的人権」を尊重したい。そのためには、一日も早く「日本国憲法第一章・天皇」および「皇室典範」を廃し、天皇・皇室を「民間の一人・一家族」として位置づけることが《基本》である。天皇、皇室に対して「陛下」「殿下」等の呼称や、過剰な「敬語」で接すること自体が不自然(「大日本帝国憲法」の踏襲)であり、まず国民が「普通に接すること」を《陛下御自身は望まれておられる》に違いない。(2018.12.23)