梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・9

【認知の革命】
《要約》


◆前操作期・・・2歳→6歳
◆具体的操作期・・・6歳→12歳
◆形式的操作期・・・12歳→
 このモデルは、人間が人生の初期であればあるほど、急勾配の坂を駆け上がりながら認知構造の変革をおこなうことを示してくれている。このとき必要とされているエネルギーは、計り知れないものであるに違いない。
・「行為はエネルギー的側面と、構造的側面とを持っている。前者は感情であり、後者は認識である」(ピアジェ・「知能の心理学」・みすず書房)・ジャン・ピアジェは、スイスの発達心理学者であると同時に構造主義者であり、子どもの活動を入念に観察したうえで、認知構造の発展という側面から発達理論の構築を行った。彼の示した発達段階のモデルを非常に簡単にまとめて示すと、以下のようになる。
◆感覚運動期(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ・Ⅵ)・・・0歳→2歳
・子どもの発達を推進させる影のエネルギーがどのようなものなのか、ここで正しく言い当てることはむずかしい。しかし、それは一種、破壊的な力をもったエネルギーであると言うことはできると思う。
・成長期の子どもは、(積木の塔が倒れるのを見て喜ぶように)完成させたものをそのままの形でとっておこうとしたりはしない。壊してはまた作り直す中で成長していくのである。破壊の激しさは、創造のエネルギーを表していて、新たな挑戦を意味するから革命的である。
・(しかし、そのエネルギーが、子どもの内部に不足していたらどうなるか。自然が残した設計図には、そのアフターケアまでは書き込まれていないようである。)
・自閉症児の示す活動は、パニック時を除くと、決して破壊的ではない。むしろ彼らは「同一性保持」の傾向をもっている。彼らの生き方には浴がなく、自己完結した世界の中で安住しようとする気配が見える。
・自閉症児は、人特有の激しい欲望がわずかばかり不足した状態で生育してしまったと思えるのである。ただし、自閉症児の脳は、いつまでも欲求しない脳、感情をもたない脳であるわけではない。彼らの成長を見守っていると、それらの働きは、遅れながらも、やがて芽生えてくることが窺える。
・この自然の設計外の展開は、彼と彼をとりまく環境との間にさまざまな衝突を引き起こさざるを得ない。幼児期を終えた自閉症の人たちが社会という巨大装置にめぐり合ったとき、どのような不適応現象が生じるのか、また、私たちはそれをどのように受けとめ、どのようなアフターケアを求めるべきか、次章以下で考えていきたい。
《感想》
・ここで述べられていることは、要するに、子どもの発達(行為)には、エネルギー的側面と構造的側面がある、前者は感情であり後者は認識である、というピアジェの見解を自閉症児に当てはめると、エネルギー的側面の「激しい欲望がわずかばかり不足した状態で生育してしまった」ということになる。しかし、著者の熊谷高幸氏は「子どもの発達を推進させる影のエネルギーがどのようなものなのか、ここで正しく言い当てることはむずかしい。しかし、それは一種、破壊的な力をもったエネルギーであると言うことはできると思う」と述べているだけで、その不足しているエネルギーの正体を明らかにはしていない。
しかし、自閉症という問題が、「認識」ではなく「感情」に起因していることを、図らずも明らかにしている。
・自閉症が「情緒障害か、認知障害か」という問題は大きく意見の別れるところだが(動物行動学者、ニコ・ティンバーゲンは「自閉症治癒への道」の中で、明確に「(環境要因による)情緒障害である」と《断定》しているが、世界の大勢は、ローナ・ウィングの「(先天的な脳の機能障害による)認知障害」説に傾いているようである)、熊谷氏の見解は、「脳の機能障害による《情緒障害》説」ということになるのだろうか。
・私の独断・偏見によれば、自閉症児の「エネルギー的側面」(感情)が「不足」しているわけではない。彼らは、自分の感情や欲求を「表出」する機会を(生育環境の中で)「奪われ続けてきたため」、そのような行動(活動)を「回避」しているに過ぎない。(私の知る自閉症児は、「偏食」である。しかし「食欲」が不足しているわけではない。「同一性保持」のため、目新しい食物を「回避」している(いわゆる「食べず嫌い}な)のである)。
・熊谷氏の「脳の機能障害による《情緒障害》説」では、氏自身が述べている「自閉症児の脳は、いつまでも欲求しない脳、感情をもたない脳であるわけではない。彼らの成長を見守っていると、それらの働きは、遅れながらも、やがて芽生えてくることが窺える」という現象を説明することはできないのではないか。彼らの成長は、以後の「生育《環境》・教育《環境》の変化」によって《もたらされたものではない》、と断定できるだろうか。
・いずれにせよ、自閉症は「感情」(情緒)の障害か、「認識」(認知)の障害か、という問題は、極めて重要であり、以後の展開を興味深く読み進めたい。(2015.11.16)