梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・8

【「私」の芽生え】
《要約》
・外部の世界に手ごたえを感じ始めた幼児が用いるのは、言葉だけではない。言葉の獲得期に言葉よりもはるかに高頻度に用いられるのが、指さしである。
・この指さしの現れも、自閉症児の場合、非常に遅いのである。「指さし行動が生後数ヶ月までにできることはめずらしい」(メアリ・コールマン「自閉症のバイオロジー」学苑社)言葉の遅れとともに指さしの発生の遅れが自閉症児のコミュニケーションの発達障害を特徴づけている。
・複数の人が居合わせる物理的空間には、人々の注意を引き付ける枠組みは存在しない。その大きな空間の中の一点に「私」と「あなた」の視点を合わせるということは、実はかなりむずかしいことなのではないだろうか。そこで力を発揮するようになるのが指さしなのである。
・幼児期に指さしや言葉によって他者と視点合わせをすることの少なかった自閉症者は、自分自身の視線の方向にもあまり敏感でなく、その視界は茫漠としている可能性がある。自閉症児が幼児期に見せる「うつろな」まなざし、「超然とした」まなざしは、おそらく多くの情報を映し出しているまなざしであると思われる。
・幼い子どもは、頻繁に指さしを行うばかりでなく、他者の指さしに対しても敏感に反応するようになる。
・私たちは、多量の情報をインプットするだけでは、巨大なスクリーンの中の映画を楽しんでいるようなものである。そこには三人称のクールな世界はあっても一人称・二人称のホットな係わりの世界はない。情報をしぼり込んでスポットライトを当てたとき、「私」の意図と「あなた」の意図は衝突したり、あるいは探り合いが生まれ、外界のいろいろな場所に「私」と「あなた」が投影されるようになると考えられる。
・二歳代になると、子どもは「パパノ」「ママノ」「○○チャンノ」というふうに所有権を示す言葉をよく用いるようになる。自分にとって自分の姿は見えにくい。外部の世界の占有権をめぐって、次第に「私」の存在も自覚されてくる。
・一方、自閉症児は、少なくともこの時期は「超然」としていて、外部の世界の所有権をめぐって他者と争うことはなく、その分、自分の姿も不確かな状態である。
・自閉症者は「自閉」という言葉で表されながら、本当は自他の区別が明確でなく、「私」の芽生えが遅れている人たちなのである。
《感想》
・ここでは、自閉症児の「指さし行動」が見られないこと、遅れること、また「私」(自意識?)の芽生えも遅れていることが述べられているが、その原因については判然としない。
・私の独断・偏見によれば、自閉症児の場合、母子の「愛着」関係が不十分であり、その結果「私」と「あなた」という関係が、いつまでたっても成立しないためである。母は子どもを「あなた」と感じる。子も母を「あなた」と感じる。「あなた」は「私」にとって《特別な存在》である。「あなた」は、他の人、事物と違って、「かけがえのない」「喜びと安心、充実感」(原始的エネルギー)を与えてくれる大切な「存在」なのである。子どもは、母から「抱擁」「愛撫」を受け続けることによって、「心地よい」と感じる自分(「私」)に気づくのではないだろうか。「指さし行動」は、外界にある事物の「一点」を「私」と「あなた」で「共有」する手段である。「私」と「あなた」という関係が成立していなければ、「指さし行動」が現れるはずがない。
・これも私の偏見だが、自閉症児をもつ親の多くは、「わが子」を「彼」「彼女」と三人称で呼ぶことが多いように感じる。聴き手は第三者なので、もちろん誤りとはいえないが、親子だけの場面においても、どこか「自閉症児である彼・彼女」といった意識・感覚から抜け出せないのではないか、と邪推してしまうのである。どこか醒めている・・・、「彼」は自閉症児である前に、かけがえのない「わが子」(マイ・サン、マイ・ドーター)だという愛着心(人類古来の原始的エネルギー)が感じられない、といえば言いすぎであろうか。(2015.11.15) 
・以下は、「指さし行動」について、昔綴った駄文である。
《指さし行動の意味》
生後1年ほどになると、乳児は「マンマ」「ブーブ」などと片言を話すようになるが、同時に(人差し指1本で)「指を差す」行動が現れる。この行動は、「人間」特有の行動であり、他の動物には見られない。そしてまた、その行動は、「指差し確認」とか「人から後指を差されないように」とか「指示する」とか、言われるように、「特別な意味」を含んでいるのである。その意味とは、「今、私はこれ(それ、あれ)を見ている」ということである。さらに、人間はその行動を、コミュニケーションの手段として使っている。相手に向かって、「今、私が見ているのは、これ(それ、あれ)です。あなたも見て下さい」という気持ちを伝えているのである。乳児が、事物を指さして「アッアー」などと言うのは、「それを取って」「あれは何?」「これが欲しい」「あれは前にも見たことがあるよ」 などという意味や気持ちを、周囲の人に伝えているのである。また、乳児は、相手からの問いかけに対する「返事」として、「指を差す」行動があることを学ぶ。絵本を見ながら、「ワンワンはどれ?」「ブーブはどれかな?」などと問いかけられると、「指を差して」応えるのである。このとき、乳児は、「犬や自動車を見分けること」(認識活動)と、「指を差して応えること」(コミュニケーション行動)の二つを「同時に」要求されているのだが、いずれかに支障が生じていると、正確に応じることができない。その一の例、「ワンワンはどれ?」と尋ねられても、「ワンワンはどれ?」とオウム返しをするだけで、指を差さない。その二の例、「ワンワンはどれ?」と尋ねられても、よく絵を見ないで、手当たり次第、目に入った物を指さす。一の例は、(おそらく)認識活動は正常だが、コミュニケーション行動が未熟だということになる。反対に、二の例は、コミュニケーション行動は正常だが、認識活動が未熟だということになる。一の例の場合、「指を差す」代わりに、「手(首)を引っぱる」行動(クレーン行動)をすることがある。この行動は、自分の欲求を満たそうとする直接的な行動であり、コミュニケーション行動とはいえない。相手の手を、自分の手の延長(道具)として活用しているにすぎないからである。二の例は、まだ事物を正確に「見分ける」(弁別する)ことができないだけであって、相手とのコミュニケーションを通して、様々な学習を進めていく態勢が整っている。したがって、相応の時間をかければ、調和的な発達が期待できる。しかし、一の例は、周囲の事物や生活習慣、等々を、相手からではなく(コミュニケーションを媒介とせずに)、直接的に「自学自習」してしまうおそれがある。「認識活動」は正常であっても、そこで身につけた知識や技能を、集団の中で「応用できない」という事態に陥るおそれがある。そこで、一の例の場合には、以下のような取り組みが必要になる、と思われる。
【目標】人(相手)との「やりとり」ができるようにする。
《領域1》相手と「表情」で「やりとり」ができるようにする。
・相手に笑いかけられると、笑い返す。(あいさつ)
・にらめっこ、あっぷっぷ、いないいないばあ、などの遊びを「楽しむ」。
・「変な顔」を見て笑う。
・「怖い顔」を見て泣く。
・「いいお顔」をする。
《領域2》相手と「声」で「やりとり」ができるようにする。
・泣いて、相手を呼ぶ。
・相手の声を聞いて、しずまる。(泣き止む、落ち着く)
・相手の声を聞いて、声を出す。
・声を出して、相手を呼ぶ。
・相手の声(語調)を聞いて、まねする。(えっ?、あっ!、あーあ等)
・相手の「ことば」を聞いて、まねする。
《領域3》相手と「身振り・動作」で「やりとり」ができるようにする。
・相手の「身振り」を、まねする。(指遊び、手遊び、グウチョッキパー、指差し等)
・相手の「動作」を、まねする。(おいかけっこ、かけっこ、ぴょんぴょん、ダンス等)
・「おうまさんごっこ」を楽しむ。(スキンシップ)
・「おすもうごっこ」を楽しむ。(スキンシップ)
・ジャンケン遊びを楽しむ。
・「幸せなら手をたたこう」「むすんでひらいて」などを一緒に楽しむ。
・「鬼ごっこ」「かくれんぼ」を楽しむ。
《領域4》相手と「物」の「やりとり」ができるようにする。
・相手から、物を「受け取る」。
・相手に、物を「手渡す」。
・欲しい物を、「指差して」「受け取る」。
・相手が「指差した」物を「手渡す」。
・相手に「ちょうだい」と言って、「受け取る」。
・相手に「どうぞ」と言って、「手渡す」。
・「お店屋さんごっこ」を楽しむ。
《領域5》相手と「ことば」で、「やりとり」ができるようにする。
・相手に、名前を呼ばれたら、振り向く。(相手の顔を見る)
・相手に、名前を呼ばれたら、「返事」をする。(手を挙げる)
・相手に、「パパ」「ママ」などと言って、呼びかける。
・相手に、「わんわんは、どれ?」と聞かれて、指差す。
・相手に、絵を指差して、「なーに?」と尋ねる。
・相手に、「これはなーに?」と聞かれて、「わんわん」と答える。
・相手に、「お名前は?」と聞かれて、答える。
・相手に、「おめめは?お耳は?お口は?」などと、尋ねられて、その部位を触る。
・相手に、「たっち、えんこ」などと言われて、その動作をする。
・相手に、「これ、なーに?」と頻繁に尋ねる。
【留意点】
 以上の取り組みの中で、最も重要なものは、「笑顔」の「やりとり」である。「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、そのことが「好き」になることが上達の早道である。いずれの活動も「楽しく」「遊びの中で」行うことが大切である。また、乳児の反応が「あいまい」であったり、「誤り」であったとしても、それを「指摘」「訂正」することは禁物である。なぜなら、そのことによって、乳児は「自信」を失い、たちまち意欲が半減してしまうから。大切なことは一点、「コミュニケーション行動」と、その「意欲」を育てること、言い換えれば、こちらからの働きかけに「応じ」られるようになりさえすれば、それでよい、ということを肝銘すべきである。(2013.4.6)