梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・4

《第2章》自閉症の幼児期
【要約】
《謎をさかのぼる》
・自閉症というきわめてユニークな症状をもたらす原因の大本となっているものは必ずしもユニークなものではなく、知能障害などとも共通する非常に多くの病因が考えられるのだった。それらの病因が、何故しばしば自閉症へ発展するのか、その理由として考えられる二つの事柄について、この章では考えてみたい。第一に、人の脳は、その構造から、すなわち、その設計的な特色から、自閉症を生み出すような因子をもっているのではないか。第二に、人は、他の動物とはかけ離れた出生後まもなくの育ち方の特色から、自閉症となる可能性をもっているのではないか。
【感想】
・この仮説に、私は肯けない。その理由、①自閉症の症状はユニークではない。人間の発達過程で、誰でもが行う「行動特徴」を《症状》と見なすことは誤りである。通常なら、その「行動特徴」は成長するにつれて軽減・消去されていくが、なぜか「そのまま留まった」状態が続いているに過ぎない。だからこそ、その原因の大本はユニークなものではないのである。②自閉症を生み出すような因子が、人の脳の構造、設計的特色にあった、また、他の動物とはかけ離れた出生後まもなくの育ち方の特色が自閉症となる可能性をもっている、とすれば・・・、1943年まで「自閉症が発見されなかった」のは何故か、その理由が判然としない。


【要約】
《幼児期のエリー》
「彼女には、ただこの一つの場所(くるくると回るための床の一点)しか眼中にない。1歳半になって、物に触ったり、物を口に入れたり、指さしたり、探し回ったりしる時期になっているはずなのに、こうしたことは何一つしない。歩きもしないし、階段を這い上がることもしない。物をとろうとにじり寄っていくこともしない。彼女はなに一つほしがらない」(クララ・パーク)
 にもかかわらず、エリーの運動発達はそれほど遅れているわけではなかった。このときには這うことができたし、少し遅れたけれども、1歳7カ月には歩くこともできたのである。さらに「エリーの動作は正確で、その慎重な挙動は気味の悪いほど統制がとれていた」と母親は述べている。そして、エリーの外界に対する知覚も決して劣ったものではなかった。彼女は必要に迫られれば、狭い通路を人や物にぶつかることなく目的地に到達することができた。すると、ここで述べられているエリーの特徴は、やはり文中にあるように「なに一つほしがらない」ところにあるのではないだろうか。エリーの母は、別のところでは。娘はすべてに対して「超然としていた」と述べている。わが子が自閉症の診断を受けた後で、両親が赤ちゃん時代の印象としてよく語る言葉が「落ち着いていた」「おとなしかった」「扱いやすかった」というものである。それらは多くの場合、やがて現れる子どもの障害を覆い隠す役割を果たしている。しかし、エリーよりも前に三人の子どもを育てたこの著者は、このような印象の背後にある深刻な問題をすでに見通していたと言えるのではないだろうか。
【感想】
・本当にそうだろうか。「エリーの物語」を著したクララ・パークは「エリーよりも前に三人の子どもを育てた」ことがあったとしても、エリーを育てたのは初めてであり、背後にある深刻な問題を見通していた、とは私には思えない。たしかに、「彼女はなに一つほしがらなかった」ことを「見落としていない」。しかし、その特徴(実は、それこそが自閉症の本質ではないだろうか、と私は思っているのだが・・・)に対して、クララ・パークは「どのように関わった」のだろうか。私が「エリーの物語」から読み取れる情景は、一つの場所でくるくる回り、物を触ったり、口に入れたりすることもなく、歩くこと、指さすこともしない娘を、ただ(なすすべもなく)「見つめている」、あるいは他の仕事に追われながら「時々、必要な世話をしている」母親の姿でしかない。前の三人の子どもも同じように育てたかもしれない。しかし、エリーの兄姉たちは、「自分から欲しがってきた」、だからエリーが「なに一つほしがらない」のは、エリー自身の「脳」の中に異変が生じているのではないか、ということになる。
 著者の熊谷高幸氏は、クララ・パークの「育て方」「関わり方」を実際に見聞したのだろうか。私は「エリーの物語」をそのまま「鵜呑み」にすることはできない。
 余談だが、私が知る幼児の両親は、①子どもが寝ているときは、起こさないように声をひそめて、大きな音を立てないように心がけた。②入浴では清潔を保つために「一番風呂」に入れた。③食べ物は、極力、添加物のない自然食品を与え、また、つねにアレルギーを心配していた。④異物を口に入れないよう、「手で食べる」ことをさせなかった。⑤子どもが泣いて要求するまえに、「先回りして」世話をした。⑥子どもとじゃれあって遊ぶことよりも、音楽を聞かせること、本を読み聞かせることを重視した。⑦声や幼児語でやりとりすることよりも、大人の標準語で接した。⑧危険防止のため、引き出しはロックし、ダイニングのイスは(テーブルに登れないように)倒しておいた。⑨本棚にはすき間なく本を詰め、抜き取れないようにした。⑩子どもが「泣いて嫌がる」ことは、無理強いしなかった。
 その結果(かどうかは判然としないが)、幼児は3歳の時に「自閉症」と診断された。
エリーと同様に「なに一つほしがらなかった」。同じ場所を行ったり来たり、くるくる回ることが目立つ。1歳半で「仰げば尊し」の唱歌を歌い、絵本の文章をすらすら暗誦するのに、名前を呼ばれても返事をしない。同年齢の子どもたちとは交じらず「超然としている」。また、耳ふさぎ、独り言、偏食も目立つ、といった状態が続いている。
 両親の「育て方」「接し方」と、幼児の行動特徴に《「因果関係」ありや、なしや》、そのことを究明することが、今、私の喫緊の課題なのである。
(2015.11.5)