梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・3

【自閉症の診断】
・自閉症は単一の原因によって生まれるものではなく、複数の原因に由来した障害をもつ症候群である。しかも、その症状は一人一人微妙に違うため、自閉症者の数だけ自閉症の物語があると言ってもいいほどである。
・自閉症の第一発見者であるカナーが自閉症児の中に認めた症状は、要約すると、次の五項目のようになる。一、周囲からの極端な孤立 二、言葉の発達の歪み 三、強迫的な同一性保持の傾向 四、物に対する特別な技能やすぐれた記憶力 五、潜在的な知能
・カナーの診断に続いて、多くの専門家によるおびただしい数の診断法が提起されてきた。その中で、英国のラターによる診断項目が、現在用いられている種々の診断法のエッセンスのような役割を演じている。それは、次の四項目からなるものである。一、生後30カ月以内に発症する。二、社会的発達に障害が見られる。三、言語発達に遅れと偏りが見られる。四、同一性への固執が見られる。


《感想》
・ラター以後、イギリスの精神科医ローナ・ウィングは、自閉症の特徴として「自閉症の3つ組」を示した。それは以下の通りである。
《ローナ・ウィングの『自閉症の3つ組』》
1.社会性の障害(対人関係の障害)……他者との相互的な人間関係や母親との愛着関係を築く事が苦手で、相手の感情や思いに配慮する共感能力が殆ど欠如しているという『社会性の障害』を示す。他者に興味や関心を全く示さないか、一方的な感情や欲求を押し付けるコミュニケーションしか出来ないなどの社会性の障害を示し、社会的環境において自閉的な孤立に陥りやすい。発達早期の乳幼児期に見られる特徴としては、母親と視線を合わせず微笑みを見せることがない、母親がいなくなっても母親を求めないといった特徴が見られる。
2.言語的コミュニケーションの障害……言語発達の遅れや失語を見せて、他者との言語的コミュニケーションが不可能になったり困難になったりする。自閉症に良く見られるコミュニケーションとして、相手の発話した単語をそのまま繰り返す『オウム返し』や相手の感情や意図を無視して一方的に質問し続ける『疑問文による要請』などがある。
3.こだわり行動への固執性……いつも同じ遊びだけを機械的に繰り返したり、物を規則正しく並べ続けて飽きることがない。同じ道順や方法、食べ物、お菓子でないとパニックを起こしたりする。毎日毎日同じ行動を繰り返す常同行動・反復行動が顕著に見られ、手をひらひらと動かしたり、頭を床にコツコツぶつけたりする自己刺激行動への固執が見られることもある。特定の行動パターン・遂行の手順・規則的な並び方・自分好みの方法に強迫的な欲求やこだわりを見せて、パターン化した常同行動や反復行動以外の新しい行動や手段を身につけることが非常に困難である。
((http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/biblio/development003.htmlより引用)
  
 カナー、ラター、ウィング、三者の見解は共通しており、いずれも①社会性の発達の遅れ、②言語発達の遅れ・歪み、③同一性への固執を、自閉症の行動特徴として挙げているが、さらにその三項目を「並列」して見ていることも共通している。
 私の独断と偏見によれば、その「並列的」な見方こそ、自閉症の「謎」をさらに深めてしまう原因であり、明らかな「誤り」である。三項目のうち、すべての発端は、カナーのいう「周囲からの極端な孤立」、ラターのいう「社会的発達の障害」、ウィングのいう「社会性の障害」に始まることを見落としてはならない。「他者との相互的な人間関係や母親との愛着関係を築く事が苦手で、相手の感情や思いに配慮する共感能力が殆ど欠如している」からこそ、言語発達の遅れや同一性への固執といった問題が生じてしまうのである。したがって、自閉症の診断基準は「他者との相互的人間関係を築けるか」「母親との愛着関係を築けるか」の二点に絞られなければならない。ウイングが「言語的コミュニケーションの障害」で指摘する「オウム返し」「疑問文による要請」、さらには「代名詞の誤用」等々は、一・二語文期(2~3歳台)の幼児には頻繁にみられる現象であり、自閉症の診断基準にはならない。また、「こだわり行動(同一性)への固執」にしても、たとえば、くるくる回る物を求めるといった行動特徴は、誰にでも見受けられる。「風車」といった玩具は、その遊びの恰好なアイテムに他ならない。「言語発達の遅れ」「同一性への固執」は、「社会性」(他者との人間関係・母親との愛着関係)が阻害された結果、まだ乳幼児段階に留まったままであることの「現れ」なのではないだろうか。
著者の熊谷高幸氏は「その症状は一人一人微妙に違うため、自閉症者の数だけ自閉症の物語があると言ってもいいほどである」と述べているが、その裏を返せば、「人は千差万別」「十人寄れば気は十色」ということを指摘しているにすぎない。つまり、自閉症として共通する(完全に一致する)症状は「存在しない」ということである。しかし「自閉症」と呼ばれる子どもは「存在させられてしまう」。そこに大きな矛盾を私は感じるのである。大切なことは、その子が「他者との人間関係を築なけかった、築けないでいる」のはなぜか、「母親との愛着関係を築けなかった、築けないでいる」のはなぜか、を具体的に究明することである。いうまでもなく、「関係」(社会性)とは一人では築けない。つねに「他者」を必要としているのであり、その「関係」は「他者」のあり方によって大きく左右されるものであることを見落としてはならない、と私は思う。
 蛇足だが、カナーは自閉症の診断基準として 「四、物に対する特別な技能やすぐれた記憶力 五、潜在的な知能」を挙げている。他者よりすぐれた能力、潜在的な能力までが《症状》としてみなされるようでは、「自閉症児」は浮かばれない。実を言えば「自閉症」などという疾患はもともと「存在しなかった」と考える方が、「謎」を解く第一歩になると思うのだが・・・。
(2015.10.23)